山ノ神祭祀遺跡の磐座見学

三輪山西麓には様々な磐座が祀られています。

その中でも山ノ神遺跡の磐座は特筆に値します。

学術的にも重要な古墳時代の祭祀遺跡であり、その主な遺物を大神神社の宝物収蔵庫で見学することができます。

山ノ神遺跡磐座

山ノ神遺跡の磐座。

紙垂の下がる結界に守られ、秘かに三輪山麓に祀られていました。

平面長方形の斑礪岩(はんれいがん)を中心に、5個の石がそれを取り囲む状態で発見されたと言います。石組の下には割石を敷き詰め、地固めをしていたそうです。発見から県の調査までの3カ月間に巨石は動かされ、残念ながら盗掘にも遭っているようです。

発見されたのは1918年(大正7年)と言いますから、第一次世界大戦が終息を迎えようとしていた頃です。地元民がミカン山開墾のために露出していた巨石を動かそうとしたところ、臼玉(うすだま)や子持勾玉、双孔円板(そうこうえんばん)、土製模造品等々が多数出土しました。

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狭井川の畔で三輪山祭祀!聖地出雲屋敷

三輪山を御神体とする大神神社。

禁足地とされる三輪山ですが、山ノ神遺跡の辺りは民有地だったために ”調査の手” が入ったようです。おびただしい数の遺物が見つかり、発見当初はかなり注目を集めたようです。

狭井神社参道木の根っこ

狭井神社鳥居前の木の根っこ。

以前に清掃担当の方にお伺いしたところ、宮司さんがいつもスリスリなさっているようです。一般参拝客も撫でているのか、先端が黒光りしています。

狭井神社

狭井神社。

三輪山登拝口のある大神神社の摂社です。

こちらの注連縄もおそらく掛け替えられたばかりでしょう。

山ノ神遺跡の行き方ですが、狭井神社の手前を左へ向かいます。程なく山の辺の道との分岐点に出ます。そこを右手へ上がって行くのですが、辰五郎大明神やきよめの滝の方向に当たります。弁天さんの鎮女池の畔を縫うように進むと、やがて左手に井戸があり狭井川のせせらぎが聞こえてきます。

さらに歩を進めると、右手に石仏が見えてきます。石仏の上手には菊龍大神が祀られていました。

菊龍大神

菊龍大神の祠。

白蛇の姿が見えています。石の祠にはうっすらと苔が生えていました。

不動石仏

さらにその上手には、お不動さんでしょうか。

ちょっぴり稚拙な造りが愛らしくていいですね。

坂道の到達点には辰五郎大明神が祀られています。その右手前には、きよめの滝のお茶屋さんがあります。きよめの滝周辺に道標があってもいいと思うのですが、残念ながら山ノ神遺跡を示す道案内は付いていません。

辰五郎大明神
狭井神社の鳥居手前を左に曲がると、日本最古の道「山の辺の道」へのルートが開けます。 元伊勢の檜原神社へ向けて出発すると、すぐにY字路へと行き当たります。左手が山の辺の道、右手が辰五郎大明神、きよめの滝へと続く分かれ道です。 複数ある朱色の鳥...

ポイントは辰五郎大明神の鳥居をくぐらないことです。その手前を左へ行きます。

やや獣道のような地道ですが、それとなく道は付いています。今にも壊れそうな木の橋を渡り、そのまま上がって行きます。右手には細く流れる狭井川のせせらぎ・・・しばらくすると、左手にそれらしきものが見えてきます。

山ノ神祭祀遺跡の注連縄

ありました、コレです。

二本の柱に渡された注連縄。

この奥に山ノ神遺跡の磐座が祀られています。

山ノ神祭祀遺跡の注連縄

左端が太く、右端の細い注連縄ですね。

大神神社関連の注連縄は、すべからく皆同じタイプです。皮の付いたままの注連柱が原始的でいいですね。より自然崇拝の空気を漂わせます。

山ノ神遺跡磐座

山ノ神遺跡の磐座。

辰五郎大明神の手前から徒歩3~4分でしょうか。そんなに時間を要することもなく辿り着きました。巨石の周りには白石が敷き詰められ、聖域が守られています。

山ノ神遺跡磐座

葉っぱの影が映り込みます。

まるでプロジェクションマッピングのよう(^.^) 時間帯によって、様々な表情に出会えそうです。

山ノ神遺跡磐座

周囲をぐるっと一周することが出来ます。

三輪町馬場山ノ神に鎮まる磐座で、辺りに人の気配は感じられません。

山ノ神遺跡磐座

木漏れ日も心地良く、心が洗われます。

磐座の背後には、一本の木が立っていますね。

山ノ神遺跡磐座と紙垂

周りを囲う結界の石。

二重構造になっています。

山ノ神遺跡磐座

ここは出雲屋敷と呼ばれる場所でもあります。

イスケヨリヒメの屋敷と伝わり、ただならぬ聖地を思わせます。イスケヨリヒメは大物主の娘であり、神武天皇の皇后になった人物です。神武天皇との馴れ初めは、ささゆり伝説として語り継がれていますよね。

大神神社が鎮まる聖地三輪山
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大神神社に祀られる大物主命。

オオモノヌシとは何者なのか?

日本語で言う「物」や「事」は総体的であり、ぼんやりと抽象化されます。得体の知れないモノは ”物の怪” の「もの」でもあります。

もののけ姫を引き合いに出すのもどうかとは思いますが、それだけ対象の大きさを感じます。

山ノ神遺跡磐座と白石

磐座の周りの5個の石とは、このことでしょうか。

発見当時のままではないにせよ、三輪山祭祀の跡に想いを馳せます。

熊笹

山ノ神遺跡から帰路に就きます。

菊龍大神の上手には熊笹が生えていました。

箸墓古墳

JR三輪駅近くの明神踏切から箸墓古墳を望みます。

卑弥呼の墓とされる巨大前方後円墳を横から見ています。左が前方部で、右が後円部です。後円部の墳丘が高くなっているのが分かりますね。

箸墓古墳築造よりも、時代的には山ノ神祭祀遺跡が後になります。気が遠くなるほど昔に遡ることになりますが、現代に至るまで確実に歴史は積み重ねられていることを思います。

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