狐井城山古墳の北に鎮座する杵築神社。
板仏で知られる福応寺の向かって左側です。周辺には狐井旧公民館や児童公園があり、かつては村人が集った場所であることがうかがえます。
杵築神社の手水石と「きつねの井戸」の案内書き。
狐井(きつい)の地名由来が記されていました。ここは香芝市狐井ですが、実はもう少し南方にも同名の杵築神社があります。杵築神社ってあちこちにありますよね。三宅町の杵築神社にもお参りしたことを思い出します。
力試しの「かたげ石」と珍しい顔の狛犬
杵築神社には、狐が掘り当てたという井戸が残っています。
その井戸のお陰で、日照り続きの干ばつを乗り切ることが出来たようです。村人にとっては救世主のような井戸ですが、どこか “雨乞いの黒馬” ともダブります。降水量の少なかった奈良盆地には、今も溜池が多く残っています。中世の環濠集落も、生活用水に充てられたと言います。きつねの井戸の伝説にも、降雨の願いを感じた次第です。
香芝市狐井の杵築神社。
狐の井戸から生まれた「狐井」という地名。一部は納得なのですが、どうやら違う説もあるようです。杵築(きつき)神社にある井戸で、「杵築井(きつきい)」・・・そこから「きつい」になったとする説です。どちらが正しいんでしょうね。
杵築神社のかたげ石(力石)。
戦前、村の若衆が力試しにこの石を持ち上げたと言います。米俵の倍以上の重さがあるらしく、ちょっとやそっとじゃ持ち上がるものではありません(笑) 杵築神社の近くには、相撲の歴史を伝える腰折田伝承地があります。かの当麻蹴速(たいまのけはや)なら、リフトアップ出来たかもしれませんね。
きつねの井戸。
昔この村の鎮守の森に狐が住んでいました。ある日、水の音がするので村人が駆け付けるとそこには泥まみれになった狐の親子がいて、なんと井戸を掘り当てたのです。
どんな日照り続きでもかれることのない清水を飲料水として利用し人々は是を「きつねの井戸」と呼んでいました。そこでこの村を狐井(きつい)と名付けられたと言います。
こちらがその「きつねの井戸」でしょうか。
ポンプらしきものが付いていますが、中を覗き見ることは出来ません。
おもちゃの鉄砲が置かれていました。
神社前の公園では子供たちが元気に遊んでいます。庶民に近しい神社のようです。
蛇口をひねれば水が出る。
そんな生活に慣れている現代人には、なかなか想像できないお話なのかもしれません。
玉垣に囲われる境内。
狐井城山古墳は道を挟んですぐ南にあります。全長140mの香芝市内最大の前方後円墳で、杵築神社とも歴史を共にします。
大小二つのかたげ石。
黒と白、色合いも異なる力石ですね。
鎖で囲われています。
さすがに持ち上げようとは思いませんが、四方を厳重な鎖が守り固めています。
狐井村と刻まれているようです。
おそらく黒い石の方が重いのでしょう。
杵築神社の拝殿。
狛犬と石燈籠が両サイドに配されます。
変わった顔の狛犬ですね。
ずいぶん平たいお顔・・・それに歯を剥き出したような表情です。吽形の狛犬は、通常口を閉じているはずなのですが。
向かって右側、阿形の狛犬も珍しいお顔ですね。
作製年代の違いでしょうか。
蟇股を覆うように扁額が掛かります。
拝殿の中には奉納絵馬も見られました。
境内から見る公園と、狐井城山古墳の墳丘。
見えているのは前方部ですね。
杵築神社参詣の後、さらに南方の阿日寺を目指しました。阿日寺~阿弥陀橋~恵心僧都誕生之碑~十二社神社と巡り、来た道を戻って腰折田伝承地まで足を延ばしました。