猿石で知られる吉備姫王墓の近くに、前方後円墳の第29代欽明天皇陵があります。
仏教伝来時の天皇として、日本史の教科書で学んだ記憶が蘇ります。
欽明天皇陵。
鬼の俎・雪隠古墳から万葉歌碑の前を通って、欽明天皇陵や猿石のある方向へ向かいます。飛鳥周遊歩道は、土の感触が楽しめるウォーキングコースとして数多くの観光客で賑わっていました。
飛鳥の猿石に近い平田梅山古墳
陵の周りは自然散策にも向いています。
欽明天皇陵へアクセスする途中にも、向日葵や鶏頭、それに金魚草やキバナコスモスなどの花が咲いていました。
巨大な古墳を視界に収めるのは難しいですが、拝所の前に来ると身が引き締まります。
どこの天皇陵へ足を運んでも、拝所周りの風景は似通っています。毎度”お決まり”の型にハマり、徐々に心が整っていくのを覚えます。
欽明天皇陵と栗。
栗の葉っぱは細長くて棘が付いているんですね。
栗の似姿と言いますか、鋭い葉っぱの棘を見ていると、実を包み込む棘にも負けないぐらいの勢いを感じます。そう言えば、散策の途中で見つけたオクラの葉っぱの縁がギザギザだったのを思い出します。オクラを調理する際に、表面に付いた産毛を塩で揉んだりしますが、あの産毛もオクラの葉っぱの似姿なのかもしれません。
欽明天皇陵の案内板。
欽明天皇陵は明日香村内唯一の前方後円墳です。
前方部の方形の部分が、高取川に沿う国道169号線の方を向いています。三段築成の前方後円墳で、外堀によって守られています。
欽明天皇陵の周辺地図。
徒歩数分の距離に近鉄飛鳥駅があり、線路と反対側には端正な石室で知られる岩屋山古墳が佇みます。地図で見てみると、欽明天皇陵周辺には数多くの観光名所がひしめいているのが分かります。
欽明天皇陵の手前に、猿石の案内板が立っています。
真っすぐ進めば欽明天皇陵、左手へ少し上れば吉備姫王墓と猿石を見学することができます。
数年後に訪れた際、ローマ字表記が入っていました。
インバウンド向けの案内でしょうか。
確かに”猿の姿”の案内板が立っていると、実際に生きた猿が居るのかなと勘違いしてしまいます。動物園じゃありませんからね(^-^;
欽明天皇陵の拝所。
別名を平田梅山古墳と言います。
欽明天皇の子供は敏達、用明、崇峻、推古とそれぞれ天皇にまで登り詰めています。蘇我馬子の謀略で暗殺されたと伝えられる崇峻天皇の陵は、談山神社へと上がっていく多武峯街道沿いにありましたよね。
英語の案内表示を見てみると、前方後円墳は keyhole-shaped tumulus と翻訳されています。なるほど、一昔前の鍵穴を想像させる前方後円墳を見事に表現しています。
宮内庁管轄の陵墓の敷居は高く、なかなかその鍵穴を開けられないという現実があります。
2013年2月20日に行われた箸墓古墳の立ち入り調査は、考古学ファンにとっては忘れられない日となりました。まだまだ謎解きの日は遠いものと思われますが、鍵穴に鍵を差し込むところまでは到達できたのかもしれません。
吉備姫王墓の域内に佇む猿石(女と山王権現)。
4体の謎の石造物が観光客を魅了していますが、左側から女、山王権現、僧、男と並んでいます。
一体何を意味する物なのか、飛鳥のミステリーストーンの謎は深まるばかりです。
檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)と案内されています。
古来より天武・持統天皇陵の辺りも檜隈と呼ばれていました。広範囲に渡る檜隈の地名は、飛鳥の歴史と共に長い歩みを今も続けています。坂合陵と言うように、確かに欽明天皇陵の周辺の地形には坂が見られます。
明日香村で唯一の前方後円墳。
欽明天皇陵は飛鳥駅や高松塚古墳からも徒歩すぐの場所にあります。