談山神社境内の北西隅にある閼伽井屋(あかいや)。
異形の七福神・福禄寿を祀る総社拝殿の向かって右奥に当たります。多武峯には古来より、水の信仰が伝わります。末社・龍神社には談峯龍神像(だんぽうりゅうじんぞう)が祀られていたようです。
談山神社の閼伽井屋。
格子戸の中を覗くと、確かにスピリチュアルな雰囲気を漂わせる井戸がありました。
北西方向の井戸。
家相の観点からも問題は無いようです。東西、あるいは北西、南東方向は良しとされます。間違っても鬼門に井戸を設けてはなりません。そういえば、唐招提寺の井戸も境内の北西方向にあったことを思い出します。
重要文化財の摩尼法井
談山神社の閼伽井屋は国の重要文化財に指定されています。
閼伽(あか)とは、仏教用語で供養、功徳、または功徳水を意味します。貴賓または仏前に供える飯・花、特に水のことを表すようです。閼伽井は閼伽の水を汲む井のことですので、談山神社の井戸水は功徳水として供えられていたのでしょう。
重要文化財の閼伽井屋。
屋根はこけら葺で元和5年(1619)の造営。この中の井戸は「摩尼法井(まにほうい)」と呼ばれ往古、定慧(じょうえ)和尚が法華経を講じたとき、龍王の出現があったと伝えられている。
談山神社は藤原鎌足の霊を弔うため、息子の定慧が談山妙楽寺(談山神社の前身)として建立しています。
井戸から龍王が出現したというわけですね。
なんとも有難い井戸ではないでしょうか。摩尼法井(まにほうい)という名前がまたいい。談山神社東大門から続く参道沿いに建つ ”摩尼輪塔” が思い出されます。
“龍神出現の井戸” と記されています。
井桁状の扉が、そのままの「似姿」で映ります。
こちらは末社・総社本殿。
閼伽井屋の南に建つ重要文化財です。
総社拝殿の真後ろに、こんなに立派な建築物が控えているとは談山神社も奥が深いですね。
重要文化財の末社・総社本殿。
延長4年(926)の勧請で、天神地祇・八百万神をまつり日本最古の総社(そうじゃ)といわれている。
現在の本殿は、寛文8年(1668)造替の談山神社本殿を寛保2年(1742)に移築したものである。
実に堂々たる構え。
かつて多武峯における水の信仰は、インドや中国の龍神信仰と結び付きました。
お正月シーズンに特別公開される談峯龍神像ですが、その顔立ちは異国人のように彫りが深く、肌は黒色です。それもそのはず、インドの八大竜王を模しているのではないかと言われています。
閼伽井屋の近くに生える木。
幹をくねらせ、まるで昇竜の姿を思わせます。
龍ケ谷の「古代の岩くら」と「龍神社」。
道案内が付いていました。
清らかな瀧が流れ、龍神信仰の名残を感じさせます。
注連縄が張られ、そこに紙垂が下がります。
雰囲気有りますね、境内の隅っこにも見所が詰まっていました。
仏に供える浄水は、古来「閼伽の水(あかのみづ)」と呼ばれていました。
仏教の言葉であることからも、かつてここがお寺であったことを想起させます。神仏分離によって、談山妙楽寺から談山神社に変わった歴史があります。談山神社から山を下った所にある聖林寺も、その起源は談山神社の別院として創建されていることを付け加えておきます。
談山神社へお参りの際は、龍神出現の井戸にも手を合わせておきましょう。