航空祖神を祀る神社。
大和郡山市矢田町にある矢田坐久志玉比古(やたにいます くしたまひこ)神社には、饒速日命(にぎはやひのみこと)が祀られています。天孫降臨の際、天磐船から三本の矢を射て、その落ちた所を宮居にしたという伝説が伝わります。
久志玉比古神社の楼門。
航空の神らしく、木製のプロペラが奉納されています。
日本広しと言えども、参道の中央にプロペラが掲げられている神社は珍しいのではないでしょうか。
パワースポット矢落大明神!二之矢塚と一対の磐座
特徴的な楼門を抜けると、左手に二之矢塚があります。
天磐船に乗って降臨する際、饒速日命はお宮の場所を定めるために三本の矢を射ました。三本の矢の内の二本目が落ちた場所が二之矢塚であり、矢田の地名の由来にもなっています。
伝承二之矢塚の石碑。
一之矢が落ちたのは境内から南へ500mほどの地点で、三之矢は北へ500mの「伝承邪馬台国想定地」に落ちたと伝わります。矢田坐久志玉比古神社が「矢落(やおち)神社」、「矢落大明神」と称される所以ですね。
実はニギハヤヒはこの地に降り立つ前に、哮峯(たけるがみね;交野市の磐船神社)に降臨しています。ところが、そこでは祭祀を営むのみで居住することはありませんでした。再び天磐船に乗って大和の天空を駆け巡り、「吾が宮居の地に導き給え」と願いながら天羽羽矢(あめのはばや)を三本放ったと伝えられます。
二之矢塚の左側に目をやると、瑞垣に囲われた磐座がありますね。
二之矢塚横の天磐船石(舟人神)。
饒速日命は天磐船に乗って空を飛んだと伝わります。
この磐座はその磐船の欠片、もしくは天磐船の降りた地点の下から盛り上がってきた磐座とも言われます。宮座の人々は毎年この磐座に縄を巻き付けて、互いの出自を確かめ合うのだそうです。縄がぐるぐる巻きにされ、肝心の磐座が見えなくなることもあるようです。幸運にも私が訪れた時は、磐座の表面を確認することが出来ました。
天磐船石の反対側の磐座。
注連縄と紙垂で結界が張られています。天磐船石とは違い、少し尖った形をしていますね。
拝殿前に対を成す2つの磐座は、鶴と亀を表しているとも言われます。
鶴亀石だとすれば、こちらの磐座は鶴でしょうか。
天磐船の故事から、大空の守護神と崇められる久志玉比古神社。
ここはその聖域とも言える場所です。
朽ちかけた縄がまた雰囲気を助長しますね。
明日香村には「くつな石」という神秘的な磐座がありますが、”朽ち縄(くちなわ)”から「くつな」に転訛しました。その姿からも蛇神を連想させるわけですが、不思議なことに神社の鳥居手前にも長い勧請縄が張られています。
矢田坐久志玉比古神社の楼門。
花を手前に、このアングルもいいですね。
矢田坐久志玉比古神社の一の鳥居。
笠木に反りを持つ明神鳥居の向こうに、楼門プロペラを望みます。
立派な楼門です。
陸軍九一戦闘機の木製プロペラが奉納されています。
京都石清水八幡宮の近くに、空の安全を祈願する飛行神社があったことを思い出します。飛行神社の歴史は比較的浅いですが、矢田坐久志玉比古神社は延喜式内大社にも列せられる古社です。
狛犬の脚には白い紐が結び付けられていました。
止め事祈願の願掛けでしょうか。
プロペラの上には、源田実の筆による「航空祖神」の文字が見えます。
楼門には手摺りもありますね。階上へ登ることが出来るのかもしれません。
矢田坐久志玉比古神社では、毎年9月20日に航空祭が執り行われているようです。
石燈籠の竿に「矢落社」と刻みます。
矢田寺や矢田丘陵など、観光ガイドブックにも「矢田」という地名はよく見られます。矢田の由来は、ニギハヤヒの射た矢が落ちた場所だったのですね。
拝殿格天井の向こう側には、「矢落大明神」の扁額が掛かります。
本殿側に掛かる幕に”御神紋”らしき矢が描かれていますね。
矢田坐久志玉比古神社の絵馬。
御神紋の矢尻付き違い矢がデザインされています。
軒丸瓦にも「矢尻付き違い矢」が刻まれます。
その周りにはたなびく雲のような意匠が見られます。ニギハヤヒの天降りシーンが蘇ってきます。
矢田坐久志玉比古神社の御祭神は、ニギハヤヒこと櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)と、その妻に当たる御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)とされます。
ミカシキヤヒメは長髄彦(ナガスネヒコ)の妹です。
ナガスネヒコは神武東征において、神武天皇の最後の砦となった宿敵ですね。ニギハヤヒの妻となったミカシキヤヒメは、物部氏の祖先神と仰がれる宇摩志麻遅(ウマシマジ)を生んでいます。このことからも、矢田坐久志玉比古神社は物部氏につながる神社であることが分かります。
神武天皇と長髄彦の戦いは、意外な決着を見ることになります。
長髄彦側に付いていたはずの饒速日が、長髄彦を殺して神武天皇に降るという結末を迎えます。古代史の謎の一つとして語り継がれることになるわけですが、そこに隠されたメッセージは何なのでしょうか。
神馬の腹部にも御神紋が見られます。
今にも右脚を前へ運ばんとする、躍動的な神馬です。
矢田坐久志玉比古神社の社叢脇。
矢田寺に近いことで知られる神社ですが、ならみんぱく(奈良県立民俗博物館)へも徒歩圏内です。さらに神社前の道路に出てくると、石の瑞垣が巡っていました。
瑞垣と勧請縄。
延々と長い勧請縄が張られています。
特殊神事と伝わる綱掛祭が毎年1月8日に行われます。この勧請縄はニギハヤヒの蛇神性を表しているのではないかと思われます。
社号標と一の鳥居。
河内の磐船神社に天降り、そこから大和の”鳥見の白庭山”に住んだという饒速日命の伝説。
鳥見の白庭山とは、矢田坐久志玉比古神社の境内に他なりません。
社号標から右手へ進んで行くと、ここも境内なの?と思うような場所に縄が掛かっていました。
木の幹にぐるぐる巻きにされ、延々と結界が張られています。
室町時代の本殿は重要文化財に指定されているようです。
矢田坐久志玉比古神社の本殿は春日造の立派な建物です。
鎌倉時代の八幡神社社殿も重文指定を受けています。
矢田坐久志玉比古神社の八幡さんは末社に当たるようです。
天降る(あまくだる)。
ニギハヤヒの降臨は、神様が天界から葦原の中つ国へ行くことを意味しています。新聞紙面を賑わす”公務員の天下り”も、天孫降臨に由来しているようです。
楼門の木鼻。
柱の外側に突き出た部分ですが、興味深い建築意匠ですね。
矢田坐久志玉比古神社の航空写真。
周辺道路や本殿奥の社叢の広がりがよく分かります。
拝殿前。
赤い実を付けていますが、これは万両でしょうか。
迫り出す軒先にも迫力を感じます。
推進力を生むプロペラが、楼門もろともに飛び立ったとしたら・・・そんな空想の世界に遊びます。
純白の紙垂(しで)も ”結界” の役目を担います。
此処から先は聖域です。
倉庫のような建物もありました。
軒下に注連縄と紙垂が下がります。
シャッターの奥には、神社関連の大切な物が収納されているのでしょう。
狛犬が両脇を固める楼門。
狛犬のひとつ奥には、石灯籠も一対を成しています。
楼門全体が左右対称のシンメトリーですね。今にも翼を広げて飛び立ちそうな雰囲気です。
拝殿の奥に見える本殿。
自然の木立に囲まれながら、饒速日命とその妻が祀られます。
矢田坐久志玉比古神社の本殿。
屋根の上に千木を載せ、ひっそりと祀られていました。
前面の瑞垣塀には、黒く塗られた三角形の山が連なります。あれはおそらく鋸歯文を表しているのでしょう。
二之矢が落ちた境内。
実は二之矢塚のある場所ではなく、本殿近くに落ちたとも伝わります。
拝殿へのアプローチ。
屋根が反り返り、こちらもなぜか翼を思わせます。
矢田地方の総鎮守。
飛行機の守り神でもあることから、旅の安全を祈願する参拝者も多いことでしょう。お参りの際には、象徴的なプロペラをはじめ、天磐船の遺跡も必見です。
周辺観光スポットとしては、矢田寺、東明寺、矢田山遊びの森、大和民俗公園・ならみんぱく、柳澤家の菩提寺・永慶寺などがおすすめです。矢田坐久志玉比古神社へのアクセスですが、最寄駅は近鉄郡山駅になります。駅から奈良交通バスで横山口バス停まで15分、そこから徒歩10分で到着します。