天理市の黒塚古墳展示館。ホケノ山古墳から出土した石囲い木槨の模型写真が展示されていました。
ホケノ山古墳は桜井市にある古墳ですが、”大和古墳初の石囲い木槨” が出土したことで知られます。ホケノ山古墳へ足を運べば、一部復元された石囲い木槨を見学することができるのですが、イマイチ発掘当時の状況がよく分かりませんでした。
黒塚古墳展示館に掲示される石囲い木槨の写真。
復元模型とのことですが、この写真を見ればはっきりとイメージすることができますね。
ホケノ山古墳の後円部中央にあったという埋葬施設。木槨を大量の川原石で覆う珍しい埋葬スタイルです。木槨の長さは6.5m、その幅は2.6mとされます。その内部には長さ5.3mの高野槇製の木棺が収められていたそうです。
画文帯神獣鏡も出土したホケノ山古墳
ホケノ山古墳からは画文帯神獣鏡も出土しています。
中国北部の魏ではなく、南部の江南がルーツと言われる画文帯神獣鏡。黒塚古墳の棺内でも発見された画文帯神獣鏡ですが、三角縁神獣鏡が出土する古墳よりも古い時代に多く見られるそうです。
黒塚古墳展示館。
黒塚古墳の入館料は無料です。
崇神天皇陵や長岳寺にも程近い場所にありますので、山の辺の道ハイキングの途中に立ち寄ってみるのもいいですね。
「石囲い木槨」墓の復元模型
復元模型により埋葬施設の内部空間の状況がよくわかる。木棺や柱、板などに塗られた朱色は、古墳の埋葬施設内に多用された色である。
朱色はやはり魔除け効果を狙ったものでしょうか。
神社の狛犬が赤い前掛けをしているのも、ちょうど同じような意味合いですね。木材に塗られた「朱」に守られ、さらにその外側にはぎっしりと川原石が敷き詰められていました。被葬者を邪悪なものから守ろうとする意志がそこには感じられます。
ホケノ山古墳の航空写真。
前方部はおぼろげですが、後円部の輪郭をはっきりとらえることができますね。ホケノ山古墳は前方後円墳に分類されていますが、前方部の小さい帆立貝式に近い形をしています。
やはり古墳は空から見るに限りますね。
地上からでは、あまりに大きすぎてその全体像を把握することができません。このすぐ右手には、卑弥呼の墓ではないかと言われる箸墓古墳があります。
ホケノ山古墳全景
後円部径約60m、高さ8.5mあり、写真左の民家の方向が前方部である。調査では全長は85mとされ、短い前方部である。
箸墓古墳東方の尾根上に位置するホケノ山古墳。
石囲い木槨の西側には、6世紀頃の横穴式石室が築かれていたと言います。時代を経て追葬されていたようなのですが、この横穴式石室に収められていた家形石棺が橿原考古学研究所附属博物館の中庭に展示されています。
黒塚古墳展示館の館内には、周辺に散在する数多くの古墳が案内されています。
全国有数の古墳密集地帯である桜井市から天理市にかけてのエリア。古墳探訪にでかける前に、黒塚古墳展示館で予習しておくのもいいのではないでしょうか。現地に赴いてからの理解度が数段アップすることでしょう。