香芝市下田西に鎮座する鹿島神社。
JR香芝駅にも近いお社を訪れました。平安時代末期に茨城県の鹿島神宮より勧請されたと伝わり、その歴史の深さがうかがえます。一説によれば、香芝の地名由来は鹿島にあるようです。
鹿島神社の鹿顔絵馬。
自由に描くことのできるオリジナル絵馬ですね。最近はあちこちの神社仏閣で見かけるようになりました。鹿顔絵馬の初穂料は800円です。
門出の鹿島立ち!武神のタケミカヅチを祀る鹿島神社
鹿島神社の御祭神はタケミカヅチです。
軍神として名高い武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)ですね。
アマテラスの命で高天原から出雲国に天下り、オオクニヌシに国譲りを迫った神様です。
鹿島神社の拝殿。
蟇股の下に注連縄が張られ、四つの紙垂が下がっています。見るからに稲妻の形をしている紙垂ですが、注連縄同様“結界”を表しているのでしょう。
鹿島神社の鳥居。
ご鎮座850年を奉祝していました。
奈良県北西部に位置する香芝市は、大阪にも程近くベッドタウンのイメージがあります。鹿島神社は近鉄下田駅にも程近く、駅の北側に鎮座しています。国道165号線から少し北へ入った所にあり、街ナカの神社といった印象です。
こちらはJR香芝駅。
香芝駅からも西へ数分で鹿島神社です。
駅前には香芝市コミュニティバスのバス停がありました。
地域の足として活躍しているのでしょう。
鹿島神社の社号標。
御存知のようにタケミカヅチは春日大社の御祭神でもあります。白鹿に乗ってやって来た・・・という伝説はあまりにも有名です。常陸国から大和国までの道のりが旅を連想させるのでしょうか、旅立ちや門出を意味する「鹿島立ち」という言葉が伝わります。
拝殿と社務所。
元来、旅には困難が付きまとうものでした。現代社会では想像できませんが、かつての旅は命がけだったのです。一晩の宿を取るのも容易ではなかったはずです。旅の途中で命を狙われたり、食べ物が尽きることもあったでしょう。危険な場所を通過しなければならないことも度々です。道中の人々から施しを受けながらの旅。綱渡りとも言える旅は、現代の比ではありません。
おみくじ結び処の向こうに拝殿。
唐破風の描く曲線が美しいですね。社務所に向き合うように、拝殿手前左側には絵馬殿がありました。
「結」と記すお守り。
人や物、仕事との良い縁を結ぶお守りのようです。むすひ守の初穂料は600円です。
「鹿嶋大明神」と記す扁額。
交通手段も発達し、移動も便利な現代社会。旅立ちと言ってもピンとこないかもしれませんね。
一念発起する鹿島立ち。
人生の岐路に立った時、新たな門出を迎えるに当たり、ここ鹿島神社を参拝されてみてはいかがでしょうか。きっと何かのご利益があるはずです。
鹿島神社っていつからあるの?
その歴史が解説されていますね。
古い言い伝えによると、平安時代末期の1172年に源義朝の郎党が、常陸国(現茨城県)鹿島神宮より勧請し、当地に祀ったと伝えられています。また、平安中期に編纂された「延喜式神名帳」記載の『深溝神社』は現存せず、識者・学者の考察では、当社が当てはまるのではないか、ともいわれています。
提灯と刀でしょうか。
絵馬にも色んな種類があるようです。
あなたの手でつくる鹿顔絵馬。
やっぱり微笑んでいる絵馬がいいですね。神様とも通じ合えるような気がします。鹿島神社には言霊守の「笑み守」もあります。今の自分に合った絵馬やお守りをおすすめします。
鹿島神社の絵馬殿。
格子戸から中が覗けるようになっていました。
多くの絵馬が並びます!
壁や天井一面に奉納絵馬が飾られていました。一年、また一年と歴史を重ねながら捧げられてきた絵馬を見ると、鹿島神社の歩んできた道のりが分かります。
香芝の鹿島神社は「もりのみやさん」「おうぎのみやさん」とも呼ばれているようです。商業施設が建ち並ぶ国道から見える、そのこんもりとした社叢は“もりのみやさん”の愛称そのものです。
鹿島立ちの鹿島神社。
いざ、旅立ち!そんな転機にお参りしたい神社だと思います。