双石仏としては最古の泥かけ地蔵。
天理市にある泥かけ地蔵ですが、そのアクセスルートをご案内~まずは名阪国道の福住ICを降りて北へ向かいます。氷室神社を右手に見ながらそのまま北上し、七曲り峠への分岐点を過ぎます。やがてゴルフ場へ右折するポイントに入り、ちょうどその辺りに南北朝時代の双石仏がありました。
福住町別所に佇む泥かけ地蔵。
二体仲良く並んでいますね。
向かって右側が阿弥陀如来で、左側が地蔵菩薩です。明徳元年(1390)の双石仏で、大変歴史のある石仏として知られます。
病気平癒や子宝祈願にご利益のある泥かけ地蔵
身体の悪い箇所と同じ場所に泥を塗る風習があるようです。
ピンポイントに泥を塗り、病気治癒を祈願します。あるいは子宝にもご利益があるようで、男の子なら阿弥陀如来に、女の子が欲しいときは地蔵菩薩に泥を掛けるそうです。
福住から矢田原へ向かう県道186号線沿いに位置しています。
矢田原町と言えば奈良市内に入り、春日宮天皇陵(田原西陵)のある場所です。ここは天理市福住町の別所に当たります。泥かけ地蔵の手前を右折すれば、ヤマトカントリーゴルフ場へアクセスします。
このポイントです。
ここを右に曲がって進めば、さる祭りの祭祀場にも続いているようです。
さる祭りとは別所・下之坊エリアの祭事で、天理市の無形民俗文化財にも指定されています。男の子だけが参加する行事で、収穫に感謝し五穀豊穣を願います。注連縄や御幣、でんぼう等を持ち、囃し立てながら練り歩きます。「森さん」と呼ばれる山頂の祭祀場に納められる催事で、毎年12月23日に行われています。
右折ポイントには道標も立っていました。
七曲り峠地蔵(受け取り地蔵)、下之坊大杉(バラモン杉)が案内されています。
泥かけ地蔵も十王仏と同じ笠石仏ですね。
花崗岩製で笠石と龕から成ります。
泥かけ地蔵の解説パネル。
明徳元年(1390)南北朝時代
向かって、右に阿弥陀如来、左に地蔵菩薩を刻む。双石仏。病気になったとき、その病箇所にあたる、石仏の躰の部分に泥を塗り、病平癒の祈願をする。治るとその泥を洗い落としお礼参りをする。このことから泥かけ地蔵と呼ばれる。
また安産祈願で、男の子が欲しいときは右側、女の子が欲しいときは左側の石仏にお願いをする。
願いが無事に叶ったら、お礼参りも忘れてはなりませんね。
せっかくの石仏が泥を塗られたままでは可哀想です。有難く満願したら、お礼の意味を込めて泥を洗い落とすのが慣わしのようです。
阿弥陀さんにお地蔵さん。
来世のイメージのある阿弥陀如来に、地獄の果てまで救いの手を差し伸べて下さるという地蔵菩薩。普段はあまり結び付きの感じられない二体ではありますが、こうやって仲良く並んでいると ”ご利益倍増” の感があります。
辻に立つ石仏。
いいですね、こういう光景はいつまでも残していきたいものです。
峠や辻々で私たちを見守り続けている石仏に、感謝の念が沸々と湧いて参ります。日本の原風景がここにも残されていました。