狭井神社の鳥居手前を左に曲がると、日本最古の道「山の辺の道」へのルートが開けます。
元伊勢の檜原神社へ向けて出発すると、すぐにY字路へと行き当たります。左手が山の辺の道、右手が辰五郎大明神、きよめの滝へと続く分かれ道です。
複数ある朱色の鳥居をくぐり抜けて、人生初の辰五郎大明神ご参拝。
3つの石碑が建っており、真ん中が辰五郎大明神で、左に稲川大明神、右に早川大明神が並び建ちます。
菊龍大神も祀られる参道
みんなの行場「きよめの滝」と辰五郎大明神へと続く参道沿いに菊龍大神が祀られていました。
石の祠の中には白蛇の神様が祀られていて、此処が三輪山の懐の中であることを再確認致します。
山の辺の道との岐路に辰五郎大明神への道案内が出ています。
訪れたのは6月中旬過ぎでしたが、どうやら辰五郎大明神の手前には綺麗な紫陽花の花が咲いているようです。認知度が上がれば、今後はちょっとした紫陽花の名所になっていく可能性もありますね。
辰五郎大明神を目指して歩き始めると、道の左手に見頃の紫陽花が咲いていました。
これは期待を抱かせますね。
左手に川が流れており、只今工事中といった様相です。
私が小さい頃は、きよめの滝といえば昆虫採集の場所だったような記憶があります。大人になってからはほとんど足を踏み入れることのなかったエリアです。大神神社に参詣される方も、そのほとんどが狭井神社に参拝して山の辺の道を歩くのが限界ではないでしょうか。きよめの滝や辰五郎大明神にまで足を運ぶ参拝客をあまり見かけません。
道中には地蔵菩薩も見られます。
薄暗い山道で、少々気味悪い雰囲気がしないでもありません。或いはこのルートを辿れば、辰五郎大明神でほぼ行き止まりというのも不人気の理由でしょうか。地元の人間としては、山の辺の道のように視界が開けていない分、穴場スポットとして是非おすすめしたいと思います。
右手に菊龍大神が祀られていました。
頑丈そうな石の祠に守られています。
祠の中には白蛇の姿が確認されます。
二匹の蛇が絡み合っています。神社の注連縄なども絡み合った蛇を象徴していると言いますが、ここにもその霊力が感じられます。
こちらはお不動さんでしょうか。
小ぢんまりした石像で、見る者の心を癒してくれます。
辰五郎大明神の謎
山の辺の道との岐路から4~5分歩くと、右手にお茶屋さんのような一軒家が見えて参ります。その前を通って階段を下りていくと、みんなの行場「きよめの滝」へと辿り着きます。
辰五郎大明神はその一軒家からさらに奥の方に鎮まります。
この幟旗の向こう側が目指す辰五郎大明神です。
楽しみにしていたのですが、残念ながら辰五郎大明神手前の紫陽花は見ごろを過ぎていました。
株の数は結構確認できましたので、来年はもう少し早めに訪れてみようと思います。
辰五郎大明神の鳥居。
たくさん並んでいると、商売繁盛の伏見稲荷を思い出しますね。
狐の姿も見られます。
ここはお稲荷さんかと思いきや、どうやら辰五郎大明神の御祭神は不明のようです。
一説によれば、江戸元禄時代の大阪の豪商「淀屋」が祀られているのではないかと伝えられます。あの有名な淀屋橋を架けた「淀屋」ですよね。全国の米相場の基準となる米市を設立し、大阪が天下の台所と呼ばれるようになるきっかけを作った「淀屋」。果たしてその真相やいかに?
辰五郎大明神の提灯。
随分賑やかです(笑)
こちらは御神紋でしょうか。
稲穂の紋が見られますね。
早川大明神の提灯も掛けられていました。
辰五郎は淀屋の5代目に当たり、1705(宝永2)年の財産没収の闕所(けつしょ)処分で知られる人物です。名家の淀屋が一度途切れたその節目に辰五郎は存在していたのです。
そんな辰五郎が、ここ三輪山の麓に祀られているのでしょうか。
先物取引の基礎を築いた淀屋が祀られているとすれば、それはどこか素麺の卜定祭にも通じるところがあるような気が致します。
謎は深まるばかりですね。
古代の聖地である三輪山には、数多くの謎が秘められています。あの天理教の教祖である中山みきも、神山・三輪山を信仰していたと伝えられます。今も三輪小学校の隣で威容を誇る天理教敷島大教会を見れば、単なる噂話ではないような気が致します。