見頃を迎えた正暦寺の紅葉を楽しんで参りました。
只今、正暦寺は秋季特別公開の真っ最中です。秘仏の御本尊・薬師如来倚像が特別開扉され、福寿院客殿の紅葉借景を満喫することができます。今年の3月に本堂荘厳事業が完成し、本堂内にはたくさんの仏像が並んでいました。数年前にも正暦寺を拝観しましたが、その時には見ることのできなかった仏像群に感動を覚えます。
正暦寺本堂と紅葉。
錦の里と呼ばれる正暦寺境内は、紅葉時期になると数多くの参拝客で賑わいます。
寺宝・日光月光菩薩像と鈴のお守り
正暦寺は一条天皇の勅願により、関白・九条兼家の子の兼俊僧正が創建したことに始まります。
仏師・上本慶舟氏によって新たに造立された薬師如来像の背後には、一条天皇のお位牌も祀られていました。
本堂内で購入した鈴のお守り。
お値段は300円です。正暦寺のイメージそのままに、楓の紅葉がモチーフになっているようです。紅葉が見所であることは言うまでもありませんが、正暦寺境内には南天の実も至る所に見られました。
山火事予防の看板。
菩提仙川に沿って参道が続きます。
正暦寺第二駐車場の手前。
奈良五聖地の一つに数えられる菩提山が案内されています。車両の乗り入れや犬の散歩が固く禁じられているようですね。
大和の東山一帯を印度の五仙山になぞらえて、正暦寺の山号は「菩提仙」とされます。鹿野苑(ろくやおん)、誓多林(せたりん)、大慈山(だいじせん)、忍辱山(にんにくせん)、菩提山(ぼだいせん)がそれらに当たります。悟りの山を意味する菩提山寺(正暦寺)は、今もなお聖地として崇められています。
正暦寺の第二駐車場。
第一駐車場はもっと手前にあったのですが、既に満車でした。
誘導員の指示に従い、菩提仙川に沿う参道を上がって来ました。紅葉シーズンは山内整備料として、500円の駐車料金が必要です。数人の係員が参道の上手と下手に分かれ、次々と参詣に訪れる車の列を整理なさっていました。
日本清酒発祥之地碑。
かつて正暦寺の横を流れる渓流の水を使って、「菩提泉酒」という上質のお酒が造られていたと言います。正暦寺は清酒発祥の地としても知られ、平成29年1月9日には菩提酛清酒祭が催される予定です。正暦寺清流庵・駐車場において、清酒試飲即売会や餅つき大会、清酒醸造安全祈願などが執り行われます。お酒の好きな方は、是非足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
正暦寺を象徴する南天。
”難を転じる”に掛け、縁起物としても知られる南天。お正月の門松などでもすっかりお馴染みですよね。
特別公開の看板が立っていました。
椅子に座るお姿が印象的な薬師如来倚像の他にも、仏画が公開されているようです。本堂内に入ると、自動音声によって正暦寺の歴史や仏像案内が流されます。御本尊の両側にそれぞれ六幅ずつの仏画が掲げられていました。
正暦寺本堂の拝観受付。
拝観料は大人500円、小人200円となっています。今回の特別公開では、本堂と福寿院客殿の拝観を合わせて500円の料金です。かつては堂塔伽藍を中心に86坊もの塔頭が建ち並んでいたそうですが、寺勢の衰えもあり、今では本堂、鐘楼、福寿院客殿・護摩堂を残すのみとなっています。
正暦寺で亡くなった僧侶の墓石を集めた供養塔。
十三重石塔が両サイドに建ち、数多くの僧侶たちが供養されています。石段の上の本堂へ行く前に、菩提仙川に沿って奥へと歩を進めます。朽ちかけた木造の橋が架けられたりしていて、なかなか趣のあるエリアへと入って行きます。
黄葉の木々に囲われるように、小さなお堂が建っていました。
お寺の奥之院といった雰囲気ですが、中はどうなっているのでしょうか。
本堂へと続く石段。
拝観受付のすぐ横にあり、往路と復路が手摺りによって分けられています。
この階段には少なからぬ意味が込められているようです。石段の数が33段と48段に設計されていて、33段が観世音菩薩の誓願の数、48段が阿弥陀如来の誓願の数を表しています。合計81段の石段を全て登りきることで、観世音菩薩と阿弥陀如来のご加護が受けられるのだとか。
興福寺の五十二段にも仏法修行のプロセスが込められています。石段一つ取っても、そこには深い思いが詰まっているのですね。
33段を登り切った所に手水舎がありました。
今はもう使われていないようですが、正暦寺の歴史を感じさせる佇まいですね。
一番上まで辿り着きました。
登って来た石段を見下ろします。ご高齢の方には少し大変かもしれませんね。車椅子用のスロープやエレベーターなど、神社やお寺でもバリアフリー化が進む昨今ですが、どこか味気ないものを感じます。不便の中にこそ、大切な何かがあるのかもしれません。そういう意味では、この石段は無くして欲しくないと思います。
石段を登り切ると、左手に鐘楼が姿を現します。
正暦寺の鐘楼は、大正15(1925)年に再建されています。鐘を撞くことは禁じられていますが、こうやって見ているだけでも有難味の感じられる鐘楼です。ほとんどの伽藍を失った正暦寺の中にあって、貴重な歴史遺産ですね。
正暦寺本堂。
本堂は大正5(1916)年に再建されています。
紅葉シーズンは本堂内拝観が可能ですが、それ以外は不定期で開放されているようです。本堂内に入るにはやはり紅葉シーズンがおすすめです。この日は秋季特別公開の時期に当たり、数多くの観光客が出入りしていました。
本堂前にあるこの四角い空間は何なのでしょうか?不思議な方形スペースの謎・・・本堂内にいらっしゃった僧侶にお伺いしておけばよかったと後悔しています(笑)
百日紅の木ですね。
夏になれば、サルスベリの花も咲くことでしょう。
本堂向かって右手の蔵のような建物。
一見してその古さが伝わってきますね。
蔵の奥の方には鎮守社でしょうか。
池の向こう側に祠が見えています。
正暦寺の山内には、実に3,000本を超える楓が見られます。
楓(かえで)の葉をよく見てみると、蛙の手にも似ています。蛙手(カエルデ)からカエデに転訛したいきさつが窺えるのですが、縁起物の蛙との共通点に興味深いものを感じます。
本堂内中央に、大きな薬師如来像が坐しておられました。
近年になって開眼供養された仏様で、その御前に小さな御本尊・薬師如来倚像が祀られます。大きな薬師如来の両脇には修復を終えたばかりの日光月光菩薩像がお立ちになられていました。日光月光菩薩像は平安時代の仏像で、奈良県指定重要文化財とされます。さらには十二神将像も二体見られ、只今製作進行中とのことでした。
お寺の方にお伺いすると、近い内に十二体の十二神将が出揃うことになるようです。新薬師寺本堂のような宇宙観が正暦寺にも生まれるのでしょうか。今から楽しみですね。向かって右手に立つバサラ像の憤怒の表情が印象的でしたが、十二体が揃うということは、大きな体躯の薬師如来像を中心に円を描くように配置されるのではないかと思われます。
靴を脱いで本堂内に上がります。
仏像やお寺の音声案内が流れていました。一定の間隔を置いてリピートされ、3回ぐらい聴くと概ね内容を理解することができました。両側の壁には仏画が掛けられていたのですが、少し遠くて見えづらいのが玉に瑕です。
帰り際に、本堂内のお守り授与所で鈴守を買いました。
本当は薬師如来倚像のクリアファイルが欲しかったのですが、残念ながら商品化されておらず、絵葉書ではありきたりだなぁと迷った挙句、紅葉がデザインされた鈴のお守りに決めました。
正暦寺境内の基壇。
本堂向かって左手前に小高い場所があり、そこに方形の石がありました。かつての正暦寺を偲ばせる基壇の跡でしょうか?ここから少し本堂側へ下った所にも三重塔の基壇跡があります。
ちょっとした腰掛けにもなりそう(笑)
小高い場所から見下ろす紅葉風景も乙なものです。
在りし日の正暦寺境内には、本堂、三重塔、護摩堂、観音堂、地蔵堂、灌頂堂、鐘楼、経蔵、如法経堂、御影堂、十三重塔、弥勒堂、六所明神、鎮守などの堂塔伽藍が建ち並んでいたと云います。その歴史を辿れば、1180年の平重衡による南都焼討で焼失の憂き目に遭っていることが分かります。般若寺界隈からの火の手が、ここ正暦寺にまで及んでいたのですね。
石段の上の聖域には本堂と鐘楼が建っています。
同じく紅葉の名所である談山神社の境内には建造物が密集しています。それに比べれば、実に寂しいものです。本堂前に空いた広い空間が何かを語り掛けてくるようですね。
こんな石仏も祀られています。
本堂向かって左手前の木陰~そこに、三体の石仏が浮き彫りにされていました。
御守の袋には「厄除薬師」と記されています。
薬師如来に現世利益を求める人も多いものと思われます。方角的には東の瑠璃光に通じ、来世のイメージのある西の阿弥陀如来に対します。お薬師さんと言えば、病気を治して下さる仏様という印象があります。正暦寺の薬師如来には厄除けのご利益もあるようですね。
鐘楼横の石の上にお守りを置いて撮影。
身に付けて歩いているだけでも、チリンチリンと音がします。よく神社の拝殿でも鈴緒を揺らしたり、柏手を打ったりしますよね。音には場を清めるチカラがあります。スマホにでも括り付けてみようかなと思います。
堀内薫の俳句碑。
太陽の火の粉となって鳥渡る
歌の意味するところは何なのでしょう?想像するに、正暦寺の燃えるような紅葉が詠われているのではないでしょうか。メラメラと燃える太陽が火の粉となって下界に降り注ぎ、それはまるで朱い鳥が翔けているようだ・・・。誠に勝手な解釈ではありますが、概ねそんなところでしょうか。
菩提仙川の畔にも真っ赤に燃える紅葉が見られます。
川沿いに残された石垣からも、かつての正暦寺の繁栄がうかがえます。
借景庭園と孔雀明王像が見所の福寿院客殿
正暦寺の拝観チケットの下端には切り取り線があり、福寿院客殿の拝観券も付いていました。
本堂で薬師如来倚像や日光月光菩薩像を拝観した後、紅葉の借景が楽しめるという福寿院客殿へ向かいました。本堂から参道を下って行くと、間もなく左手に福寿院客殿の入口が見えて参ります。
福寿院客殿の拝観受付。
延宝9年(1681)に建立された国の重要文化財です。
借景庭園の他にも、他所ではなかなか見られない孔雀明王坐像、さらには狩野永納の襖絵・欄間絵などが見所となっています。福寿院客殿の中に入るのは今回が初めてでした。
「大本山正暦寺」と記された木札が掲げられます。
正暦寺の正式名称は菩提山龍華樹院(ぼだいせんりゅうげじゅいん)と言い、菩提山真言宗の大本山とされます。
山門を入って左に折れると、杮葺き数寄屋風の客殿建築が視界に入ります。
趣のある佇まいに胸の高鳴りを覚えます。
入口付近の土間には竈があって、狸の茶釜が出迎えてくれました(笑)
酒樽が積まれ、菩提酛(ぼだいもと)の清酒も販売されています。酒にも色々あって、大別すれば濁り酒と清酒に分かれるのでしょうが、正暦寺は清酒、つまり「すみざけ」の発祥地です。桜井市の大神神社も酒の神様として仰がれていますが、三輪さんは時代的にも濁酒(どぶろく)の方だと思われます。
酒造りが朝廷から寺院に移ったのは室町時代なんだそうです。
寺院の酒は僧坊酒と呼ばれ、15世紀半ばの正暦寺では醸造清酒の菩提泉酒が醸されていました。
福寿院客殿の借景庭園。
柱を額縁に見立て、まるで絵画のような光景が広がっていました。
庭の背後の塀が低く設計されており、菩提仙川沿いの紅葉が見事な借景となって広がります。
飛び石が流れるような動きを演出しています。
縁側や緋毛氈の上に座って、しばし時を忘れて見入ります。川沿いを歩きながら眺める紅葉も開放的でいいのですが、手前に庭があるだけでグッと印象が濃くなります。
狩野永納(えいのう)の『雪中柳鷺図』。
江戸時代の狩野派の絵師として知られる永納。鑑識に精通し、『本朝画史』を著した人物です。日本初の総合画論を編述した永納ですから、なかなかの理論派だったのかもしれませんね。
こちらは『八重桜に三光鳥』。
夏鳥として日本に飛来する三光鳥(さんこうちょう)ですが、尾の長い鳥として知られます。襖絵の右下に描かれているのがそのサンコウチョウですね。囀(さえず)りが特徴的で、「月日星(ツキヒホシ)」と聞きなしされるそうです。
江戸時代初期に再建された本堂の象鼻。
天保6年(1836)に焼失していますが、今の本堂の2.5倍の大きさであったと推測されます。そんなに大きな本堂が、かつての境内に建っていたんですね。この象鼻は、柱から突き出した端っこの部分に取り付けられる木鼻(きばな)の一種です。龍の頭や獅子などがデザインされることもありますが、正暦寺の本堂には象鼻があしらわれていたようです。
狩野永納の欄間絵。
美しい四季の草花が描かれています。
紅葉の欄間絵もありました。
縁側の上に嵌め込まれた欄間絵を辿りながら、四季の移ろいを感じます。
こちらは正暦寺の旧境内図です。
古地図風に広々とした境内が描かれていました。十三重大塔、大講堂などの文字が見えますね。こんなに大きな塔がそびえていたんですね!もし現代に蘇ったなら、間違いなく人気の観光スポットとなることでしょう。
孔雀明王像のお守り。
黄金に輝くカード型の御守護符です。
上段の間中央に祀られる孔雀明王像は福寿院客殿の本尊とされます。両脇には愛染明王を従え、しなやかな女性の慈愛を感じさせます。鎌倉時代の仏像で、前面左手には水を象徴する果実・吉祥果を持っています。そのため、雨乞い祈祷の御本尊とも言われています。
孔雀は毒蛇の天敵とされます。
孔雀には毒ヘビや害虫を好んで食べる習性があるようです。古来よりインドでは、煩悩を食べ尽くして衆生を救う女神として崇められていました。毒物や災害から人々を守る仏様として、今も多くの信奉を集めています。
荒々しい表情の ”明王” の中にあって、どこか穏やかな菩薩の姿をしています。高野山霊宝館で拝観できる孔雀明王坐像(高野山金剛峯寺)が有名ですが、なかなかお目に掛かれない仏像として知られます。残念ながら正暦寺の孔雀明王像は写真撮影不可です。是非皆さんも、福寿院客殿の拝観ついでにご覧になって下さい。
水引もみじお守り。
紅葉の形をした水引ですね。これは素晴らしい、”水引もみじ” の作り方を是非教わりたいものです(笑)鶴や亀の形をした水引は披露宴会場などでよく目にしますが、もみじ形はさすがに初めてですね。
購入した鈴のお守り。
平重衡の南都焼討ちで多くの伽藍を失った正暦寺。その後、建保6年(1218)に興福寺の別当・信円によって法相宗の学問所として再興され、興福寺の別院となりました。
江戸時代になると、300石もの朱印地を与えられます。しかしながら、明治の廃仏毀釈により再び衰退の道を辿ることになりました。様々な紆余曲折を経て現在に至ります。
客間から護摩堂、瑠璃殿の方へと向かいます。
海鼠壁のデザインが紅葉ともマッチしていますね。
護摩堂。
まだ真新しい不動明王が祀られていました。
12月22日の冬至の日には、冬至祭(中風封じ祈祷)が執り行われます。
護摩堂に於いて護摩祈祷と同時に、中風封じの祈祷が行われるようです。また、参籠所ではカボチャづくしの精進料理の接待も行われるのだとか・・・希望者は事前申し込みが必要となっています。
瑠璃殿への入口。
参拝当日は立入禁止になっていました。
瑠璃殿とは宝物殿のことで、春季特別公開の期間、並びに冬至祭の日に正暦寺所蔵の仏像・秘仏が特別開扉されます。今回の参拝は秋季特別公開の日に当たり、秘仏開帳は本堂にて行われていました。
福寿院客殿の六葉。
釘隠しなどに用いられる飾り金具ですが、まるで孔雀が羽を広げているようですね。孔雀明王像にちなんだ六葉なのかもしれません。
菩提仙川沿いの巨石に落葉が降り積もります。
向こう岸には巧みに組み上げられた石垣を望み、正暦寺が辿ってきた歴史を偲ばせています。
参道の下手に立つ泣き笑い地蔵。
向かって左側が笑い地蔵で、右側が泣き地蔵です。
車で正暦寺にアクセスした際、この二体の地蔵の前で立ち往生を喰らいました。駐車場の整備員によって止められたのですが、上手から下りてくる参拝帰りの車と交替する様にゴーサインが出ました。その甲斐あって、車内からも手を合わす機会に恵まれました。
<正暦寺の拝観案内>
- 住所 :奈良県奈良市菩提山町157
- アクセス:JR・近鉄奈良駅よりバス米谷町行き柳茶屋下車徒歩30分
- 拝観料 :500円
- 拝観時間:3月~11月は9時~17時、12月~2月は9時~16時
- 駐車場 :無料(紅葉シーズンは500円)