奈良から桜井へと通じる上街道。
歴史ある街道沿いに、子宝祈願の楢神社があります。
楢神社の目印は、何と言っても銅製の鳥居です。他ではあまり見られない出で立ちに、思わず足を踏み入れる人も多いでしょう。
楢神社の銅鳥居。
上街道の東側に鎮座しています。
鳥居の向こうに、紙垂を垂らした井戸らしきものが見えますね。
子宝霊水!市川団十郎奉納の井戸
楢神社には子授けのご利益がある井戸が伝わります。
井戸の名前は「三枡井(実増井;みますい)」。8代目市川団十郎が奉納したものです。
三枡井(みますい)。
竹で蓋をした井筒が境内に祀られています。紙垂が下がり、ここが聖域であることを示します。
楢神社本殿。
どうやらこの本殿は、春日移しによるものだそうです。
文久2(1862)年に行われた春日大社の式年遷宮、その際に払い下げられた社殿です。
方一間、檜皮葺の立派な春日造りですね。春日大社から楢神社までの移動は氏子達の手によりました。担いで運んだと言いますから、その信仰心が偲ばれます。
楢神社の拝殿。
左手奥に写真が並んでいますね。
上宮渡御神事の模様です。
楢神社は元来、約1㎞東の東大寺山にあったようです。今も旧社地には、天照大神を祀る神明神社が鎮座しています。現在の楢神社を「下の宮」と言い、神明神社を「上の宮」と言い習わします。
楢神社の例祭は10月10日に催され、翌11日には上の宮(神明神社)への渡御が行われています。10日の例祭には、ご神前にザクロの実をお供えします。多産の象徴である柘榴の実は、鬼子母神ともつながりますね。
境内社にはえべっさんが祀られていました。
釣り竿と鯛を手にするお馴染みの恵比寿神像です。この右手には八幡神社を仰ぎ奉ります。
楢神社の絵馬。
御神紋がデザインされています。
銅鳥居から拝殿を見ます。
拝殿前の両サイド、柵の中には狛犬がいます。
なぜ柵に守られているのか定かではありませんが、これも楢神社ならではの光景ですね。
楢神社という名前は昭和半ば以降のもののようです。昭和31年までは五十狭芹彦(いさせりひこ)神社と呼ばれていました。五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)は考霊天皇の皇子であり、楢神社の主祭神でもあります。吉備国を平定した後、名を吉備津彦命と改めた人物として知られます。
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