桜井市芝に鎮座する國津神社(九日社)。
国道169号線のすぐ東側に小さな境内があります。九日社の北には箸墓古墳、東に三輪山、国道を挟んで西側には慶田寺が佇みます。九日社(くにちしゃ)は三輪山西麓の辺津磐座群の一つ・陰陽石で知られる神社です。
九日社の磐座。
注連縄を張った陰陽石が祀られていました。
国道の不動橋から南東方向に社叢があり、九日社前をそのまま東へ行くと、道幅の広くなる織田村道路元標の辺りに出ます。
朝日の昇る社!秋祭り「おくんち」との関係
箸墓古墳から東、ホケノ山古墳へ向かう途中にも國津神社があります。
近接する場所に國津神社が二つあるのも興味を引きますね。
磐座を祀る國津神社(九日社)から真東の方向には三輪山山頂があります。いわゆるレイライン(太陽の道)に位置しているようです。長谷寺や三輪山、檜原神社、箸墓古墳と肩を並べる ”聖なる” ライン上です。
先日、三輪山西麓の山ノ神遺跡を訪れましたが、山ノ神祭祀遺跡の磐座も辺津磐座群の一つなのでしょう。
九日社の社頭。
特に鳥居が建っているわけでもありません。
神社前には民家が迫り、生活道路沿いにひっそりと鎮まります。石段を上がると、二基の石燈籠が建っています。その向こう側にお目当ての磐座がありました。
向かって左が陽石、右側が陰石でしょう。
月並みではありますが、五穀豊穣・子孫繁栄の願いが込められているのでしょうか。明日香村の飛鳥坐神社では見慣れた陰陽石ですが、三輪山麓にもあることを知る人は少ないかもしれません。
不動橋の辺りから東を望みます。
三輪山の右手前に見えている社叢が國津神社(九日社)です。
石燈籠の竿に「九日社」と刻みます。
「九日」は「旭」を思わせますね。朝日の昇るお社として仰がれたのでしょう。
九日社を語る上で、「おくんち」との関連に触れないわけにはいきません。
有名な北九州地方の秋祭りに、長崎くんち・唐津くんち・博多おくんち等の「九日(おくんち)」があります。収穫感謝の祭典ですが、9の重なる9月9日の重陽の節句にも由来しているようです。
お隣りの中国では、9は陽の極まる目出度い数字とされます。
陰石を真上から見下ろします。
ここ國津神社の例祭は10月9日に執り行われます。
現在ではひと月遅れで秋祭りが催されることも多々あります。収穫感謝を神に捧げた場所であったことがうかがえます。
境内にはこんな石もありました。
あまり意味は無いのかもしれませんが、ここは三輪山麓です。ちょっと気になったので撮影(笑)
九日社の狛犬と本殿。
神明鳥居の奥に本殿が祀られていました。
九日神社の御祭神。
多紀理比売命、狭依理比売命、多岐津比売命と記されます。
これは宗像三女神(むなかたさんじょしん)ではないでしょうか。アマテラスがスサノオとの誓約の際、スサノオの「十拳(とつか)の剣」を噛んで吐き出した時に生まれた三柱の女神・・・福岡県の宗像大社にも祀られる神様です。
宗像氏は北九州を拠点とし、主に海上交通に活躍した豪族として知られます。朝鮮半島に向けた外交の要として、その役割を果たした宗像三女神。
ここでも北九州のおくんちと繋がりますね。
不思議なことに、桜井市と北九州地方はお互いの地名や風景が重なると言います。北九州在住のお客様が、桜井市内の観光でその類似性に驚いておられたのを思い出します。
ちなみに奈良県桜井市外山にも、宗像神社が鎮座しています。
まるでミルフィーユのように、地理と歴史が重なっていくのを覚えます。
芝村の吉次郎さんが奉納したであろう石燈籠。
芝の旧名は岩田村だったようです。岩田村は”祝田村”であり、三輪山祭祀の神田も検出されていることが注目に値します。
民家を背にする九日社の手水鉢。
改めて言いますが、國津神社の祭礼日は九日です。
掛け算の暗唱でも九九がラストですよね。九九八十一で締め括ります。日本人の感覚では9は吉数ではありませんが、中国では陽の極まる吉数であることを思います。
パワースポットとも言える九日社を参拝した後、国道反対側のお堂へと出ます。
大木の横には鄙びたお堂が建っていました。
このすぐ背後に不動橋が架かっています。
案の定、堂内にはお不動さんが祀られていました。
赤い火炎光背を負う小さな不動尊です。
五穀豊穣と子孫繁栄を祝う場だったのでしょうか。
重陽の節句に合わせ、お酒の上に菊の花を浮かべれば雰囲気が出そうですね。
禁足地の山中のみならず、その麓にも様々な磐座を抱く三輪山。御神体の山を眺めながら、遠く古代に想いを馳せてみます。