葛城古道に鎮座する葛城一言主神社を訪れて参りました。
境内の御神木・乳銀杏はあまりにも有名です。見事に黄葉した写真をあちこちで見かけるのですが、今回のお詣りは9月半ばということもあり、乳銀杏よりも開花し始めた彼岸花に目を奪われた参拝となりました。
葛城一言主神社の乳銀杏。
まだ青々とした銀杏もいいものですね。つっかえ棒に支えられた乳銀杏には注連縄が張られています。
葛城一言主神社の御祭神は一言主大神と幼武尊(わかたけのみこと)です。一言主は事代主とも言われます。事代主は恵比須神社に祀られる言霊・託宣の神として知られます。一言の願いを叶えてくれる神様というわけですね。
一言主神社の由緒
御祭神の幼武尊ですが、これは雄略天皇のことです。
第二十一代雄略天皇(幼武尊)が、葛城山で狩りをした時に顕現されたのが一言主大神であると伝えられます。
葛城一言主神社の拝殿。
一言主大神は天皇と同じ姿で葛城山に現われたと云います。
雄略天皇はそれが一言主大神であることを知り、大御刀・弓矢・百官どもの衣服を奉献したそうです。一言主大神を深く崇敬した天皇は、大いに御神徳を得られたというお話が伝わります。
一言主大神は、自ら「吾(あ)は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主の大神なり」と、ご自身の神力をお示しになられました。一言(いちごん)さんと呼び慕われる所以ですね。ここに言う「言離(ことさか)」とは、解決することを意味しています。実に頼もしい限りですが、一言で解決する神様ということになりますね。
一言主神社参道手前の道標。
反対方向の森脇も案内されています。稲穂がたわわに実り、充実した秋の気配が漂います。
参拝当日は祭典が催されていたようで、参道沿いにはたくさんの車が駐車していました。私は残念ながら参道沿いに駐車することができなかったので、引き返して県道30号線沿いの森脇バス停近くの空いたスペースに車を停めることになりました。
参道沿いの彼岸花。
ちらほらと開花していました。葛城古道も明日香村と並んで彼岸花の名所として知られます。長閑な田園地帯が広がり、東の彼方には大和三山を望むことができます。秋のハイキングにはうってつけの場所で、数多くのハイカーたちで賑わいを見せます。
参道を進んで行くと、程なく道路の左半分に一言主神社の鳥居がありました。
右手が車道、鳥居下をくぐる左手が歩道というすみ分けでしょうか。
百度石がこの位置にあるということは、一言主神社のお百度参りは相当体力が要るようです。拝殿まではまだ距離があります。拝殿下には石段もあることを考えると、階段の上り下りも必須ということになります。一言だけ、とは言ってもなかなか大変な祈願になりそうです(笑)
天皇に従わなかった土豪・土蜘蛛伝説
上古の昔、葛城山に居たとされる土蜘蛛。
「土蜘蛛」は神話の時代から朝廷勢力に背いた豪族の蔑称とされますが、能の舞台でも土蜘蛛を観ることができます。源頼光の病床へ妖怪の土蜘蛛が僧形で現れます。頼光に斬り付けられた土蜘蛛が、葛城山に追い詰められて退治されるというお話です。
能舞台での土蜘蛛は妖怪としてデフォルメされていますが、実際には人であったものと思われます。
蜘蛛塚。
石の鳥居をくぐると、すぐ左手にありました。
塚はお墓のことですから、これぞまさしく葛城山に伝わる土蜘蛛のお墓ということなのでしょうか。
蜘蛛塚の手前にもヒガンバナが咲いていました。
神武天皇は東征の折、土蜘蛛を捕えて彼らの怨念が復活しないように頭、胴、足と別々に埋めたと伝えられます。葛網の罠を作って捕らえたことに因み、この地を葛城と称したそうです。葛城の地名由来にまつわる面白いエピソードですね。手足が長く、穴居して強暴であった土蜘蛛。手足の長い土蜘蛛を捕えるには、やはり網が必要だったのかもしれません。
それにしても、参道沿いのあちこちに車が停まっています。
土蜘蛛伝説は葛城山以外にも、全国のあちこちで言い伝えられています。
「常陸国風土記」茨城群の条を見てみると、黒坂命(くろさかのみこと)が茨の網を作って土蜘蛛を退治したというお話が出てきます。茨の網で捕えて退治したことに因み、茨城(いばらき)の地名が誕生したそうです。
一言主神社周辺の地図。
緑色のルートが葛城古道ですね。駒形大重神社、九品寺の千体石仏、葛城一言主神社、長柄神社などの観光名所が案内されています。山手の方へ行くと、水分神社が鎮座しているんですね。
葛城一言主神社は元々、葛城山頂に祀られていたそうです。山の麓に移され、より参拝しやすくなったという点では有り難いことです。
拝殿へ続く石段の右手に祀られる祓戸社。
後で分かったことなのですが、葛城一言主神社境内にはもう一つの祓戸社が拝殿横にあります。
拝殿前には数多くの参拝客が詰め掛けていました。
この日は秋季大祭の当日だったのでしょうか。
拝殿右手前に「秋季大祭」の看板が立てられていました。年中行事として9月15日に催される葛城一言主神社の秋の大祭では、参拝者が願い事を書いた祈祷串を火にくべます。その後、天狗やお多福などのお面を被った神様役が現れて福を授けてくれるという流れです。
一段高い拝殿前の斎庭から、今来た参道の並木を見下ろします。
真下は駐車場でしょうか。ここは空気の澄んだ清々しい場所です。
葛城一言主神社の土蜘蛛塚。
拝殿の右横にも土蜘蛛の塚がありました。
注連縄と紙垂で結界が張られ、手厚く祀られています。
穴に籠って生活していたから「土隠(つちごもり)」。そこから土蜘蛛と言われるようになったとも言いますが、弥生人が縄文人を蔑視した呼称との説もあります。いずれにしても、どの時代にも反対勢力は存在します。天皇に反旗を翻した土蜘蛛を、こうやって手厚く祀っていることに興味を覚えます。
拝殿右奥の至福の像と手水舎。
至福の像はボケ除け・長寿祈願の像とされます。
老夫婦の像なのでしょうか。
南瓜を膝の上に置いています。手で口を覆っている像前に置かれているのも、おそらく南瓜ではないかと思われます。冬至に南瓜を食べると中風に罹らないと言います。中風除けの南瓜を意味しているのかもしれませんね。
境内社と無患子(ムクロジ)
葛城一言主神社にも、幾つかの境内社が祀られています。
拝殿の右手奥に歩を進めると、幾重にも重なる朱色の鳥居が見えて参りました。
一言稲荷神社の鳥居。
歓送迎会などで、人の作るアーチの中をくぐり抜けた経験をお持ちの方も多いものと思われます。居並ぶ鳥居の下をくぐり抜ける時、神様から歓迎されている実感があります。不思議なものですね。
鳥居をくぐり抜けた先に、一言稲荷神社の祠が建っていました。
両サイドにはお稲荷さんらしく、狐の像が居座ります。
こちらのお稲荷さんも、一言の願いであれば叶えて下さるのでしょうか。
以前、私は「叶」という漢字について面白い話を聞かせて頂いたことがあります。口偏に十(プラス)と書いて「叶」と読みます。そうなんです、前向きな発言をしていれば願いは叶うのだと。プラス思考でさえいれば、いずれ願い事は叶うのだと教えられました。
一言稲荷神社の右側に並ぶ境内社。
市杵島社、天満社、住吉社、八幡社・神功皇后社の4つの祠が並びます。
かなりの至近距離から、順番にお参りをして再び拝殿前へと戻ります。
うわっ、すごいですね。
おみくじの結び処が真っ白になっていました(笑)
無患子と大礼記念館の石標。
巨木の背後に葛城一言主神社の大礼記念館がありました。一言主神社のシンボルは乳銀杏ですが、こちらの木もかなりのサイズで迫って来ます。木の名前は何だろう?そう思って近づいてみました。
樹齢650年の無患子(ムクロジ)。
無患子の果実は球形です。その中の黒い種子が、羽根つきの羽根の玉の部分として使われています。果皮は石鹸の代用にもなるようで、人間の生活に役立つ木としても知られます。「患わない」ということで、縁起も良さそうですね。
無患子の太い幹からにょきにょきっと出ていました(笑)
これは猿の腰掛でしょうか?
子宝祈願の乳銀杏
葛城一言主神社の名物と言えば、やはり秋の黄葉が美しい乳銀杏でしょう。
黄葉シーズンにはまだ早かったものの、緑色のイチョウ葉とのコントラストも実に見事でした。
境内のベンチ横に樹齢1,200年を数える乳イチョウが聳えます。
手前に張られた結界には撫で蛙がいました。
撫で蛙。
おそらく「無事帰る」「待ち人還る」「お金が返る」等々に掛けられた縁起物ではないでしょうか。
奈良市内の率川神社境内にも、同じような意味合いの蛙石があったことを思い出します。
樹勢が心配される乳銀杏ですが、元気な姿を見ることが出来ました。
それにしても、見事なお姿ですね。
もののけ姫にでも出てきそうな、そんな神秘性を漂わせます。
乳房のように垂れ下がるのは気根です。古木にしか見られないこの ”乳房” には、巨木の表面積を広げる目的があります。コンニャクをちぎって煮含めるのと同じ原理ですね(笑) コンニャクも表面積を広げることによって、味の含みを良くします。この乳房には、内外の空気を交換する気根の働きを良くする効果があります。生命をつないでいくための知恵なのでしょうか、大自然の営みを感じますね。
平成9年7月18日に保護樹木に指定されているようです。
幹の途中から乳房のようなものがたくさん出ており、「乳イチョウ」「宿り木」と呼ばれている。この木に祈願すると子供を授かりお乳がよく出ると伝えられており古くから親しまれてきた。白い蛇が住みついているといわれ人々の信仰を集めている。
角度を変えて。
青々とした銀杏の葉っぱも素敵ですね。
乳銀杏の御前に進み出ます。
左手に紙垂の掛かった磐座が見られます。強風の折には御神木の下に近寄らないよう注意書きがあります。樹勢の衰えが取りざたされているだけに、参拝客は心得ておかなければなりませんね。
1,200年もの長きに渡って、この地に聳え続けて来たであろう巨木。
次の世代にも無事にバトンが渡されることを祈ります。
乳銀杏の前で祈りを捧げる参拝客。
乳銀杏にはこんな昔話が言い伝えられています。
昔々、小さな女の子が銀杏の種からこの木を育てたと云います。
時は流れて年ごろの娘に成長した女の子。葛城山に修行に来ていた若狭のお坊さんと、この銀杏の木の下で出会いました。お互いに惹かれ合う二人。恋仲になった二人ではありましたが、ある日突然、お相手のお坊さんが姿を見せなくなりました。
そうこうしている内に赤ちゃんを身籠った娘さん。悲しいことに、娘さんは赤ちゃんを生み落とした後に亡くなります。
その後を受け、娘の母親が赤ちゃんを育てることになります。育てたい気持ちはあっても乳が無く、赤ちゃんは日に日に元気を失くします。そんなある日、赤ちゃんを連れてイチョウの木の下で娘のことを偲んでいると、イチョウの木から水が流れてくるではありませんか。その水を飲み始めた赤ちゃんは元気を取り戻していったということです。
乳銀杏のアップ。
不躾ながら、思わず絞りたくなる衝動に駆られますね。赤ちゃんが飲んだ水は、乳房から滴り落ちて来る聖水だったのでしょうか。現在も乳の出が悪い母親が参拝に訪れると言います。子宝に恵まれない夫婦の拠所にもなっています。
子授けそのものにもご利益があるとされる乳銀杏。
この “乳房” を見れば、誰しも納得の光景ではないでしょうか。
乳銀杏の葉の向こうに見える祓戸社。
拝殿の左横に位置しています。祓戸社の右側には万葉歌碑があります。
葛城一言主神社の祓戸社。
一つの神社に二つの祓戸社があるとは、これまた意外でした。
拝殿左横の万葉歌碑。
葛城の 襲津彦真弓 荒木にも 頼めや君が 我が名告りけむ
作者未詳の万葉歌ですが、意中の男性から求婚された喜びを詠った歌として知られます。万葉の時代には、男性が女性に名前を聞くことは、そっくりそのままプロポーズを意味していました。古代、女性の名前は極秘だったのです。そんな歌の背景を鑑みながら味わってみたい万葉歌ですね。
参道沿い右手の駐車場。
午後4時には施錠されるようです。比較的早めですね。お参りの際には、忘れないように注意が必要です。
バス停一言主神社の時刻表。
観光シーズンに運行するバスのタイムテーブルです。かもきみの湯行きのバスが1時間おきに発車するようです。高鴨神社前にも停留所がありましたが、葛城古道の散策に利用する人もたくさんいらっしゃるんでしょうね。
葛城一言主神社では、冬至の2日前から節分までの間、毎日一陽来復のお守りが授与されています。一陽来復守は難転魔滅のお守りとして人気があります。陰極まって陽が復(かえ)る。一陽来復のお守りを玄関内の恵方に貼って、一年間の御守護を願いましょう。
<葛城一言主神社の参拝案内>
- 住所 :奈良県御所市森脇432
- アクセス:近鉄御所駅から奈良交通バス五條バスセンター行きで5分、御所幸町下車徒歩25分。南阪奈道路葛城ICから約7㎞
- 駐車場 :50台