第9代開化天皇の御陵。
JR奈良駅を下車して、三条通を猿沢池方面へ向かって歩きます。
閉館の決まったホテルフジタ奈良の左横に開化天皇陵が姿を現します。その実在が疑われる欠史八代の最後に当たる第9代開化天皇の陵とされます。
開化天皇の父に当たる人物が、第8代孝元天皇で橿原市内にその陵があります。
三条通から見る開化天皇陵。
右側の建物が旧ホテルフジタ奈良です。
奈良市油阪町の前方後円墳
開化天皇陵のある場所は、江戸時代には民間の墓地であったと伝えられます。
幕末になり、天皇陵として”前方後円墳”としての体裁が整えられました。開化天皇陵は念仏寺山古墳とも呼ばれています。墳丘は約100mの長さで、円筒埴輪片が出土しているようです。
いつものことですが、天皇陵の御前に立つと背筋がピンとします。
天皇陵には長々とした名前が付き物ですが、開化天皇陵は春日率川坂上陵(かすがの いざかわの さかのえの みささぎ)と言います。率川という名前から、大神神社の摂社である率川神社を思い出す方も多いと思いますが、開化天皇陵のすぐ近くに率川神社が鎮座しています。
子守明神の率川神社。
やすらぎの道沿いに鎮まる”ささゆり”で有名な率川神社。率川神社から真っすぐ北へ進むと、高天の交差点の手前に漢国神社が鎮座しています。
建物に挟まれた立地の開化天皇陵。
第2代から第9代まで続く欠史八代の天皇の系譜を終えて、第10代の崇神天皇の時代を迎えることになります。
大神神社の社務所上手に鎮まる天皇社は、「初国治らす天皇(はつくにしらす すめらみこと)」と讃えられた崇神天皇を祀ります。崇神天皇の存在感は今もなお語り草になっていますが、それに比べると開化天皇の影の薄さを感じずにはいられません。
奈良観光に訪れた人なら誰もが通る三条通。
その目抜き通りの脇に、宮内庁管轄のお墓があります。
奈良県庁玄関前で観光客をお出迎えするせんとくんと鹿。
人気の記念撮影スポットとなっています。
三条通から結界までのアプローチ道は少し長いですが、せっかくですから足を伸ばして開化天皇陵を目の前にしてみるのもいいものです。
何かを感じるかもしれない街ナカの御陵です。