平城宮跡の大極殿北方にある市庭(いちにわ)古墳。
5世紀前半の前方後円墳です。平城宮造営の際、南を向く前方部が削平を受けています。今は後円部の一部を残すのみですが、復元すれば全長253mにも及ぶようです。
市庭古墳(平城天皇陵)。
宮内庁管轄で「平城天皇陵」に治定されていますが、築造時期とのずれもあり信憑性は低いでしょう。前方後円墳のくびれ部両側には造り出しがあり、二重濠の一部も確認されています。
佐紀盾列古墳群に属する前方後円墳!奈良市佐紀町
奈良市佐紀町にある市庭古墳。
楊梅陵(やまもものみささぎ)として第51代平城天皇陵に治定されています。“天皇陵あるある”で、実際のところ被葬者は不明です。
生垣に囲われた空間に、神聖な玉砂利が敷き詰められていました。
判で押したように、同じようなスタイルの天皇陵。鳥居の形も、それを囲う瑞垣も変わり映えはしません。平城(へいぜい)天皇の御陵としながらも、存命期間を考慮すれば明らかに違和感があります。
市庭古墳の周辺地図。
この地図にも「平城天皇陵」と記されていますね。水上池の西に当たります。この後、歩いて佐紀神社や称徳天皇陵に向かいましたが、十分に徒歩圏内でした。近鉄大和西大寺駅にも程近いことが分かります。
竹で作られた結界柵。
分かりやすくバッテン印でした。
平城宮跡の第一次大極殿を見学した後、東へ歩いて大宮通り(みやと通り)に出ます。
目的地の市庭古墳は、通りからさらに北東方向です。
この植栽の中は、平城宮跡案内図によれば「推定大膳職」に当たります。
宮中の食事を準備した場所ですね。
南から北へ、この延長線上に見えるのが市庭古墳の後円部です。
残念ながら前方部は既に削り取られていました。
推定大膳職から第一次大極殿を望みます。
遥か右向こうに見えているのは生駒山ですね。
平城天皇楊梅陵。
第一次大極殿の欄干沿いに立つと、北東方向に見えているのが市庭古墳(平城天皇陵)です。
常緑の松葉が上向きに付いていました。
今まで平城宮跡には何度も足を運びましたが、宮跡の北方に足を踏み入れることはありませんでした。観光の醍醐味は「少し外れた所」にあるのかもしれません。知っていたつもりでも、意外と知らないことが多いものです。
市庭古墳もそうですが、平城宮跡の北側エリアは摩訶不思議な場所でした。
古い町並みが残り、民家をつなぐ道路は細く入り組みます。所々に池があり、その周りを鬱蒼とした杜が包み込みます。スコンと開けた平城宮跡とは対照的ですね。
ちょこんと建つ小屋も天皇陵には付き物です。
左の木の下に平べったい石があります。
うん?これは何でしょう。
無造作に置かれているにしては、どこか整った印象を受けます。
「磐之媛命陵」と刻む石標。
市庭古墳の東側に建っていました。仁徳天皇の皇后が眠るというヒシアゲ古墳ですね。この辺りにはウワナベ古墳やコナベ古墳、佐紀石塚山古墳などたくさんの古墳が密集していました。