国史跡の尼寺廃寺跡@香芝市尼寺

香芝市尼寺にある尼寺廃寺跡(にんじはいじあと)を見学して参りました。

JR和歌山線と国道168号線が並走するエリアにあります。JR畠田駅から徒歩10分ほど、国道からは少し西へ入った場所に位置しています。尼寺廃寺跡は国の史跡に指定され、全国最大規模の塔心礎が出土しています。

尼寺廃寺跡

尼寺北廃寺跡と尼寺廃寺跡学習館(ガイダンス施設)。

学習館は入場無料で、平成28年の4月に既にオープンしています。私が訪れたときは、残念ながら休館日の月曜日でした。ガイダンス施設の南側には、25台分の無料駐車場も完備しています。

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塔や金堂の基壇!東面する法隆寺式伽藍配置

古くから尼寺(にんじ)の集落内では、古瓦がよく出てきたそうです。

尼寺廃寺跡には北廃寺と南廃寺があり、史跡公園として整備されているのは北廃寺側です。北の遺跡を僧寺、南の遺跡を尼寺と見る説もあるようです。

尼寺廃寺跡の見取図

尼寺廃寺跡の見取図。

南に駐車場、その北側に回廊に囲まれた塔と金堂の跡があります。

尼寺廃寺跡学習館

尼寺廃寺跡学習館。

残念!生憎この日は休館でした。

館内には色々な資料が用意されているのでしょうね。是非見てみたかったです。

片岡の歌

学習館の脇に「片岡」を詠った歌が案内されていました。

尼寺廃寺跡が所在する地域は、古代には「片岡」と呼ばれていました。『万葉集』をはじめとする和歌集には、片岡とともに樹木を詠んだ歌が数多く残されています。ガイダンス施設の周辺では、これら樹木の一部を植栽しています。

片岡という地名から、近くにある達磨寺を思い浮かべます。

『推古紀』を紐解けば、聖徳太子が斑鳩から片岡山に行き、「飢えた旅人あわれ」と歌った記事が見られます。達磨大師との出会いに触れた箇所で、この辺りは聖徳太子の足跡が感じられる場所でもあります。

尼寺廃寺の由緒は不明なのですが、聖徳太子建立の葛城尼寺とする説もあるようです。

尼寺廃寺跡

尼寺廃寺跡の入口付近。

国道168号線から西へ入ると、すぐ目の前に石標が見えてきます。本当に面喰うほどすぐです(笑)

尼寺廃寺跡

公園整備された尼寺廃寺跡。

背後に見える社叢には、白山姫神社と香塔寺が佇みます。

尼寺廃寺跡の解説パネル

尼寺廃寺跡の解説パネル。

英語では Ninji abandoned temple と表すようです。

abandon は見捨てたり、放棄したりすることを意味します。直訳すれば、見捨てられたお寺ということになりますね。様々な事情があったにせよ、今は ”廃寺” としてその姿を伝えます。

尼寺廃寺跡は北に金堂、南に塔を配し、それを回廊で囲む東向きの法隆寺式伽藍配置で、飛鳥時代の後半に創建された寺院跡です。
寺域は東門からのびる築地塀で囲まれています。出土した瓦から、7世紀半ば過ぎに塔から造営を始め、続いて金堂と回廊を整備し、7世紀後半に完成したことがわかりました。その後、8世紀には伽藍の大半が焼失したと考えられます。

南北に塔と金堂が並んでいますが、やや金堂の基壇の方が大きいですね。

伽藍の中では塔が最も重要な位置付けですが、尼寺廃寺跡でも一番先に塔が造られたようです。

尼寺廃寺跡の塔・金堂

南方の塔側から金堂側を望みます。

塔には礎石が並んでいましたが、金堂には何も無く、ただのっぺらぼうな状態でした。

尼寺廃寺跡の塔礎石

塔から東側のガイダンス施設を望みます。

16個の礎石と心礎で、その柱を支えていたようです。

尼寺廃寺跡の塔心礎

陶板で表した心礎。

何かこう、ミッキーマウスのような形ですよね(笑) 思えば明日香村橘寺の塔跡にも、似たような心礎が残されています。

このポイントの地下わずか1.2mの場所に、全国最大の心礎が埋まっています。

尼寺廃寺跡の塔跡

塔跡の解説パネル。

塔は16個の礎石と心礎によって柱を支える構造です。心礎は地下約1.2mに据えた約3.8m四方の花崗岩製で、現存するものとしては全国最大です。基壇の高さは約1.4mで、硬くたたき締めた版築で構築しています。礎石の配置から柱の間隔は2.36mの等間隔で、塔の初層の一辺は7.08mに復元できます。なお、礎石は創建当時のもので、心礎は発掘時の写真を陶板で表示しています。

尼寺廃寺跡の塔心礎

心礎柱座と添板痕跡(西から撮影)。

発掘調査当時の立体的な写真です。

四方には半円形の添柱(そえばしら)の孔が見られ、当時のリアルな状況が見事に切り取られています。

尼寺廃寺跡の塔心礎

現存する全国最大の塔心礎!

塔心礎の柱座には、金銅製の耳環(じかん)12個、水晶製の玉4個、ガラス玉3個、刀子(とうす)1口の荘厳具が納められていました。耳環などの舎利荘厳具香芝市指定文化財にもなっています。二上山博物館へ行けば、実物展示も行われているようです。

尼寺廃寺跡の回廊跡

尼寺廃寺跡の回廊跡(北西部)。

塔や金堂を取り囲むように巡っていました。

尼寺廃寺跡の回廊跡

回廊跡の解説パネル。

Cloister Site と案内されています。

教会・修道院などで、中庭の周囲を巡る回廊のことを cloister と言います。

仏教寺院もひとつの宗教施設ですから、cloister が翻訳にあてられているのも頷けますね。

回廊は伽藍の中心にある塔と金堂を取り囲む施設で、東西約44m、南北約71mの規模であったことがわかりました。柱を支える礎石はほとんど失われていましたが、この北西部分で礎石1個と、礎石を抜き取った痕跡が2箇所見つかりました。その位置に基づいて模造の礎石を置いています。また、基壇の西端では瓦が焼け落ちた状態で堆積しているのが見つかりました。

焼け落ちた瓦の堆積。

往時の繁栄を偲ばせる遺物だったことでしょう。

この後、ガイドマップを片手に平野塚穴山古墳を目指しました。

尼寺廃寺跡の周辺には平野古墳群平野窯跡群があります。平野塚穴山古墳の被葬者を茅淳王(ちぬのおおきみ)とする説が語られます。尼寺廃寺の創建にも、敏達天皇の孫である茅淳王とその一族が関わっているのではないかとする考えもあるようです。