福智院の地蔵大仏

以前から一度拝観してみたかった福智院の地蔵菩薩

その立派な体躯から、「地蔵大仏」の呼び名で知られるお地蔵様です。

数年ぶりに新薬師寺を拝観した後、閑静な高畑エリアを西へ下り、南都福智院のある福智院町まで足を伸ばしました。

福智院の地蔵大仏

本堂の拝観受付で400円の拝観料を納め、本堂内の木造地蔵菩薩坐像を拝ませて頂きました。

右手に錫杖、左手に宝珠を持つスタイルの仏像で、像高2.73mの丈六坐像です。胸板が盛り上がり、男性的な特徴を持つ御本尊ですね。福智院の地蔵大仏は寄木造で、その材は前面がカツラで背面にはヒノキが用いられています。

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安座と化仏が見所の地蔵菩薩

福智院の地蔵菩薩の右足は、安座という独特のポーズを取っています。

完全に胡坐をかくのではなく、右の足首を少し前に突き出していらっしゃるのです。意識的に少し崩した姿勢をお取りになられています。今すぐにでも立ち上がれそうな、そんな動きが感じられます。地蔵大仏の左側に回って近くから見てみましたが、確かに右足の裏側がはっきりと確認できました。

福智院

福智院の山門。

クリーム色の壁が朱色の柱を際立たせています。

お地蔵様は概してお立ちになられていることが多いものです。

道端の地蔵石仏も、そのほとんどが錫杖を手に立っています。立ちながら、道行く人々を見守っているのです。六道輪廻の世界において、たとえ地獄に堕ちたとしても、地獄まで下りて来て救いの手を差し伸べて下さるのがお地蔵様です。悟りを開いてじっと瞑想する如来の姿とは明らかに異なります。そんな行動的なお地蔵様の姿を表しているのが、地蔵大仏の右足の安座なのかもしれませんね。

福智院の地蔵菩薩像は座っています。その意味では、如来に近いお地蔵様なのかもしれません。しかしながら、その見開いた目や右足の安座には動的なメッセージが感じ取れます。しっかりと衆生を見守って下さっている様子が、その目からもうかがえます。

福智院地蔵の化仏

拝観パンフレットの化仏。

福智院の地蔵菩薩は舟型光背を背負っています。その4.95mの光背いっぱいに小さな化仏が見られます。千仏光背とも言われ、御本尊の分身とされます。福智院本堂に居座る御本尊に代わって、衆生を救いに行くと言われる化仏。その一体一体に円い光背が見られ、皆お立ちになられているのが分かります。

舟型光背の二重円相部には、頂上に不空成就如来(釈迦と同体)、その下左右に三体ずつ、計六体の地蔵菩薩像(六地蔵)、さらに最下部左右には二体の冥官座像が確認できます。

地蔵像に多数の化仏が表現されることは他に類を見ず、福智院の地蔵大仏特有のものとされます。

福智院の地蔵石仏

本堂向かって右手に、多数の地蔵石仏が祀られていました。

お地蔵様を見ると、なぜかほっとした気持ちになりますね。

福智院の地蔵菩薩

それにしても、見事な舟型光背です。

びっしりと化仏で埋まっています。

光背の化仏が560体、六地蔵と本尊を入れると全部で567体を数えます。これはお釈迦様の入滅後、56億7千万年後に下生すると伝えられる弥勒信仰にも符合します。弥勒信仰をも体現しておられる貴重な地蔵菩薩であることを再確認しておかなければなりませんね。

国の重要文化財にも指定される地蔵大仏は、建仁3年(1203)の造立とされます。

福智院の方のお話によれば、地蔵大仏を造った仏師の名前は明らかになっていないようです。ただ、造られた時期が東大寺南大門の金剛力士像(仁王像)と一致するとのことで、運慶快慶などの慶派によって製作されたのではないかと推測されます。

福智院本堂

福智院本堂

建長6年(1254)に建立された国の重要文化財です。

外観からは重層建築物のようにも見えますが、実は一重の裳階付きとされます。その屋根は飾りの意味合いの強い裳腰(もこし)で、天井の高い単層建築物です。方一間の身舎(もや)に、四方に四間のもこしが廻る形です。正面に一間の向拝が付き、均整の取れた美しい本堂となって参拝客を出迎えます。

巨大な寺域を誇った清水寺(福智院前身)

福智院の歴史を辿れば、清水寺(しみずでら)という大きなお寺に行き着きます。

地蔵大仏の御前で冷たいお茶とお菓子を頂ながら、お寺の方の話に耳を傾けます。福智院は元々、福智院ではなかったというお話に興味を抱きました。福智院は清水寺というお寺だったのです。

福智院山門

福智院山門。

清水と言うだけに、清らかな水の流れを想像します。

今も福智院界隈には、酒造会社や醤油屋が建ち並び、清らかな水を使って商いをしていた名残りが感じられます。地下には今も、綺麗な水が流れているのかもしれません。

現在の奈良ホテルや頭塔周辺も、昔は清水寺の境内だったそうです。

福智院の軒丸瓦

福智院の軒丸瓦。

福智院は聖武天皇が発願し、736年に僧玄昉が創建した清水寺というお寺を前身としています。

清水寺の遺鉢を受けた寺として、長きに渡って受け継がれてきた歴史があるんです。現在もこの辺りには、上清水町・中清水町・下清水町という町名が伝わります。

御本尊の地蔵大仏も今の場所に坐していたわけではなく、奈良市狭川町(当時の福智庄)において造立されています。1203年に造立された御本尊は、その後間もなく興正菩薩叡尊上人によって現在地に移されています。建長6年(1254)には興福寺大乗院実信僧正が、福智院地蔵堂の造立供養をして福智院が創建されました。地蔵大仏を現在地に移した功績からも、西大寺の叡尊上人は福智院の中興の祖という位置付けになるのではないでしょうか。

遺跡も発見されず、幻のような存在になっている清水寺。しかしながら、「奈良坊目拙解」には ”清水の三町は奈良清水寺の古跡で、後に福智院と称す。” と記されています。

福智院の勝軍地蔵尊

玄昉僧正顕彰碑と勝軍地蔵尊。

山門を入ってすぐ左手に福智院を創建した玄昉僧正の顕彰碑がありました。吉備真備らと共に遣唐使として唐に渡り、その後の日本の発展に寄与した玄昉僧正。橘諸兄が政権を握っていた頃に吉備真備らと共に活躍しましたが、藤原氏に疎んじられて太宰府の観世音寺に左遷されます。任地で没した玄昉僧正には怨霊にまつわる逸話も数多く残されています。

玄昉の首が飛んで来たと云われる頭塔は、果たして玄昉僧正の首塚なのでしょうか。

かつての清水寺寺域内に頭塔が位置しているのも、単なる偶然ではないような気が致します。毎年6月18日には「玄昉忌」が催され、福智院本堂にて法要の後、玄昉の首塚と伝わる頭塔でも法要が行われています。

福智院の勝軍地蔵尊

勝軍地蔵尊。

お地蔵様にも色々なタイプがあるようです。甲冑を身にまとい、武器を手にした姿で馬にまたがる地蔵尊。そのお供には、毘沙門天尊と不動尊が付き従います。鎌倉時代以降、武家に信仰の厚かった珍しいお地蔵様です。

福智院の観音像

体をくねらせた白い観音立像。

まだ新しい仏像なのでしょうか、周りの地蔵石仏とは明らかに雰囲気が違いました。

福智院の十一面観音像

宝冠十一面観音菩薩立像

山門手前に、秘仏として知られる十一面観音様の写真が掲げられていました。

春秋のみの特別開扉かと思っていたのですが、どうやら地蔵盆の時にも特別公開されるようです。元は伊勢の浄水寺に安置されていた仏像で、明治の廃仏毀釈で個人の手に渡った後、縁あって福智院が迎えることになった客仏です。ふくよかな肉付きの観音様で、どこか衆生に近い印象を与えます。

地蔵大仏の右手奥に十一面観音の厨子がありましたが、残念ながら私が訪れた日は拝観することができませんでした。地蔵盆の7月23日には、本堂前の蔀戸(しとみど)も開かれ、外から御本尊の顔を拝むことができるそうです。今は台座の上に坐している地蔵大仏ですが、当初は台座が無かったようです。そのため、蔀戸を開けばちょうど御本尊の顔を拝む形になったようです。

福智院本堂

山門を入って真正面に本堂があります。

賽銭箱の上の、格子戸の途切れた部分が蔀戸ですね。

本堂内陣には、和様を主体とする頭鼻に天竺様繰形が用いられています。和様と天竺様の折衷スタイルは、内陣拝観時の見所の一つでもあります。

福智院の地蔵石仏

地蔵石仏が無造作に置かれています。

唐で法相教学を学んだ玄昉僧正。経論5,000余巻を持ち帰り、国分寺や国分尼寺の建立にも貢献しています。仏の教えを柱とする国造りに奔走した玄昉が、福智院の創建に関わっていたことを本堂内の拝観で知ることになります。御本尊・地蔵大仏の手前左側には玄昉像も安置され、その遺徳が偲ばれます。

福智院のお墓

大乗院門跡の五輪塔

本堂の拝観入口を出た所に、多数の五輪塔が建っていました。

鉢には蓮も植えられています。手前の植物は半夏生でしょうか、つい先日に龍田大社で見た半夏生を思い出します。

福智院パンフレット

真言律宗清冷山福智院の拝観パンフレット。

清冷山という山号が、いかにも前身の清水寺を思わせます。

小冊子の表紙には化仏の写真と、「釈迦はすぎ 弥勒はいまだ 出ぬ間の かかる憂き世に 目あかしめ地蔵」という言葉が掲載されています。その意味が冊子の裏側に案内されていましたので、ここに引用致します。

釈迦如来は涅槃に入られ、弥勒仏がお出ましになるまでの無仏(来法)の時代と呼ばれる、迷いと苦悩に満ちたこの世をお地蔵さまがお救い下さいます。

まさに今の世は、お地蔵様の救いによって成り立っているのかもしれませんね。

福智院の地蔵石仏

境内には様々な地蔵石仏が居並びます。

冒頭に丈六坐像と記した福智院の本尊ですが、厳密に言えば丈六ではなく丈八仏像ということになります。丈六坐像が2.4mに相当しますから、2.73mの地蔵大仏は丈八サイズに当たります。1.65mの宜字座(せんのじざ)の上に、4.95mの舟型光背が重なりますから、台座からの総高は6.6mにも及びます。

裳懸(もかけ)の宜字座には飛鳥・白鳳時代の古式様法が見られ、この仏像の特徴の一つとなっています。蓮の上に座るのではなく、四角い箱のようなものの上に座っています。ちなみに宣字座の名前の由来は、「宣」という漢字の形に似ているからだと言われます。

日本広しと言えども、なかなかお目にかかることのない地蔵菩薩。

大変貴重な地蔵菩薩坐像を福智院の本堂に見ることができます。福智院は伝香寺、元興寺、十輪院と共に大和地蔵十福霊場会にも属しており、福徳招来の地蔵スポットとしても注目を集めています。

今回私は新薬師寺から徒歩で下って参りましたが、近鉄奈良駅から福智院への行き方をご案内しておきます。福智院へのアクセスは、近鉄奈良駅からだと奈良交通バス「天理方面」行き6分「福智院町」下車すぐとなっています。

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