三輪山麓にはたくさんの古墳がありますが、弁天社古墳もその中の一つです。
三輪山の西麓に広がる茅原区を歩きながら、初夏を彩るシロツメクサやポピーの花を楽しみます。神御前神社から少し北へ進むと、左側に大神神社末社の富士神社・厳島神社が見えてきます。神社の祠の裏側に回り込むと、古墳時代後期の弁天社古墳を見ることができます。
弁天社古墳の横穴式石室。
弁天社古墳の左側が富士・厳島神社で、右側が茅原区集会所になります。
封土は完全に消失しており、玄室が見事に露出しています。
発掘調査は行われておらず、築造時期は不明です。ただ石室の様子から察するに、近くの茅原狐塚古墳との関連が考えられます。
羨道部に残る刳抜式家形石棺
弁天社古墳は石室の中に入ることができます。
羨門部は開口しておらず、玄室奥壁と天井石の隙間から入ることになります。
玄室内に安置されていた石棺は既に破壊され、破片の一部を残すのみです。そこから羨道部に目を向けると、凝灰岩を刳り抜いて造った家形石棺が残っています。残念ながら家形石棺にも穴が開けられ、盗掘を受けている様子がうかがえます。
大木の根っこに絡み付くように石室が剥き出しになっています。
まるで巨樹に宿る霊的なパワーが、古代の古墳を包み込んでいるよう(^.^)
富士・厳島神社と弁天社古墳の境目の部分。
弁天社古墳は南向きの両袖式横穴式石室とされます。羨道部に家形石棺が残されていることからも、大変貴重な古墳であることがうかがえます。なお、羨道部に残る石棺は、横穴式石室でよく見られる追葬用のものと思われます。
大神神社の境外末社である富士神社・厳島神社を参拝させてもらったのは今回が三回目だったのですが、今まで弁天社古墳の存在に気付くことはありませんでした。それもそのはず、境内の目立つ場所に弁天社古墳の案内板は見当たらず、富士・厳島神社の背後に回り込まない限り、その存在を確認することができません。
茅原大墓古墳からも程近い場所にある弁天社古墳。
箸墓古墳をはじめとするメジャーな古墳に隠れ、地元の人でもその存在を知る人はそう多くないでしょう。古墳巡りが好きな人にとって、是非とも訪れておきたい穴場古墳の一つです。
弁天社古墳ですが、この富士・厳島神社に上手い具合にカムフラージュされています。
神社の祠の背後にある弁天社古墳。木が生い茂っているのは分かりますが、真正面からでは石室の存在に気付くことはできません。
まだ発掘調査は行われていないようです。
長い年月に渡ってほぼ手付かずの状態が続いているようです。
上空のヘリコプターの音が鳴り響いた箸墓古墳の立ち入り調査がつい昨日のことのように蘇ります。被葬者の権力の大きさが、注目度の違いとなって浮かび上がります。
隙間が見えますね。
風雪に耐えてきた絶妙な石組を垣間見るような気がします。石舞台古墳の隙間からも絶妙なバランス感覚が伝わってきますが、弁天社古墳の場合は隙間から中に入ることも出来るようです。
大きい岩に小さい岩。
それぞれがそれぞれの役割を担いながら、石室の中に残された家形石棺を守ってきたのでしょう。
斜めの角度から富士・厳島神社を仰ぎます。
厳島神社のことを”弁天社”と言うわけですが、御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。狭井神社の手前の鎮女池に鎮座する市杵嶋姫神社には、ここ厳島神社の御分霊が祀られています。俗に言う芸能の神様です。
茅原区集会所。
富士・厳島神社の裏側、弁天社古墳のすぐ西にあります。茅原区に住まう方々にとっては、弁天社古墳は家の庭のような存在なのかもしれませんね。
三輪山麓のハイキング途中にでも、是非一度立ち寄られることをおすすめします。
元伊勢と呼ばれる檜原神社へも徒歩圏内です。
こんな場所に古墳があったのかと、その意外性に驚かされるのではないでしょうか。立地的なことで言えば、安倍文殊院の近くの艸墓古墳にも驚かされましたが、弁天社古墳の方はフェイントを食らわされたという感じです。