石舞台古墳の拝観パンフレットに、柿本人麻呂の万葉歌が紹介されていました。
御食(みけ)向かふ 南淵山(みなふちやま)の 巌(いはほ)には 降りしはだれが 消え残りたる
特別史跡の石舞台古墳。
今でこそ石の上に登ることは禁止されていますが、昔は旅芸人が舞台の上で演じていたとも伝わります。
古代の言葉遊び!南淵山の巌に降り積もる雪
冬になると、石舞台古墳の上に雪が降り積もり、
道行く人の視線を集める情景が広がっていたことでしょう。
冒頭の歌の意味は、南淵山の岩の上にだけ降り積もった雪が残っているよ・・・ということになります。
ここでいう南淵山の岩とは、まさしくこの石舞台のことです。
石舞台古墳から少し山手の奥飛鳥の方へ足を向けると、南淵請安の墓があります。
石舞台古墳周辺に咲く彼岸花。
御食(みけ)とは、神または天皇に差し上げる食料のことを意味します。
御食(みけ)と似たような言葉に、御肴(みな)という古語があります。魚のことを古語の世界では魚(な)と発音するわけですが、驚くなかれ、今の大阪ミナミを代表する繁華街の難波(なんば、なにわ)は 「魚(な)+庭(にわ)」 に由来します。魚がたくさん泳いでいた土地柄だったことが想像できますね。
石舞台古墳近くのお店に、竹炭ブレスレットが売られていました。
話しは長くなりましたが、御肴(みな)と南淵の「みな」が掛けられて、南淵の枕詞として「御食向かふ」が使われるようになりました。
”御食向かふ 南淵山の 巌には”
古代の世界においても、言葉遊びは常々流行っていたのでしょう(笑)
万葉歌人の柿本人麻呂は、数多くの歌を万葉集に残しています。
天理市の西名阪自動車道近くには、柿本人麻呂の歌塚があります。
庵を結んだと言われる巻向山の麓には、彼の万葉歌碑が至る所に点在します。JR万葉まほろば線の列車内にも、柿本人麻呂のプロフィールが案内されていましたよね。古語の世界に触れると、日本人の魂に近づけるような気がします。
古来からの言霊に波長を合わせてみる、これも奈良観光の楽しみの一つではないでしょうか。