正岡子規が奈良に残した足跡を辿ります。
場所は「日本料理天平倶楽部」の裏庭にありました(2010年8月)。
子規の庭。
国語の教科書でもおなじみの正岡子規の横顔。
結核を患った正岡子規!秀逸な歌の数々
正岡子規は夏目漱石とも交流があったようです。
漱石とは対照的に前向きで明るい性格の人だったようです。
子規の庭の奥の方 ~ 東大寺大仏殿を背景に正岡子規の歌碑が建てられています。
秋暮るる奈良の旅籠や柿の味
子規の庭のある場所は、その昔、對山樓(たいざんろう)という名旅館の敷地でした。
對山樓に宿泊した子規が、夕飯後に宿屋の下女に柿をむいてもらって食べたという逸話が残されています。
正岡子規の有名な俳句 ”柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺” も記されていますね。
結核を患った子規が奈良を訪れたのは、明治28年の10月、子規28歳の秋でした。
時鳥(ホトトギス)が口を開けると、喉の赤いことが分かります。子規(ホトトギス)という名前は結核に由来していると言われます。運命を受け入れて前へ進んで行こうとする正岡子規の強い意志が感じられますね。
向こう側に見えるのが「日本料理天平倶楽部」の建物です。
子規の庭には、樹齢百数十年近い柿の古木が立っています。正岡子規の孫に当たる造園家の正岡明氏が設計した庭園です。
子規の庭の出入口には、こんな注意書きがありました。
奈良の鹿が、庭の新芽や花を食べてしまうんですね。子規の庭に出入りする際には心しておきましょう。
子規の庭に咲く百日紅。
正岡子規が奈良で詠んだ句に ”大仏の足もとに寝る夜寒かな” があります。
ここは東大寺大仏殿のお膝元、子規が東大寺の大仏を身近に感じながら奈良でのひとときを過ごしていたことが分かります。
平成18年秋に柿の古木周辺を「子規の庭」として整備されたようです。
東大寺転害門や正倉院もほど近く、奈良散策のついでに是非立ち寄ってみたいおすすめスポットでした。