太子道の油掛地蔵!川西町吐田

川西町吐田(はんだ)の油掛地蔵。

お地蔵様に油を掛ける習わしがあります。奈良市古市場にも油掛地蔵が祀られていますよね。ユニークな民間信仰が残る奈良県は散策のし甲斐があります。

川西町の油掛地蔵

川西町の油掛地蔵尊。

長年の油で真っ黒になっていらっしゃいます。なぜ油を掛けるのか?様々な伝承があり、一つに絞り切ることは出来ませんが、庶民に親しまれているお地蔵さんであることに違いはないでしょう。

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油掛地蔵のご利益とアクセスルート

行き方に迷う地蔵石仏です。

今までに2度ほどお参りしようと思ったのですが、辿り着けずに断念していました。少々アクセスに難のある仏像なのかもしれません。ただ、一度把握してしまえば問題はありません。油掛地蔵の行き方も交えてご案内致します。

油掛地蔵に祈る地域住民

油掛地蔵に手を合わせる地域住民。

お地蔵様の正面に、聖徳太子の通勤路と伝わる太子道が通ります。油掛地蔵が向いている西の方角には、杵築神社の社叢が見えています。杵築神社の所在地も一つの目印になるでしょう。

太子道沿いの油掛地蔵

大和川の堤上から撮影。

ちょうど田植シーズンで、田んぼに水が張られていました。吐田の油掛地蔵は、大和川と寺川の間の低地に祀られています。

油掛地蔵と供花

花が供えられていました。

皮膚病にご利益があると言われる油掛地蔵。

吐田はその昔、低湿地帯を開墾したエリアです。水害に悩まされた地域でもあり、油が水をはじくことにちなみ、いつの頃からか油を掛けるようになったとも伝わります。

油掛地蔵の案内板

油掛地蔵の案内板

本尊 石造地蔵菩薩立像

聖徳太子の通学路として知られている太子道(筋違い道)沿いにある油掛地蔵は大永3年(1523)に造られています。

舟形光背を持つ像高152cm(台座含む)の立像で、泥田の中にうずもれていたものを引き上げて、この地にお祀りしています。クサ(できもの)が出来ている子の母親がこの地蔵さんにお祈りをして油を掛けていると、クサが治ったという伝承があります。願を掛ける日は油を掛ける習わし(燃灯供養)があること、当寺この地域が水害の多い地域であったため油を掛けて水をはじくようにということから油掛地蔵と言われています。

油掛地蔵保存会のお願い

油掛地蔵保存会からのお願いですね。

掛ける油は植物油に限ります。くれぐれも石油系の油を掛けないようご注意下さい。また、御前には水が供えられていました。油と勘違いして掛けないようにしましょう。お参りマナーとして、自前の植物油を持参することが推奨されているようです。

上吐田自治会防災倉庫

上吐田自治会の防災倉庫。

油掛地蔵から県道108号をはさんだ東側に上吐田の集落があります。

集落に足を踏み入れると、防災倉庫がありました。水害に備えるためのものでしょうか。道が細く、狭いエリアに民家が集います。類焼を防ぐため、火事への備えも必要でしょう。

さて、今回は川西町役場方面から油掛地蔵を目指す際のルートをご案内しておきます。

役場から北へ向かい、県道36号(天理王寺線)に出たら左折します。すると右手に東洋シャッターの奈良工場が見えてきます。

油掛地蔵のアクセスルート・東洋シャッター奈良工場

工場前を西へ進みます。

県道108号に出たら、今度は右折します。県道108号(大和郡山広陵線)は結崎工業団地の中を南北に通っています。しばらく北へ進み、道路がカーブを描きながらせり上がっていくポイント・・・そこが最重要ポイントとなります。

せり上がる手前で左折するのが正解です。

油掛地蔵のアクセスルート

ここです。

ここを左折します。この写真を頭に焼き付けておいて下さい。県道108号を北へ向かっていますが、大和川を越えないようにしましょう。

油掛地蔵のアクセスルート・杵築神社の社叢

左へ曲がって西の方を見ます。

緑の社叢は杵築神社です。その手前の道路脇に小さなお堂が見えていますよね。アレが吐田の油掛地蔵です。東洋シャッターから西へ向かう際、県道108号で右折するのですが、そのまま真っ直ぐ行くルートもあります。直進すると、寺川に架かる橋へ出ます。

寺川に架かる橋・島の山古墳

ここです。

向こうに見えているのは、前方後円墳の島の山古墳です。この橋の手前から北へ、太子道が伸びています。太子道ルートを北上してもいいと思います。

油掛地蔵のアクセスルート・県道108号大和郡山広陵線

県道108号の脇には、サイクリングロードが整備されていました。

油掛地蔵のアクセスルート・ボスティックニッタ株式会社

県道108号沿い、結崎工業団地内のボスティック・ニッタ株式会社。

接着剤のリーディングカンパニーのようです。

油掛地蔵のアクセスルート・ならクル物部ルート

奈良県内のサイクリングロードは「ならクル」の愛称で親しまれます。

ここは物部ルートで、天理までの距離は8kmと案内されていました。

油掛地蔵のアクセスルート・県道108号大和郡山広陵線

川西町吐田を通る県道108号。

私は徒歩で向かいましたが、車で油掛地蔵を目指してもOKです。短時間のお参りであれば、地蔵堂の手前に車を停めても問題は無いと思います。道は狭いので、きちんと左側に寄せるようにしましょう。

川西町の油掛地蔵

光背も真っ黒ですね。

これだけ黒光りしていると、表情もいまいち読み取れません。

油掛地蔵のアクセスルート

ここです、ここ(^O^)

油掛地蔵へアクセスする際の最終コーナーです。左へ曲がって下さい。右へ曲がれば、上吐田の集落です。ちなみに油掛地蔵のお世話ですが、吐田の皆さんがなさっているようです。

上吐田集落の入口

上吐田の集落へと入る道。

右向こうに見えている社叢ですが、おそらく八幡神社(白米寺)でしょう。

川西町の油掛地蔵

北から見る油掛地蔵。

大和川の堤防から下るルートですね。

川西町の油掛地蔵

油掛地蔵から南へ伸びる道。

ちょうどここが、太子道をストレートにとらえるポイントです。

太子道の油掛地蔵

きれいに整備されていますね。

農作業中の休憩場所にも使われているようです。

川西町の油掛地蔵

杵築神社前から見る油掛地蔵。

西から東の方角を向いています。

川西町の油掛地蔵

毎年7月23日には地蔵盆が催されます。

さらに11月22日には、『太子道をたずねる集い』が開催されているようです。

川西町の油掛地蔵

「油掛地蔵尊」と刻みます。

油掛地蔵

川西町の有形民俗文化財にも指定されました。

伝承によれば、神武天皇が即位した際、現在の吐田は大和國の「なかば」に当たり、「半」の字を使ったそうです。『半田(はんだ)郷』と名付けられ、一つの地名由来説として語り継がれます。

油掛地蔵

油を使いますからね。

油掛地蔵の周辺は、火気厳禁です。

油掛地蔵

半田郷で休憩していた聖徳太子。

この場所に後世に伝わる足跡を残したいと考えた太子は、西に向かって「南無仏、南無仏」と唱えました。すると、紫色の雲が沸き立ち、花が舞い散る空中から延命地蔵菩薩が出現したと云います。その姿を彫刻した石像こそが、今の油掛地蔵という逸話も残ります。

ハンダ

電信柱の表示「ハンダ」。

上吐田集落

上吐田の集落へと通じる道。

北に目をやると、浄化センターの建物が見えました。

この辺りは『まほろば健康パーク』にも近く、ウォーキングついでに立ち寄るのもおすすめですね。大和川沿いの堤防を歩くも良し、集落内の野神(西城、東城)や八幡神社を見学するのもいいと思います。

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