乾城(カンジョ)古墳を見学して参りました。
カンジョ古墳は二段築成の方墳で、両袖式横穴式石室が南に開口しています。特筆すべきは5.1mもの高さを誇るドーム型の玄室です。石舞台古墳の玄室高が4.7mですから、それをも凌ぐ規模を持つ巨大石室です。
高取町与楽のカンジョ古墳。
左手に見えている建物は飛鳥病院(医療法人中川会)です。カンジョ古墳へアクセスする際には、飛鳥病院が目印になります。カンジョ古墳の周りは只今工事中で、古墳の整形及び整備が行われていました。
ドーム型横穴式石室の被葬者は渡来系氏族の東漢氏か!?
ドーム状の石室を持つ古墳。
同じようなタイプの墳墓には、真弓鑵子塚古墳、与楽鑵子塚古墳、沼山古墳などが挙げられます。いずれもカンジョ古墳から近い場所にあり、益田岩船の近くに開口している沼山古墳へは既に足を運んで参りました。持ち送りが顕著で、天井が高い構造は渡来人の墳墓によく見られます。
カンジョ古墳の玄室内。
天井に向かって急な傾斜が付いています。”持ち送り” と呼ばれる石室構造ですね。
それにしても天井が高い!
カンジョ古墳の石室内へは入れないのですが、玄室の手前から覗き込むことができます。横穴式石室には3mの長さの羨道があるのですが、残念ながらそのほとんどがコンクリートで固められていました。玄門付近まで行くと、施錠された扉があってその隙間から中の様子をうかがうことができます。
渡来人たちが暮らした飛鳥の地。
キトラ古墳の壁画体験館にも、渡来人のコーナーが設けられていたことを思い出します。国際色豊かないにしえの飛鳥で活躍した渡来人たち・・・その陵墓の前で、石舞台古墳よりも高い玄室内を見上げます。
ここは高取町与楽。
カンジョ古墳には駐車場がなかったので、古墳南方の道路脇に路駐しました。そこから徒歩でカンジョ古墳へ向かいます。実はこの辺りに来るのは今回が初めてでした。何度も高取町には通っているのですが、与楽エリアは私にとって穴場でした。
近鉄飛鳥駅前の国道169号線を南へ向かうと、マルコ山古墳へアクセスする「地ノ窪」というポイントがあります。そこより一本北側、つまり地ノ窪より手前に右折する道があります。角にはコンビニがありますので分かりやすいと思います。道なりに車を走らせ、丘陵を登って下りた辺りにカンジョ古墳があります。
人工的に補強された開口部が見えています。
ちょっと残念な気もしますが、後世に残していくためには苦渋の決断だったのかもしれません。横穴式石室の羨道といえば、古墳の心臓部である玄室へつながるアクセス道です。古墳見学の際には、誰しも胸の高鳴りを覚える空間ですよね。その羨道が、ほぼ見る影もなくなってしまっているようです。
乾城(かんじょう)古墳と案内されています。
カンジョ古墳、カンジョ古墳と言い習わしていますが、どうやらこの乾城古墳が当初の名前のようです。
鑵子塚古墳と貝吹山城跡の道案内も付いていました。
鑵子(かんす)とは、湯を沸かすのに用いる青銅製または真鍮製の器のことで、茶鐺(ちゃとう)とも呼ばれています。茶の湯に用いる茶釜も ”鑵子” と言います。要するに、”ドーム状の空間を持つ器” といったニュアンスでしょうか。鑵子(カンス)に似ているから、鑵子塚古墳と命名されているようです。
工事中の看板が立っていました。
”古墳の整形及び整備の工事をしています” と書かれています。
2017年3月中旬のカンジョ古墳です。
古墳の整備計画は各地で進められていますが、どうも一長一短があるようです。原初的な雰囲気をすっかり失くしてしまい、期待していた古代空間が味わえない古墳も多く見られます。カンジョ古墳の整備が上手い具合に進められることを祈ります。
県指定史跡 カンジョ古墳
貝吹山より南にのびる丘陵の先端に営まれた古墳で、すでに墳丘の北側と西側は大きく削られ、その原形や規模については明らかにしがたいが、径約20m前後の円墳と推測される。埴輪などの外部施設は認められない。
埋葬施設としては、南に開口する両袖式の横穴式石室が営まれている。玄室は天井がきわめて高く、四壁とも比較的巨大な石材を4~5段積みにしており、持ち送りが顕著で天井は一石よりなる。玄室の長さ約5.7m、幅約3.6m、現状の高さ約4.6mであるが、玄室内には土砂の流入が著しく本来の高さは5m以上と推測される。
羨道の現存長は約3m、幅約1.5mで、高さは玄室より約3.5m低い。墳丘規模は大きくはないが、石室の天井がきわめて高く四壁の持ち送りが顕著で、このような特色は渡来系の有力氏族によって築かれた横穴式石室として注目される。出土遺物については何も知られていないが、横穴式石室の型式などから7世紀前半に築造されたものと想定される。
解説パネルには円墳と案内されていますが、現在では方墳と判明しています。
調査を重ねる中で、墳形の書き換えが行われることはよくあります。現段階では、カンジョ古墳は一辺約36m前後の方墳と発表されています。
案内板の脇に石室へと通じる階段が付いていました。
随分前からこの場所に取り付けられた階段です。
階段を上って、今来た方向を見下ろします。
取り立てて何もない、長閑な風景が広がります。
横穴式石室の羨道部。
見事なまでにコンクリートで固められていました。わずかに奥の側壁部に、巨石の表面だけが見られます。
わずかに残された側壁。
今は亡き古代空間の残像を、辛うじて伝えようとしています。鉄扉の向こうには、カンジョ古墳を有名たらしめるドーム状の空間が広がっています。
カンジョ古墳の玄室。
玄室の床にはシートが被せられていましたが、実はこの中央には棺台が築かれています。言われてみれば、少し盛り上がった箇所が確認できますね。
玄室の床面からは、銀製指輪やミニチュア炊飯用具の一部、さらには木棺に使われる鉄製釘も発見されています。橿原市の沼山古墳からもミニチュア炊飯具が出土しており、渡来系氏族の墳墓を特徴付ける出土品として注目されます。
天井石は一枚です。
持ち送りによって天井部分の面積が小さくなっていますね。
見晴らしのいい場所です。
こんな所に自分の仕事部屋があったらいいだろうなと思います。葬られている被葬者も、この長閑な雰囲気に満たされているのではないでしょうか。
所々に赤く塗られた木の柱が立っています。
数字が振られており、何かの計測に使われているのかもしれませんね。
二段に築かれた方墳と言いますが、なんとなくその形状が分かるような気も致します。
ちょっと痛々しい光景ではありますが、与楽カンジョ古墳にとっては今が辛抱の時ですね。
案内板が墳丘に寄り掛かるように立っています。
おそらくこの案内板も、新しく付け替えられるのでしょう。書き換える箇所も出てきましたしね。
こうして見ると、まるでマウンテンゴリラのよう(笑)
補強された四角いコンクリートが妙に目立っています。
横穴式石室の袖部。
カンジョ古墳は両袖式の横穴式石室です。奥壁を背にして開口部に振り返れば、よりはっきりと分かるのですが、鉄扉越しにでも両袖式であることが確認できます。
墳丘の周りも見学することができます。
ここはカンジョ古墳の墳丘西側です。南から北の方を望みます。
今度は、墳丘西側の北から南へ向き直ります。
工事中ということは、つまりこの状態のカンジョ古墳が見られるのはこれが最後ということになります。何にせよレアな状況のカンジョ古墳です。ラッキーだったと思うことに致しましょう(笑)
見事な持ち送りです。
物理学の公式など無かったであろうに、実に巧みに組み上げられています。
玄室の側壁も巨大ですね。
与楽カンジョ古墳の近くには、国史跡の寺崎白壁塚古墳もあります。同じく渡来系氏族の墓と考えられており、素晴らしい横口式石槨が残されています。
まだまだ見所の多い高取町エリアを実感した一日でした。