橿原神宮の北隣りにある神武天皇陵をご案内致します。
今まで橿原神宮には幾度なく参拝して来たのですが、そのすぐ近くに佇む神武天皇陵へは足を運んだことがありませんでした。遅ればせながら、初代天皇・神武天皇陵の初体験レポートとなります。
竹の組まれた手水処から神武天皇陵鳥居を望みます。
私が訪れた日は、奥の鳥居が工事中でした。工事車両が数台見られ、普段とはまた違った表情の天皇陵を楽しむことができました。神武天皇陵の周辺には橿考研博物館(奈良県立橿原考古学研究所附属博物館)、大久保神社、綏靖天皇陵などが見られ、古代史ファンにはおすすめのエリアとなっています。
紀元前660年に橿原神宮で即位した初代天皇
神武天皇は紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)に橿原宮で即位しています。
手元の手帳を開いてみれば分かりますが、毎年2月11日は建国記念日で祝日となっています。改めて神武天皇の即位を記念する日であることをおさらいしておく必要がありそうですね。
神武天皇とその后を祀る橿原神宮もそうなのですが、あまりに広大なためその全体像を把握することができません。果たして神武天皇陵はどのような形をしているのか?興味を抱くポイントなわけですが、どうやら神武天皇陵は円丘状のフォルムをしているようです。周囲は約100mにも及び、高さ5.5mの広い植え込みがあり、幅約16mの周濠が巡らされているそうです。道理で中が見えないわけです(笑)
神武天皇陵の鳥居。
工事用の三角コーンで仕切られていました。比較的穏やかな緑色が使われているのも、ここが初代天皇を祀る陵だからなのでしょうか。向こう正面に真新しい綺麗な鳥居が見えていますね。
そもそも神武天皇は実在が疑問視されている人物でもあります。
天皇の系譜を見てみれば、第2代~9代までの天皇は欠史八代と言ってその実在が疑われ、創作された架空の天皇であるという説が唱えられています。第10代の崇神天皇からは、実際に実在した天皇であるという考え方です。欠史八代は有名な話ですが、初代神武天皇の実在まで疑われているのかと思うと、なんだかロマンが萎んでしまうような気が致します。
橿原神宮本殿参拝において、神武東征時の帆船模型を拝見致しました。古代ロマンを掻き立ててくれる逸品に心が躍ったのを思い出します。ヤタガラスの逸話にしてもそうですが、やはり実話として受け止めたい思いがあります。
ちなみに神武天皇は127歳で崩御したとも伝えられます。
人間の遺伝子的見地からも、人の寿命は125歳と言われますからあながち嘘でもないような気が致します。
神武天皇陵の正式名称は、畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)と言います。方位学的に言えば、東北が表鬼門で南西が裏鬼門に当たります。表鬼門の艮(うしとら)方向を守る格好になっているのかもしれませんね。
神武天皇陵の無料駐車場
神武天皇陵には車数台ほどの無料駐車場があります。
「神武天皇御陵」と刻まれた石標から50mほど右手にその駐車場はあります。橿原神宮の広大な杜を抜ける奈良県道161号畝傍御陵前停車場四条線沿いに位置しています。
県道161号線沿いの神武天皇陵駐車場。
等間隔に置かれた石に鎖が繋がれ、その右側が駐車スペースになっています。このまま真っ直ぐ道沿いに進んで行けば、橿原神宮へとアクセスします。
管轄の宮内庁による看板が出ていました。
ここは参拝者用の駐車場です。仕切り線や車止めも見当たらず、駐車スペースだけが設けられた簡易な造りではありますが、ゆっくりと神武天皇陵にお参りしたい方には有り難い駐車場です。
神武天皇陵周辺地図。
駐車場のある現在位置は、どうやら正面参道ではないようです。
正面参道から右へ50mの場所に駐車場が設けられています。天皇陵南方には大久保神社や国源寺(こくげんじ)が見られます。右手に取れば、農業試験場や綏靖天皇陵、さらには今井町方面へと続いています。
歩道と自転車道が分けられていますね。
広大な杜の中を走り抜けるサイクリングも気持ちいいでしょう。
神武天皇陵の前に結界石のようなものを発見致しました。
剣の頭を連想させる形をしています。様々な寺社を巡っていると、剣頭文様には魔除けの意味が込められていることが多くあります。この結界石にも邪悪なものを寄せ付けないパワーが感じられます。
駐車場から裏参道へ入る手前に、看板が立っていました。
「宮内庁書陵部 畝傍陵墓監区事務所」と案内されていますね。
畝傍陵墓監区事務所は陵印保管場所にもなっているようです。お寺での御朱印めぐりが人気ですが、その天皇陵バージョンのようなものですね。御朱印めぐりとは違って、参拝者自らスタンプを押して参拝記念とします。奈良県内にも数多くの天皇陵がありますから、天皇陵の陵印集めにトライしてみてもいいかもしれませんね。
静かな玉砂利の参道を進んで行くと、行く先に事務所の建物が見えてきました。
建物の前にも多くの車が停まっていましたが、おそらく関係者各位の車だと思われます。一般参拝客はやはり、県道沿いの狭いスペースに車を駐車することになります。
工事車両ですね。
向こうに石の瑞垣が見えていますが、どうやらここは参拝所ではないようです。
御拝所は此処から80m左手にあるようです。
外国人の参拝者もいらっしゃるのでしょうか、place of worship と案内されています。
諸外国の方々から見れば、日本の天皇制は稀有に映るものなのかもしれません。歴史ある天皇の中でも、その初代に当たる天皇とくれば、さらにその注目度も増すというものです。神武天皇陵は、外国人観光客向けのガイドブックにも記載があるのかもしれませんね。
こちらが宮内庁書陵部ですね。
皇室の蔵書を引継ぎ,皇室の系譜と実録を保管するのが宮内庁書陵部のようです。あまり聞き慣れない名前だけに、それだけで少し背筋が伸びてしまいます(笑)
宮内庁書陵部を右手に見ながらさらに進んで行くと、ありました、ありました。
ここが神武天皇陵の参拝スペースのようです。
鳥居の前には広い場所が設けられています。
只今工事中のようですが、三つの鳥居が一直線上に並んでいるのが分かります。
手水処と結界が印象に残る畝傍山東北陵
初代神武天皇の陵は、文久年間(1861~1864)に大掛かりな工事が施されています。
その後も、昭和15年の皇紀2,600年に至るまで何度か整備工事が行われた結果、今のような形になっているそうです。伊勢神宮の遷宮や春日大社の式年造替、あるいは各神社の年末に見られる注連縄掛け替えなど、幾度となく若返りを繰り返しながら神域は守られていくものです。おそらく常若の精神は、初代神武天皇の御陵とて同じように受け継がれていることでしょう。
真正面から神武天皇陵を仰ぎ見ます。
青空に雲が広がり、大自然に包まれた神域にしばしの時を忘れます。
新しい鳥居の向こうに、少し古い鳥居の姿が見えます。
架空の人物ではないかと噂されつつも、古事記・日本書紀・延喜式等の諸文献には神武陵の存在が明確に記録されています。その場所こそ定かではありませんが、各時代において神武陵が実在していたことは明らかなようです。
鳥居横の瑞垣。
その間口の規模も尋常ではありません。
鳥居の扉に二重の×印が見られます。
これは橿原神宮文華殿内でも目にした結界を表す印ですね。一重ではなく二重にすることで、よりその神性を高めているのかもしれません。それにしても、扉の取り付けられた鳥居はあまり見たことがありません。大変珍しいものを見学させて頂きました。
威風堂々の感のある神武天皇陵鳥居。
神武天皇の歴史を顧みる時に、欠かすことのできない神武東征のお話。
日向の地をおきよ丸に乗船して瀬戸内海を東進し、神武天皇の東征話は始まります。一旦は大阪の難波に上陸したものの、生駒の豪族に阻まれて南下し、熊野を経由して大和の地に入ります。ヤタガラスの先導もあり、無事に大和を平定した神武天皇は橿原神宮で即位することになります。
鳥居の左手前に設けられた手水処。
流線形の美しいフォルムですね。天皇陵の方向を指しているようにも見えます。
手水処の向こうに鳥居を仰ぎます。
足場にも石が組まれ、重厚な雰囲気を醸しています。橿原神宮の手水舎も実に巨大で、その大きさには圧倒されるのですが、神武天皇陵の手水もそれに負けず劣らず玄妙な空気が漂っています。
鳥居との構図もバッチリですね。
この形、実にイイです。
屋根に覆われていないところも好感が持てます。
自然の中に溶け込んだ天皇陵とのバランスが保たれているような気が致します。周りには木が植えられたりしていて、手水処だけで絵になる光景が保たれます。やはり、これは秩序のなせる業なのでしょうか。
鳥居の前にあった畝傍部見張所。
県内の天皇陵を幾つか見学したことがありますが、皆一様にこのような建物が陵前に建っています。宮内庁によるしっかりとした管理が行われているようですね。ちなみにちょっと気になったのですが、この後に訪れた第2代綏靖天皇陵の見張所には板が張られていて、どこにも人影が見えませんでした。果たして別の場所に管理棟があったのでしょうか、今となっては知る由もありません。
正面に神武天皇陵の鳥居を望みます。
どうやらこの参道が表参道のようです。手前には川が流れていて、そこに橋が架けられていました。
さらに県道方向へと下ります。
県道161号線を背にして天皇陵方向を撮影。ここが、神武天皇陵の玄関口に当たります。
神武天皇御陵の石標。
ちょうど左側から光が差し込み、まるで後光のようなパワーが感じられます。
ここから右へ50mの場所に、先ほどの駐車場があります。
駐車場は正面入り口から少し離れています。徒歩やバスで神武天皇御陵にアクセスされる方は表参道からお参りすることになるでしょうが、車でアクセスされる方は裏参道からで十分だと思います。今回の私のように、ぐるっと一周すればいいだけのお話です。
宮内庁のお達しです。
畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)の名前が記されます。
家の建て替えなどにおいても、鬼門に当たる北東方向は触らない方がいいとよく言います。家相的見地から言えば、凶と出る場合が多いようです。それだけ鬼門は大切なのです。京の都の鬼門には比叡山が聳え立ちます。長きに渡って京の都が守られたのも比叡山によるところが大きかったのではないでしょうか。
神武天皇御陵の横には、「綏靖天皇御陵」と刻まれていました。
ここから農業試験場方向へ歩いて行くと、数分で綏靖天皇陵にアクセスします。
神武天皇陵と合わせて参拝されることをおすすめ致します。
神武天皇陵へのアクセスは近鉄畝傍御陵前駅から西へ700mとなっています。
奈良県橿原市大久保町に佇む初代天皇を祀る天皇陵。日本人なら誰しも、一度は訪れてみる価値のある場所だと思われます。
<畝傍山周辺の天皇陵>