罪を犯して駆け落ちしたお話。
亀屋忠兵衛と遊女梅川の”世話物”は、今も三輪から橿原市内にかけてそのゆかりの地を残します。
近松門左衛門の浄瑠璃『冥途の飛脚』で有名な新口村の段。近鉄新ノ口(にのくち)駅から徒歩3分ほどの場所に、忠兵衛の供養碑がある歓喜山善福寺というお寺がありました。
善福寺(ぜんぷくじ)の山門。
屋根の上に華頭窓が見えますね。なかなか洒落た感じの造りです。
実話を脚色した『冥途の飛脚』
近松門左衛門の人形浄瑠璃『冥途の飛脚』。
江戸時代の1711年初演の世話物で、今もなお不動の人気を誇る名作です。
大和の新口村から大坂淡路町に養子入りした飛脚忠兵衛。新町の遊女梅川に入れ込み、為替金の封印を切って身請けします。罪を犯した忠兵衛は、遊女梅川と共に故郷新口村へ逃げ帰るも、最終的には捕らえられてしまうというストーリーです。人は切羽詰まると、故郷が懐かしくなるものなのかもしれません。
新ノ口駅前の「新口村雪の別れ」。
寄り添う二人が居る場所は、おそらく忠兵衛の故郷新口村なのでしょう。
奈良のはたごや三輪の茶屋、五日三日夜を明かし、二十日あまりに四十両、つかひ果たして二分残る。鐘もかすむやはつせ山、よそに見すてて親里の新口村に着きにけるが・・・
実話を元に描かれる情景に、胸詰まるものを感じます。
忠兵衛は大阪千日前の刑場で処刑されています。残された遊女梅川は、近江矢橋の十王堂で尼となり、忠兵衛の菩提を弔いつつ懺悔の日々を50年余りも送ったと伝わります。
善福寺本堂。
向拝の迫り出す立派な建物ですね。
どうやら本堂右手前に見えている石碑が、忠兵衛供養碑のようです。
駅から善福寺へ向かいます。
道中に案内板が出ていました。
程なく善福寺に辿り着きます。
同じ橿原市内の安楽寺には梅川忠兵衛の墓碑があります。桜井市三輪にも茶屋跡が残されており、この作品がいかに愛されてきたかが分かります。
新口という地名。
ニノクチは、承久3年(1221)の「長英田地配分状」(東大寺文書)にも記されているようです。そこには、「二ヰノクチハコノモリ」と書かれており、ハコノモリは「墓の森」で新口の近くの墓山古墳を示します。
「亀屋忠兵衛三百回忌法要記念」と刻みます。
かなり広い場所が取られ、丁重に供養されています。
忠兵衛の供養碑由来。
宝永6年(1709)大阪淡路町の飛脚問屋、亀屋の養子忠兵衛(新口村出身)は遊女・梅川となじみになり、ついに公金300両の封を切って身請けする。
罪を犯して心中するか逃げるしかない二人は、切羽詰まって大和路を彷徨い、三輪の茶屋で数日を過ごしたのち、せめて最後は懐かしの親里新口村へと立ち寄ったが、すでに詮索の手が及んでいた。
古なじみの家に身をひそめる折、寺参りの父、孫右衛門の鼻緒が切れる姿を見かけるが、名乗りもかなわず、駆け寄って介抱する梅川を仲介に父子の情を交わすのみであった。やがて捕まった忠兵衛は大阪で刑場の露と消え、梅川は尼となって忠兵衛の菩提を弔ったとされる。
近松門左衛門が津藩家老の日誌に史実として記録が残っている実話をもとに脚本し、「冥途の飛脚」として浄瑠璃で上演されたことにより、新口村の名が一躍有名となった。
今も歌舞伎や浄瑠璃で上演されている悲恋物語の二人を偲び、役者や歌手をはじめ各地からの参拝が絶えない。この供養碑は忠兵衛屋敷跡にあったものを、明治16年に善福寺の境内に移したものである。
当時も公金横領の罪は重かったのでしょう。
父親と顔を合わすわけにもいかず、そっと物陰で情を交わすシーンなどは、物語の中でも見せ場の一つになっているのではないでしょうか。
碑の前の新しい供花。
全体的に丸みを帯びた五輪塔のようなものも建っています。
普段何気なく梅川忠兵衛、梅川忠兵衛と呼び習わしていますが、「梅川」と「忠兵衛」は別人です。
恋仲の二人をそれぞれに言い表しています。
忠兵衛は梅川ではなく、亀屋であることを再確認します。
立派な山門ですよね。
門前の道はそう広くありませんが、善福寺の門構えには重厚感があります。
門前を左へ取ると、こんな燈籠が建っていました。
少し角度を付けて細い道が続きます。そのコーナーにひっそりと建つ燈籠。
狭苦しい。
なんだか申し訳なさそうです(笑)
鬼瓦には「福」と刻まれています。
おそらく善福寺の「福」でしょう。
善福寺では雅楽教室も開かれているようです。
マックポテトの紙容器に雅楽器が挿し込まれます。
浄瑠璃でも歌舞伎でも、新口村の段を一度でいいから観劇してみたいものです。
変わらぬ名文句を、広い劇場空間で体感してみたいと思います。
近鉄橿原線の沿線には、かなり巨大な看板が立っています。
”忠兵衛菩提寺” の浄土真宗善福寺が案内されます。
近鉄新ノ口駅。
改札を出た所です。
急行が停まらない駅で、そんなに大きな駅ではありません。
駅西側にある冥途の飛脚のワンシーン。
ロータリーになっていて、時々送迎の車が行き交います。
新口村の花壇。
新ノ口駅周辺を歩いていると、梅川忠兵衛一色なのがよく分かります。
地域おこしの熱意が感じられますね。
アニメの聖地巡礼など、コンテンツツーリズムが声高に叫ばれる昨今です。
独自のストーリーを伴う観光。物語がそのまま観光の魅力を掘り起こします。数多くの舞台で演じられてきた冥途の飛脚は、間違いなくコンテンツツーリズムの対象になるでしょう。
線路沿いに建つ不思議な家。
「大和路忠兵衛カンパニー」と記されています。
町興しの一環で、何かの活動をなさっているのかもしれません。
線路脇にも灯籠が建っていました。
これも善福寺(忠兵衛供養碑)の延長線上でしょう。
寂しげな昔風情の灯籠が、私たちをせつない悲恋物語へと誘います。