第15代応神天皇のお宮跡が橿原市大軽町にあります。
下ツ道(国道169号線)を吉野方面へ向かい、橿原神宮前駅を過ぎた辺りで左折します。交差点の名前は「見瀬」で、巨大な前方後円墳・見瀬丸山古墳(五条野丸山古墳)で知られるエリアですね。
大軽春日神社(軽島豊明宮跡)。
どうやら神社の境内が宮跡として比定されているようです。
鳥居をくぐって拝殿前に出ると、そのすぐ左手に法輪寺(軽寺跡)があることに気付きます。
天児屋根命を祀る大軽春日神社
大軽春日神社の御祭神は天児屋根命です。
拝殿前には拝殿改築記念の石碑、さらには応神天皇軽島豊明宮跡の伝承碑が建立されていました。
応神天皇といえば、剣池(石川池)や軽池を造成した天皇でもあります。剣池(つるぎのいけ)は孝元天皇陵として整備され、背後に連なる山々と共に美しい風景を作り出しています。
応神天皇軽島豊明宮跡(かるしまとよあきらのみやあと)の伝承碑。
すぐ近くに民家が迫っていました。
静かな境内です。
案内板もありましたが、かなり古いようで既に判読不能です。
万葉歌碑ですね。
天飛ぶや 軽の杜の 斎槻幾世まであらむ 隠妻そも
作者不詳と付されています。
「軽の杜」と詠われていますが、歴史書にも頻出する軽の巷を思い出します。
春日神社から少し北へ行くと、「丈六」交差点があります。
丈六は古代の厩坂(うまやさか)のあった所とされます。丈六の地名由来ですが、近くの厩阪寺(うまやさかてら)の本尊の像高が4.8m(=丈六)だったことに因みます。古代の丈六は交通の要衝であり、「軽の市」「軽の巷」と呼ばれ栄えていました。
改築記念碑と石灯籠の間に、何やら石造物がありますね。
はて?あれは一体なんでしょう。
反対側から撮影。
う~ん、よく分かりません。
小冊子に目を落とすと、”付近にハート形のほりくぼめを持つ花崗岩の水盤があります。” と記されています。これがその水盤でしょうか。
大軽町自主防災会。
現住所の大軽町(おおがるちょう)は濁音で発音します。
応神天皇の御陵は羽曳野市誉田にあります。古市古墳群の中でも最大の前方後円墳です。巨大な御陵に比して、実に小ぢんまりとした宮跡ですね。