五位堂にある十二社神社。
近鉄大阪線を利用する際、奈良県から大阪府へ入る手前の五位堂駅をご存知の方は多いでしょう。下田や五位堂のエリアは、中世から江戸時代にかけて鋳物産業が栄えた地として知られます。
十二社神社の鋳鉄鳥居。
珍しい鉄の鳥居が、近鉄五位堂駅の南方に建っています。
五位堂という地名ですが、大伴金村の末裔による五位殿(邸宅)に由来する説が有力です。江戸時代には五位戸村、五井戸村の表記も見られるようです。
鋳物師が奉納した鳥居と燈籠!五位堂の歴史
この日、私は香芝市のウォーキングを楽しみました。
近鉄下田駅近くの二上山博物館から鹿島神社を経由し、福応寺、杵築神社、狐井城山古墳、阿日寺と渡り歩き、阿弥陀橋の石棺から新池親水公園の前を通り、JR和歌山線の踏切を超えて十二社神社へと入りました。
十二社神社の鋳鉄鳥居と手水舎。
奈良県内を見渡せば、金峯山寺や楢神社に銅鳥居が建っています。銅はあれど、鉄の鳥居を拝見するのは初めてです。
阿弥陀橋の石棺。
長持形石棺の蓋石と石室天井石です。兵庫県産の竜山石で作られているようです。
十二社神社からの帰路に撮影しました。西方には二上山を望みます。このまま真っ直ぐ西へ進めば、良福寺の五差路を超えて腰折田伝承地へと至ります。
新池親水公園から二上山を望みます。
十二社神社はここからさらに東へ進みます。
五位堂にそんな歴史があったんですね。
地域の生き証人として、平成7年度に香芝市指定文化財となりました。
十二社神社鋳鉄燈籠・鋳鉄鳥居
五位堂は江戸時代に鋳物産業が栄え、奈良県を代表する近世鋳物師(いもじ)が活躍した地域です。
鋳鉄鳥居は4基あり、本殿前と拝殿前に2基ずつ安置されていましたが、現在は本殿南側に保存されています。2基の鋳鉄燈籠には、文政2年(1819)と天保10年(1839)の銘があり、鋳造された年代がわかります。
鋳鉄鳥居は、正面右側の柱に天保10年の銘がありますが、現在の鳥居の一部は昭和になって旧鳥居から型取りして随時補修されていたことがわかっています。
五位堂鋳物師の作品は戦時中に供出されたものが多く、あまり残っていないことから、十二社神社の遺品は、かつてこの地域で栄えた産業や地域の来歴を知る上で貴重な資料となります。
令和4年 香芝市教育委員会
鋳鉄燈籠もあるようですが、今は本殿南側に保存されているようです。道理で見当たらなかったわけですね。
十二社神社拝殿。
十二社神社の向かって右手が宝樹寺(ほうじゅじ)です。
さらに左奥の方には、みみづく地蔵尊の徳蔵院がありました。見所の集まるエリアですので、是非一度足を延ばしてみられることをお勧め致します。