八木札の辻交流館で見学!谷三山の書

2012年秋に催されたHANARART八木札の辻会場。

奈良にゆかりのある人物として、幕末に活躍した谷三山のことをご存知の方も多いのではないでしょうか。谷三山は江戸時代後期の儒学者で、幕末の混乱期に尊王攘夷を説き、あの吉田松陰も教えを請った人物として知られます。

八木札の辻交流館の屏風

八木札の辻交流館

二階の床の間に谷三山の書が掲げられています。

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吉田松陰にも影響を与えた谷三山

谷三山は幼い頃に聴力を失い、年老いてからは視力をも失ったと言います。

筆談を通して様々な人々と交わり、数多くの功績を残した偉人です。八木札の辻交流館のガイドの方にお伺いしたんですが、谷三山の生家は八木の町に今も残されているそうです。

谷三山の書

谷三山の書。

「松菊猶存」 ”しょうきく なお ぞんず” と読みます。

HANARARTアート作品

町家の芸術祭・HANARART期間中ということもあってか、交流館の中は様々なアート作品で埋め尽くされていました。

新進気鋭のアートにも心惹かれるものがありますが、やはりこの辺りは谷三山ゆかりの地。個人的な感想ではありますが、谷三山の書が一番魅力的でした。聴力を失ってからも独学で正史経学に励み、兄と共に京都に遊学し、当時の一流儒学者であった猪飼敬所(いかいけいしょ)に師事します。

以前にヘレンケラーの映画を見たことがありますが、三重苦を背負ったヘレンケラーにはサリバン先生という支持者がいました。想像の域を出ませんが、谷三山にはお兄さんの影響が大きかったのかもしれませんね。

松菊猶存

谷三山の書「松菊猶存」の意味が解説されていました。

隠遁生活をしていても、昔の知己があるということの例え。世は乱れても、節操の高い人物はいる・・・なるほど、幕末の時代に生きた谷三山の人生が凝縮された言葉ではないでしょうか。

谷三山の書

松菊。

松菊に例えられているのは、吉田松陰や頼山陽のことでしょうか?

あるいは猪飼敬所の元で共に学んだ同士のことでしょうか、はたまた自身が開いた私塾「興譲館」の教え子たちのことなのでしょうか。いずれにせよ、信念を持ち続けた谷三山の姿勢が伺えます。

平田家の建築資材

八木札の辻交流館の開館に当たって、整備工事が行われた東の平田家(旧旅籠)。

その時に出てきた古い建築木材が展示されていました。

自ら開いた私塾の興譲館が高取藩に認められ、士籍を与えられた谷三山。

主な著書に、「松居礼記」「淡画庫随筆」「竜聴漫筆」などがあります。谷三山は吉田松陰の思想にも影響を与えたであろう人物です。谷三山の書を拝見するだけでも、八木札の辻交流館を訪れる価値はありそうです。

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