談山神社の拝殿で見た「枝鞠図(えだまりず)」。
談山神社のけまり祭は4月29日の昭和の日と、11月3日の文化の日に催されています。いずれも観光シーズンの祝日に当たり、未だに拝見出来ずにいる祭事の一つです。おそらく今後も見学は難しいものと思われますが、そのイベントの一端を垣間見ることができました。
談山神社に展示される蹴鞠。
リアルですね、思っていたよりも大きいサイズに釘付けになります。円形にした二枚の鹿皮を巧みに縫い合わせて作られています。重さは約150gとのことです。大量生産できるものでもなく、手作りで作られていることからその大きさや重さにはバラツキがあるようです。
蹴鞠の風習を今に伝える枝鞠図
私は今まで、枝鞠(えだまり)というものの存在を知りませんでした。
けまり祭の行われた翌日の新聞にも、鞠を蹴り上げる人(鞠足)の写真が掲載されるだけです。鞠を落とさないように蹴り続ける遊戯であることは誰でも分かるのですが、その蹴鞠が行わる前の儀式のことは全く知りませんでした。
江戸時代の枝鞠図。
宮中画所預の土佐光貞が描いた枝鞠図。神前や仏前で蹴鞠を行う時は、事前に枝鞠といって、鞠を枝に付けて祈念した後、鞠庭で解鞠の儀式をしてから始める。談山神社の蹴鞠祭においては楓の枝が用いられる。
蹴鞠に使われる鞠が枝に括り付けられていますね。
鞠庭(まりにわ)において蹴鞠が行われる前に、楓の枝に取り付けられた鞠に祈りが捧げられているようです。お祓いされた枝鞠から鞠を解き放つ儀式が行われた後、いよいよ祭事は蹴鞠へと移っていきます。
解鞠の儀(ときまりのぎ)は、一座の長老によって行われているそうです。
神廟拝所(講堂)と十三重塔。
鎌足公の神像を祀る神廟拝所と総社拝殿の間にけまりの庭が広がります。
けまりの庭の手前に大型テントが張られていました。
今回私が訪れたのは、紫陽花の咲く初夏の談山神社です。紫外線対策なのでしょうか、かなり大きなテントが太陽光を遮っていました。この下に避難すれば、とりあえずは安心ですね(笑)
表面の細かい皺がいい味を出しています。
なぜ談山神社に於いてけまり祭が行われるのか?御祭神である藤原鎌足にちなむものであることは想像に難くありません。時は皇極天皇3年(644)の正月、法興寺(飛鳥寺)の槻の樹の下で歴史的な出会いが演出されたのです。
飛鳥寺西方で蹴鞠に興じる中大兄皇子。
中大兄皇子の脱げた皮沓を拾い上げたのが中臣鎌足(藤原鎌足)だったのです。その後、大化の改新へと歴史は向かっていくことになります。
談山神社本殿と楼門。
談山神社のけまりの庭は、約15m四方にも及ぶそうです。
鞠庭の四隅には古式に則り、松・桜・柳・楓の懸木(かかりぎ)が立てられます。位置的には東北に桜、東南に柳、西南に楓、そして西北に松とされます。
本殿に祀られていた鞠が鞠庭に運ばれ、「アリ」「ヤ」「オウ」の掛け声と共に8人の鞠足(まりあし)が一心同体となって鞠を落とさぬよう次の人に蹴り渡します。蹴鞠に勝ち負けはありません。皆が無念無想の境地に入って演じ続ける遊戯なのです。
蹴鞠は平安末期以降盛んに行われるようになり、飛鳥井家・難波家の両家を師範としています。
蹴りやすい鞠を相手に渡すのが”蹴鞠道”だと言われます。落とした人が悪いのではなく、落としてしまうような鞠を渡した方が悪いのです。キャッチボールの精神にも通じるものを感じますね。勝敗が付くサッカーとはまた一味違った遊びであることが分かります。
京都の今出川通沿いに白峯神宮という蹴鞠の神様がいらっしゃいます。蹴鞠の宗家・飛鳥井家の邸宅が近くにあったようですが、サッカーの神様としても崇拝を集めています。
談山神社のけまり祭は、枝鞠に祈りを捧げ、皆で心を一つにして披露される神事です。日本の歴史が大きく舵を切るきっかけにもなった蹴鞠・・・今でも蹴鞠保存会の方々を中心として、その伝統が守られています。