天照大神を祭祀するにふさわしい場所。
そんなパワースポットが宇陀市榛原区の山辺三(やまべさん)にあります。
元伊勢の篠畑(ささはた)神社です。駐車場もなく少々アクセスには困りましたが、立派な社殿を有する歴史あるお社でした。
篠畑神社の拝殿と本殿。
神明造の立派な社殿です。
地面に対して平行に切られる内削ぎの千木が印象的ですね。内削ぎは女神を祭祀していることを表します。拝殿の破風板上部には、左右4本ずつ計8本の鞭懸(むちかけ)も確認できます。
豊鍬入姫命に代わり、天照大神を託された倭姫命
元伊勢といえば三輪山麓の檜原神社を思い浮かべます。
垂仁天皇の時代に豊鍬入姫命に代わり、アマテラスを託されることになった倭姫命。
倭姫(やまとひめ)は第11代垂仁天皇の第4皇女に当たります。アマテラスのために安定して神事を続けることが出来る場所を求め、御杖代(みつえしろ)としてその役目を果たすことになります。その倭姫の最初の巡幸地が篠畑神社とされています。
篠畑神社の社号標。
国道165線沿いに建ちます。国史現在社(こくしげんざいしゃ)と刻まれていました。
篠畑神社は歴史ある神社ですが、延喜式内社には列せられていないようですね。同じ宇陀市内に鎮座する延喜式内社・阿紀神社にも倭姫の神幸伝承があり、大変興味深いところです。
ところで、この社号標は国道を室生方面へ向かう途中、突如左手に現れます。あっという間に通過するため、運転席から確認することはできません。行き過ぎてしまったことに気付き、国道を引き返して近くの空き地に車を停めました。そして、この標の脇道を登って行くことになります。
上手にこんな建物が見えてきました。
注連縄が張られているところを見ると、篠畑神社関連のもののようです。参拝者の休憩所?と思ったのですが、どうやら秋祭り(神幸祭)の際の御旅所のようです。神様が遷座し、一晩を過ごす神聖な場所です。
道路を挟んで向かい側に建つ神明鳥居。
篠畑神社の一の鳥居ですね。
篠畑神社の案内板。
祭神・天照皇大神 境内社・佐佐波多姫
「日本書紀」の垂仁天皇25年3月丙申の条に倭姫命が天照大神を祭祀するにふさわしい土地を求めて菟田篠幡に至り、更に還って近江国から東美濃を廻って伊勢国に入り伊勢神宮を創祀されたという話が採録せられている。
のち、この頓宮の置かれた篠幡の地に天照大神を主祭神と崇めて鎮祭したのが本社の創祀であると伝えられている。「皇大神宮儀式帳」には、「佐佐波多宮」と出されており、平安初期にはこの社の原形になるようなものが成立していた可能性はある。
境内社の佐佐波多姫社も案内されていました。
天照大神をこの地に迎えるにあたり、倭姫命を援助したとされる神様です。
一の鳥居脇の手水鉢。
残念ながら手水は干上がっていました。
境内へと続く石段。
石灯籠の竿に「篠畑媛合祀記念」と刻まれます。
古びた燈籠にも篠畑神社の文字が。
石段を登り切ると、一旦踊り場に出ます。そこから左へ折れて、さらに階段が続いていました。
踊り場から下界を見下ろします。
室生方面へ至る国道165号線が見えていますね。国道から折り返すように、こちらへ向かって道が伸びています。その道の先に、先ほどの一の鳥居があります。
左へ曲がって石段が続きます。
こちらは二の鳥居ですね。
さぁ、見えて参りました。
篠畑神社の境内です。
倭姫が伊勢神宮を創建するまでに、アマテラスの御神体を順次祀った場所を「元伊勢」と言います。
大和国から伊賀、近江、美濃、尾張の諸国を経由して伊勢の国に入り、皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建するに至ります。篠畑から直接伊勢の地を目指せば近かったはずです。なぜ遠回りをしたのでしょうか。アマテラスと共に各地を巡った倭姫の謎は深まるばかりですね。
篠畑神社の手水処。
手水舎にも立派な千木と鰹木が見られます。鰹木は計4本の偶数ですね、やはり女神を表しているのでしょうか。
6月末の参拝でしたが、かろうじて紫陽花が残っていました。
手水舎の向こうには、紙垂の下がる御神木が見えます。昭和年間までは境内に樹齢500年以上の老杉が点在していたそうです。落雷により伐採されましたが、往時の雰囲気を感じさせますね。
右から境内社の佐佐波多姫社、本殿、拝殿。
まるで伊勢神宮にお参りしているかのよう!荘厳な空気に包まれます。
佐佐波多姫社。
背後には山が迫り、重厚な境内に小気味いいアクセントを生み出しています。
それにしても立派な拝殿です。
アマテラスと鎮座地を求めて各地を巡った倭姫(ヤマトヒメ)。
依代(よりしろ)として神に仕えた倭姫は「御杖代(みつえしろ)」と呼ばれます。奈良県の御杖村神末に御杖神社というお社がありますが、倭姫の杖を祀ることで知られます。”アマテラスを祀る候補地” として杖を残した伝承地なんですね。
拝殿の鰹木は全部で6本です。
これまた偶数ですね。
篠畑神社の神饌所と社務所。
秋の神幸祭で見られる篠畑神社の特殊神饌は注目に値します。
稚児七人がそれぞれ、神饌を頭上にのせて神前に運び奉斎するという慣わしです。
特殊神饌を運ぶ稚児の所作!篠畑神社の神幸祭
神様の行幸。
全国各地の神社で見られる祭事ですが、ここ篠畑神社においても毎年秋に行われています。
神様の遷座でまず思い浮かべるのが、春日大社の春日若宮おん祭ではないでしょうか。華やかな時代衣装で着飾った行列が観光客を魅了しています。歩く距離も相当長いわけですが、篠畑神社の神幸祭で移動するのは階段下の御旅所までのようです。
神饌所の前には結界の張られた空間がありました。
篠畑神社では、御旅所に遷座していた神様を本殿に戻す際、稚児たちがお社(神輿)に赤い紐を付けて引っ張りながら石段を登ります。本殿にお戻りになられた神様の御前で祭典が行われ、粛々と献饌の儀が執り行われます。その中で、「特殊神饌」と呼ばれる篠畑神社だけの特別な神饌が二つ運ばれます。
一つ目の特殊神饌は、ねむの木の枡に蒸しご飯を盛った神饌。
二つ目はヒノキ材の輪を付けた桶の中を竹串で四等分し、そこに栗、干し柿、ザクロ、柚子を盛り付けたものです。
これらの特別なお供え物は、白い鉢巻きのような布を頭上に載せた7人の稚児が運びます。正確には稚児の頭の上に神饌を浮かせながら、大人の神官が神前まで持ち運びます。頭上に白い輪っかをちょこんと載せたお稚児さんを見ていると、まるで天使のようです。
篠畑神社社務所。
この日はどなたもいらっしゃらないようでした。
社務所の左脇に坂道が続きます。
その先には集落が見えました。
住所が記されていますね。
大字山辺三小字宮山・・・篠畑神社の近くには、同じく元伊勢伝承のある葛神社が鎮座しますが、その近くを「宮川」が流れています。葛神社からさらに山手にある篠畑神社の鎮座地が「宮山」。「宮」と名の付く場所が散見され、昔から特別な地域であったことがうかがえます。
神饌所脇の石標。
特殊神饌も含めた献饌の儀が終わると、神前での祝詞奏上、当屋の引継ぎと続きます。
拝殿横の狛犬。
長い尻尾がしっかりと立っています。
本殿千木に空けられた穴も確認できますね。
風穴と呼ばれる部位です。
本殿にはアマテラスが祀られています。
内削ぎの千木に、偶数の鰹木が確認できますね。
拝殿の鞭懸(むちかけ)。
左右4本ずつ、計8本の突き出た棒のことを鞭懸と言いますが、その用途が気になるところです。鞭を懸けたとか、稲束を掛けたとか色々説があるようですが、未だに定かではありません。先端は円形ですが、根元は四角形のようです。
参拝記録の木箱。
箱の中にはノートが入っており、参拝者の芳名と住所が記されていました。竹の棒は幣でしょうか。
木箱の中に収められていた大麻。
伊勢神宮の御札である神宮大麻はよく知られるところですね。
本殿へと上がる石段。
鉤状の鉄棒がかませてありました。
篠畑神社本殿。
天照皇大神を手厚く祀ります。
燈籠に刻まれる社紋。
紋の名前は?果たして何でしょうか。
境内社の左奥に本殿を望みます。
瑞垣の板が緑色をまといます。苔なのかもしれませんね、木々に囲まれた神域を思わせます。
アマテラスを託され、笠縫邑を出発した倭姫。
篠畑の地に辿り着いた倭姫は、間違いなくここで ”何か” を感じたはずです。
国道165線沿いの看板。
「鰻守川地区」と書かれています。
ここは篠畑神社の社号標より少し西側に当たります。鰻守川は天満川の支流のようです。
鰻守川に架かる橋を渡り、さらに東へ進むと、程なく左手に篠畑神社の社号標が見えてきます。
少し分かりづらい場所にありますので、一つの目印になるかもしれません。
宇陀市の観光マップを広げると、国道165線と近鉄大阪線が並行して走り、その北側に篠畑神社、南側には室生ダム湖が広がっているのが分かります。正定寺、大野寺、室生寺などのお寺も近くに点在しています。