末子相続の綏靖天皇陵

神武天皇陵の北側に綏靖(すいぜい)天皇陵があります。

綏靖天皇は神武天皇の跡を受け継いだ第2代天皇として知られる人物で、神武天皇の第三子に当たります。末っ子であった綏靖天皇が相続する形で歴史は収まっています。なぜ兄が二人も居たのに、第三子が天皇の位を受けることになったのでしょうか。その謎に迫ってみたいと思います。

綏靖天皇陵

橿原市四条町に佇む綏靖天皇陵。

神武天皇陵の駐車場に車を停め、そのまま県道を北へ歩いて行くと、程なく左手に綏靖天皇陵の入口が見えて参ります。ここは橿原森林遊苑の北端で、もう少し北へ行けば江戸時代の町並みが残る今井町が広がります。交通量の多い道路が間近であるにも関わらず、綏靖天皇陵周辺は静寂に包まれています。

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皇位継承のライバルを討った神沼河耳命

神武天皇と皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)の間には三人の子が生まれました。

ちなみに媛蹈鞴五十鈴媛命はイスケヨリヒメとも呼ばれ、大物主命の娘に当たる人物です。三輪山麓に伝わるささゆり伝説で知られる皇后であり、大神神社とも深いつながりがあります。かいつまんで言うと、綏靖天皇には三輪山の神であるオオモノヌシの血が流れているということにもなりますね。

犬の散歩禁止

犬の散歩禁止の案内札。

綏靖天皇陵の参道手前に掲げられていました。

神武天皇とイスケヨリヒメの間に生まれた三人の子供の名前を、それぞれ長子・日子八井命(ひこやいのみこと)、第2子・神八井耳命(かむやいみみのみこと)、第3子・神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)と言いました。

綏靖天皇陵

参道は右に折れ、突き当りが綏靖天皇陵の正面になるようです。

円丘状の綏靖天皇陵が南面し、参拝客を出迎えます。

神武天皇が崩御した後、皇位継承をめぐって争いの火ぶたが切って落とされます。

三人の御子には、異母兄に当たる当芸志美々命(たぎしみみのみこと)という人物がいました。タギシミミは義母に当たる皇后・イスケヨリヒメを自分の妻にし、その三人の義理の弟たちを殺して皇位を奪おうと謀りました。

実母であるイスケヨリヒメは三人の御子を救うため、和歌で危険が迫っていることを知らせました。

綏靖天皇陵

正式名称を桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)と言います。

危険を知らせる和歌を聞いた末っ子のカムヌナカワミミは、タギシミミの謀略に気付いて兄のカムヤイミミにタギシミミを討つように促しました。武器を手にした第2子のカムヤイミミはタギシミミを討伐しようとするのですが、いざ討とうとすると、手足が震えて目的を遂行することが出来ませんでした。

「その刀を渡して下さい」

弟のカムヌナカワミミは兄が持つ武器を乞い取ると、見事に踏み込んでタギシミミを討ち取ったと伝えられます。

綏靖天皇陵の手水処

参道左手の手水処ですが、水が干上がっていました。

丸い鉢の中には小石が敷き詰められています。

綏靖天皇陵の結界

手前まで来ると、結界を示す柵が設けられていました。

兄のカムヤイミミは、皇位継承にふさわしいのは弟のカムヌナカワミミであると判断し、弟にそのことを伝えます。敵を倒すことの出来なかった兄のカムヤイミミは神事を執り行い、神の加護を願う役目を担うことになります。

綏靖天皇陵の補修跡

鳥居が少し傷んでいますね。

そろそろ補修のタイミングなのかもしれません。

神八井耳命(カムヤイミミ)と言えば、田原本町の多神社に祀られている神様です。意富臣(おおのおみ)は大和国十市郡飯富(とおちのこおりおほ)を本貫の地とする氏族で、かの太安万侶も一族に名を連ねています。その多臣(おおのおみ)の始祖となったカムヤイミミですが、神武天皇亡き後の皇位継承に端を発していたとは知る人も少ないのではないでしょうか。

綏靖天皇陵

勇ましい伝説に彩られるカムヌナカワミミ改め、綏靖天皇を祀ります。

末っ子が家督を継ぐ形で決着を見ています。

結界石

綏靖天皇陵から神武天皇陵の駐車場へ戻る途中にも、結界石のようなものが見られました。

所々が欠けてしまっていますね。

第2代綏靖天皇から皇位は安寧(あんねい)、懿徳(いとく)、孝昭(こうしょう)、孝安(こうあん)、孝霊(こうれい)、孝元(こうげん)、開化(かいか)と継承されていきますが、この間の事績は不明とされます。系譜にしか記されておらず、欠史八代と言われる所以です。

綏靖天皇の皇居は葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや)とも言われます。

今の奈良県御所市森脇周辺とされ、葛城一言主神社にも程近い場所です。またいつか、葛城古道のハイキングで訪れる機会があれば、是非足を伸ばしてみようと思います。

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