女寄峠近くにある花山塚古墳へ行って参りました。
以前から気にはなっていたのですが、なかなか足を運ぶ機会がありませんでした。
磚槨墳(せんかくふん)としては大変有名な古墳です。漆喰で固めた榛原石で構築されており、渡来系豪族の墳墓ではないかと目されます。行き方の分かりにくい古墳です。詳細なアクセスルートと共にご案内致します。
花山西塚古墳。
花山塚古墳は東塚古墳と西塚古墳の二基から成り、「双墓」ではないかと思われます。
東塚古墳から左手奥へ50m程登って行くと、花山西塚古墳に辿り着きます。少し高低差がありますので、見学の際は注意して下さい。古墳の墳形は二基共に円墳で、やや東塚古墳の方が大きいでしょうか。なお、花山西塚古墳は昭和2年に国の史跡に指定されています。
奥室に横口式石槨を持つ花山西塚古墳&横穴式磚槨墳の花山東塚古墳
どちらの古墳も榛原石(室生火山岩)をレンガ状に積上げた磚槨墳です。
花山塚古墳周辺にも磚槨墳は幾つかあり、桜井市の舞谷2号墳や宇陀市の奥ノ芝2号墳などが知られています。
花山西塚古墳を特徴付けるのは、玄室の奥に設けられた奥室です。埋葬用の横口式石槨が設けられており、他では見られない構造に注目が集まります。
西塚古墳の開口部は鉄柵で囲われており、今回は中に入ることが出来ませんでした。檻のような柵の上部から出入りできるようなのですが、なぜか開かず・・・とは言え、鉄柵の外からでも十分に中の様子を観察することが出来ました。
花山東塚古墳。
横穴式石室が南に開口していました。
石室内にも入りましたが、榛原石が漆喰で固められ、見事にレンガ状に積み上げられています。
花山東塚古墳は径21mの円墳で、西塚古墳の手前に位置しています。花山塚古墳の見学では、こちらの東塚古墳を先に訪れることになります。道中の木には赤や黄色のテープが巻かれており、まるで枝折(しおり)のようにアクセスルートが示されます。
見学を終えて帰る際も、このテープが重要な道先案内人となります。ヘンゼルとグレーテルのパンくずではありませんが、山深い場所にある古墳です。くれぐれも道に迷わないようにしましょう。
花山西塚古墳の石室。
こちらも南に開口しており、円墳の規模は径16mと目されます。
通常の横穴式石室と同じく、羨道と玄室で構成されています。
ただ、よく見てみると玄室の奥に窪みが見えます。埋葬空間の奥室ですね。
全長7.8mで、玄室の長さは2.2m。その側壁上部は屋根形に内傾しているようです。最深部の横口式石槨の長さは1.9m、幅70cm、高さ90cmで、入口には石製の片開き扉を備えます。羨道部の天井石はすっかり失われていました。
花山東塚古墳の石室内。
一目で磚槨墳であることが分かります。
入口付近には土砂が堆積していますが、奥壁を背にすると意外に ”ゆったりサイズ” です。多量の漆喰で固められた板石がリズム良く整列しています。天井石は4枚の花崗岩で構築されていました。
花山塚古墳の行き方!迷路のような山道ルートを解説
花山塚古墳へ行ってみたいけれど、行き方が分からない。
もし迷ってしまったらどうしよう・・・実は私も同じようなことを考えていました。
桜井市観光協会の集いで、いつもアドバイスを頂いている大和の古墳探索さん。一年以上前だったか、花山塚古墳の行き方を書いた紙を、拙宅のポストにご投函頂きました。そのご親切な行為に報いるため、いつか必ずと思いながらも月日が流れていました。
そしていよいよその日が来ました。今回、私は車で花山塚古墳を目指しました。
国道166号線を忍阪から大宇陀方面へ向かいます。女寄峠(めよりとうげ)付近に差し掛かると、道が二手に分かれています。右へ行くと女寄トンネルに入りますが、正解ルートは左です。女寄峠を越えるかつての旧道を進み、しばらくすると左手に花山塚古墳へ向かう山道が見えて参ります。大抵はこのポイントを過ぎて先へ進んでしまうことになります。後続車が気になりますからね(笑)
花山塚古墳への入口ポイントを過ぎると、すぐにまた道が二手に分かれています。右が大宇陀、そのまま直進で榛原方面へと向かいます。ちょっと話は逸れますが、かつての峠越えの道である大宇陀方面へ右折すると、すぐ左手に当館大正楼の看板が見えて参ります。実はここに土地を購入しておりまして、長年来この場所に立ち続けています。
女寄峠の大正楼看板。
これはあくまでも寄り道情報です。旧道に入ったら右折せずにそのまま榛原方面へ直進すると、やがて左手に車一台分ぐらいの駐車スペースがあります。今回はそこに駐車して、徒歩で引き返しました。その途中に「笠間辻」のバス停留所を案内する看板が立っていました。
「笠間辻」停留所の位置図。
当停留所は運行する機関によって、位置が変更になります。停留所の位置につきましては、下図を参照してください。
冬期間(12月1日~3月31日)と夏期間(4月1日~11月30日)では停車位置が異なるようです。この日は1月末だったため、停留所はここより桜井方面に移っていました。位置図によれば、左の赤丸で示されているのが ”冬期の” 笠間辻停留所ですね。
”黒丸の夏期停留所” からさらに桜井方面へ引き返すと、やがて右手に入口が見えてきます。
ここです。
先ほど運転席から左手に見えた入口ポイントです。
鎖が張られていますが、軽くまたいで山道へと入って行きます。
いよいよ花山塚古墳への行路が始まります。
林立する木々の間から木漏れ日が差し込みます。
人気の感じられない山中ですが、割と明るい印象です。
歩を進めて行くと、右手に何やら工事中のような柵がありました。
まだまだ先へ進みます。
はい、ここが重要なアクセスポイントです。
左へ上がって行く道が見えます。
ここを上がって行くことになります。
ちなみに、ここへ辿り着く手前にも左方向へ上がって行く道がありました。間違わないようにしたいですね。正解ルートの左側には小川が流れています。左へせり上がる道の左手には小川がある、このことを覚えておきましょう。
ここを登って行きます。
ちょっと引いてみると・・・
こんな感じ。
左側に小川の流れる窪みが確認出来ますね。
ここで確認しておきますが、花山塚古墳へのアクセス手順は左、右、左です。その最初の左がこのポイントになります。
最初にルートの概要をお伝えしておきます。道順は一・左、二・右、三・左の順番なのですが、最初の一・左の次にくる二・右はすぐにやって来ます。ところが、それに続く三・左はかなり登った後になります。
ここが、二・右のポイントです。
左手へ上がって行くと、あっという間に現れる最重要ポイントです。
赤い紐の巻かれた木の両側に道が付いていますね。右へ行くのか、左へ行くのか?
正解ルートは右です。なぜ最重要ポイントかというと、私が間違ったからです(笑)
もう少し引いてみると・・・こんな感じ。
これだと左へ行ってしまうのも無理はありません。皆さんも間違わないようして下さい。赤いテープの木の向こう側、右手に回り込んで登って行きます。反面教師の情報ですが、左へ進んで行くと以下のような景色に出くわします・・・似たようなものを目にしたら、間違った道ですのですぐに引き返して下さい。
左手の小川に架かる橋。
この梯子のような橋を目にしたら、間違った道を進んでいます。すぐに引き返して下さい。私はこのまま橋を渡らずに、さらに直進して行きました。
そうすると、ちょっと開けた場所に出て右手には特徴的な木が生えていました。
猿の腰掛のような出っ張りのある木ですね。
もちろん、こんな風景に出会ったら間違っています。このままあたふたすると、どんどん迷路に迷い込んでしまいます。すぐに来た道を引き返しましょう。
二・右のルートを取ったら、その先の坂道を登って行きます。
しっかりと道は付いており、枝折(しおり)代わりのテープが誘導してくれます。
どんどん進みます。
迷うことなく邁進しましょう。
うん?
ここを左かな?
とも思ったのですが、正解ルートはまだ直進です。向こう側に倒れ掛かった木に紐が結ばれており、少し紛らわしいですね。二・右から三・左のポイントに辿り着くまでは、結構時間が掛かりました。まだまだ登って行きます。
ここが三・左の最終コーナーです。
かなり登り切ったポイントに当たります。
左へ曲がったら、木に巻かれた紐を頼りに進みます。
もうすぐそこです。
ここから右手奥に、花山東塚古墳の横穴式石室が開口していました。
花山東塚古墳の案内板。
花山西塚古墳の南東側の斜面に築かれた円墳で、西塚と同じく北側斜面を馬蹄形に整形して、中央部に径約17m、高さ3.5mの墳丘を作る。
石室は南に開口する磚槨式の横穴式石室で、扁平な石英粗面岩(榛原石)を積み、漆喰で固めて、最後に壁面も塗り固めている。
玄室は現存長3.15m、幅1.72m、高さ1.9mあり、羨道部は破壊されている。7世紀後半の渡来系豪族たちの墳墓かと考えられる。
被葬者は渡来系豪族か?花山東塚古墳の石室見学
花山東塚古墳は7世紀後半の円墳です。
西塚古墳とは異なり、玄室の奥に横口式石槨は見当たりませんでした。
石室は石英粗面岩(榛原石)を積み上げ、漆喰で塗り固めた構造です。
花山東塚古墳の開口部。
滑り込むように石室の中へ入ります。
奥壁までそんなに距離はありませんね。
念のため懐中電灯があると便利ですが、持参していなくても問題ないでしょう。
花崗岩製の天井石。
玄室の奥壁・側壁は板状の榛原石で構成されていますが、天井を覆う巨石は花崗岩です。
東塚古墳の側壁。
やはり石室インの出来る古墳はいいですね。
細部に至るまで、古墳時代の空間を共有することができます。
玄室空間。
高さが1.9mですから、成人男性でも立ち上がることができます。
開口部に届く光。
小動物にでもなったような気分です。
素晴らしいですね。
さすがに奈良県桜井市は古墳の宝庫です。
多くの桜井市民が、この場所を知らないという現実にも目を向けなければなりません。地元を知ってこその観光振興です。観光地化されていない古墳が多いのも、桜井市の特徴です。「あるもので勝負する」とよく言いますが、新たな箱モノは不要です。今ある資源を有効活用する知恵が必要ではないでしょうか。
東塚から左手奥へ!北西方向にある国の史跡
花山東塚古墳の見学を終えたら、次はいよいよ西塚古墳です。
国の史跡にも指定される由緒ある磚槨墳です。
花山西塚古墳への行き方ですが、意外と勘違いが多いのでここに記しておきます。
東塚古墳とはちょっと高低差があります。東塚古墳の開口部から左手奥へと登って行きます。そう、登って行くのです。単に左方向へ移動しないように注意が必要です。
ここを登って行きます。
例の如くテープが巻かれていました。
あっ、アレですね。
東塚古墳からここまで3~4分でしょうか。行く手に西塚古墳と思しき石号標が建っています。
これです。
ネットで何度も目にした鉄製の檻もそのままです。
反対側から。
山深い場所とはいえ、かなり明るいエリアです。燦々と太陽光が降り注ぎ、古墳探索にありがちな湿っぽい雰囲気はありません。
「史蹟花山塚古墳」の石標。
それにしても、このような外観の横穴式石室は珍しいですよね。まるで動物の檻です。
檻の上部に扉が付いていて、ここから石室インが可能です。
ところが・・・なぜか固くて開けられませんでした。まぁいいか、と諦めて柵の隙間から撮影を試みます。
お~、見事な磚槨墳です!
この写真からも分かりますが、玄室の側壁は約1.2mの高さまでは垂直で、それ以降は持ち送っています。つまり、天井へ向かって斜めにせり上がっているのが確認できますね。
残念ながら、羨道の天井石はすっかり失われています。
両袖式の横穴式石室だったようです。
玄室のさらに奥には、横口式石槨が確認できます。「奥室」と呼ばれる空間ですが、その底には板石が敷かれているようです。向かって左側に、石扉の軸穴が残されています。
檻の上から撮影。
羨道の側壁ですね。
お行儀よく榛原石が並ぶ磚積式です。
辛うじて奥室を撮影(笑)
高さは90cmですから、屈まないと入れない高さですね。
壁面には漆喰が塗られています。副葬品は見つかっていないようですが、朝鮮半島の百済や高句麗の磚槨墳に類似していることから渡来系豪族の墳墓と推測されます。
積年の夢であった花山塚古墳。
ついに訪れる機会に恵まれました。花山塚を制覇したなら、次は同じく粟原にあるムネサカ古墳です。具体的なルート案内が見つかりませんが、少々迷ってでもトライしてみようかなと思います。