天皇ゆかりの橿原神宮。
その境内に勅使館という、普段は非公開の建物があります。
橿原神宮の本殿特別参拝に当たり、勅使館、文華殿、貴賓館などの建物も同時公開されました。大正6年に建造された勅使館は本邦初公開とのことです。
橿原神宮の勅使館。
勅使とは、勅旨(天皇の意思)を伝達するために派遣される特使のことを言います。天子の命令を伝える文書や詔(みことのり)のことを「勅(ちょく)」と言いますが、詔勅の趣旨を伝える大切な役目を担っているのが勅使ということになります。
天皇お付きの方々が橿原神宮にお参りの際、この勅使館に足をお運びになられます。
勅使が運ぶ柳筥・御幣物・御祭文
勅使館に到着すると、案内係の巫女さんが門前に立っておられました。
橿原神宮秘庭特別公開観覧券をお見せして、まずは勅使館の中をご案内頂きます。
上壇の間に展示されていた柳筥(やないばこ)。
柳筥の左横には御幣物(ごへいもつ)、右横には御祭文(ごさいもん)が置かれていました。
畳の右向こうに見えているのは、暖を取るための調度品のようです。
柳筥(やないばこ)とは ”柳筥(やなぎばこ)の音便” で、文字通り柳の木で作られています。柳も昨今では希少価値があるようですが、細い枝を巧みに編んだ四角い箱です。巫女さんにお伺いすると、中には絹などが納められているようです。
織物などの他にも、硯・墨・短冊・経巻などを入れることもあるそうです。柳筥は蓋だけを使って、物を載せるためだけの用途にも使われますが、勅使館の柳筥は完全な形をしています。
勅使館の地図。
位置的には外拝殿の東側に当たります。
普段は立ち入ることのないエリアだけに、こんな場所にこんな建物があったのかと改めて知らされました。ちなみに勅使館の北側の建物は潔斎のための斎館です。
二の鳥居を抜けてしばらく進むと、右手に勅使館へ続く玉砂利の道が伸びています。
秘庭特別公開のチケットは外拝殿で購入します。料金は勅使館・文華殿・貴賓館の三つ合わせて1,000円でした。本殿特別参拝のチケット料金も1,000円でしたので、合計すると2,000円になります。高いか安いかは参拝する側の心構え次第ですね。
勅使館の庭が写真で案内されています。
勅使館の庭園には白砂や築山、池、橋などが配されており、山水や名所を縮景した寝殿造庭園が広がっています。
勅使館の入口。
細いロープで往路と復路に区分けされていました。
両側は木々に囲まれ、整然とした印象を受けます。
橿原神宮には何度もお参りしていますが、さすがにこの道を通るのは初めてのことです。
100mほどの距離を歩くと、右手に勅使館が見えて参りました。
手前の木は黄葉していますね。
勅使館を真正面から見据えます。
勅使館は天皇陛下のお使いである勅使参向のために建てられた建物です。
上壇の間より手前の部屋に、久米舞の様子を描いた絵が飾られていました。
久米舞は古代、久米部の行った歌舞として知られます。
今も久米寺の近くに神武天皇の家臣・大久米命(おおくめのみこと)が祀られていますが、入れ墨をした隼人系の海人であったと伝えられます。記紀によれば、神武天皇が久米部を率いて兄宇迦斯(エウカシ)、八十健(ヤソタケル)、兄磯城(エシキ)、長髄彦(ナガスネヒコ)を討伐した時、軍士を慰撫・鼓舞した歌が久米歌であると伝えられます。
久米舞は久米歌(くめうた)を歌い、笏拍子・和琴(わごん)・竜笛・篳篥(ひちりき)を使用します。舞人4人、歌人4人の構成で舞われる歌舞いです。歴代天皇の遊宴などに舞われていたそうですが、室町時代には廃絶しています。時は下り、明治期以後は大嘗会と紀元節に披露されているそうです。
天皇に忠誠を誓う歌、それが久米歌です。
橿原神宮では、昭和天皇の誕生日に当たる4月29日に久米舞が奉納される慣わしです。
橿原神宮における「昭和祭」と呼ばれるイベントなのですが、昭和天皇の御聖徳を称え、皇室の弥栄と国の隆昌、世界平和を祈念します。
かつて久米部の兵士らが舞ったとされる久米舞。機会があれば、一度この目で鑑賞してみたいものですね。
上壇の間。
初めて見学させて頂く勅使館ですが、神々しい空間に身が引き締まります。
柳筥(やないばこ)。
ギザギザ模様が特徴的です。
山と谷が交互に組み合わされ、どこかお寺の瓦などに見られる鋸歯文を思わせます。ノコギリ状の鋸歯文には魔除けの意味が込められていましたが、柳筥のフォルムにもどこか似たような空気が感じられます。柳筥の中の決して侵してはならない空間。そのギザギザ模様に、強い意志にも似たようなものを感じます。
しなやなかイメージの柳。
「柳(りゅう)」は緩やかに流れる「流(りゅう)」、さらには長く気持ちを留める「留(りゅう)」にも通じます。
お隣の中国には、柳の枝で輪を作って旅人に手渡す習慣があったと云います。再会を期す思いが柳の枝と結び付いたのでしょうね。柳を折る別れのシーンを思い浮かべます。柳の枝はしなやかで、元へ返るイメージと結び付きます。「帰る」にかけて別れの場面で柳の枝を折って餞別としました。
この柳筥は天皇からの贈り物です。そこに天皇の御旨を感じずにはいられません。
御幣物(ごへいもつ)。
高価な麻が使われているようですね。神様に奉献する幣帛(へいはく)ですが、中には何が納められているのでしょうか。
上壇の間奥の床の間に駕籠が置かれていました。
柳筥をはじめとするご進物は、この駕籠の中に入れて運ばれるようです。緑色の布が掛けられ、天皇家の菊花紋が金色に輝いています。
上壇の間の折り上げ格天井。
格式の高さをうかがわせます。照明器具はどこか洋風スタイルですね。
上壇の間の手前に橿原神宮勅使館の解説文がありました。
勅使参向の際に参籠、潔斎する建物で、広間・上壇の間・勅使の間・随員控室があります。
屋根は入母屋造瓦葺で、大正6年の建造です。
庭は貴人を迎えるために造られた設計となっており、白洲、池、築山という要素を取り入れた寝殿造庭園となっています。
寝殿造庭園は平安時代貴族社会で流行し、後の枯山水庭園の隆盛に至るまで主流の庭園造りでした。
武家社会と仏寺の繁栄により、寝殿造庭園は衰退し、現在国内でその完全な姿を残す庭園はありません。
昭和13年からはじまった橿原神宮拡張整備計画の際、当時貴賓館としていた当建造物を当時の施工担当 内務省より「勅使館トシテ使用スル等不便不都合ノ点多キヲ以テ、別ニ社務所ニ貴賓室ヲ新築シ、本建物ハ改修ノ上 専用ノ勅使館ト為セリ」という計画がなされ、現在に至ります。
当時の国家事業である「紀元2600年大祭」によって、当代一流の設計と調度品で設えた建造物がこの勅使館です。
天皇お付きの方々が潔斎される場所でもあるようです。
ガイド役の巫女さんもおっしゃっていましたが、勅使館から庭をはさんで北側には斎館という建物があります。橿原神宮の諸行事の際には、巫女さんたちはこの斎館に於いて身を清めておられるようです。おそらく結婚式に臨まれる前にも、斎館で心身を清めておられるものと思われます。
勅使館上壇乃間。
一本の竹が横に渡され、聖なる結界が張られています。
勅使館の細やかな意匠を堪能
歴史的建造物を見学する際、気になるのがそこに施されたデザインです。
建築の専門家ではありませんので詳しいことは分からないのですが、素人目線で楽しむことを常としています。
襖の引き手。
綺麗に結ばれた赤い紐に目を奪われます。
一つ一つの意匠にグッと感じ入ります。
襖の紋は何でしょうか。
巫女さんに聞いてみましたが、よく分からないとのことでした。下方に描かれた二つの紋はおそらく菊花紋でしょうね。
上壇の間向かって左側に障子が見えていますが、障子の外は寝殿造庭園です。残念ながらお庭に降り立つことはできず、縁側から眺めるのみの見学となりました。
天井を見上げてみると、鴨居の右側が少し高く作られていることが分かります。
身分の高低によって、天井の高さまで調整されているようです。入口から奥へ行くほど天井が高くなっている様子を見ると、現代の上座・下座にも通じるものを感じます。
下座の方にあった照明器具。
鶴がデザインされていますね。ご案内によれば、口を開けた鶴と口を閉じた鶴が彫られているようです。職人さんの手作り感が出ていて、見ていて飽きることがありません。
ここにも十六菊花紋がありました。
至る所に天皇のシンボルを見つけます。
勅使館の庭。
もう少し庭も楽しめるのかなと思ったのですが、庭よりも建物の中に見所がたくさんありました。
庭に面した所には、尾の長い鳥がデザインされています。
これは尾長鶏か、はたまた朱雀なのか?いずれにしても、瑞鳥であることに変わりはありませんね。
こういう庭を見てみたかったのですが・・・。
少しだけ季節外れだったのでしょうか。多忙な公務の合間を縫って、勅使の方々もこの庭を眺めながら一息付いておられるのでしょうか。
秘庭特別公開の公開時間がそれぞれに案内されています。
私が訪れた日は、本殿も含め全ての建物が午前9時から午後4時までの見学時間となっていました。
日によって一部の庭園が観覧できない日もあったようです。好運にも公開予定の建物を全て見学することができ、大満足の一日となりました。
斎館。
ガイドして頂いた巫女さんにお礼を言って、勅旨館を後にします。
帰り際に勅使館の建物を遠くから眺めるルートがあることを教えて頂き、順路に沿って進みます。斎館の前を通り、ぐるっと勅使館の前庭を一周します。
遠目から勅使館を見ます。
周りは鬱蒼とした木々に囲まれています。
この角度からが一番綺麗ですね。
実に静かな場所です。ひょっとすると、混雑必至の初詣期間中もこのエリアだけは静謐に包まれているのかもしれません。すぐ西側には外拝殿前の斎庭が広がっています。初詣客でごった返す場所ですが、木々を隔てたこの場所だけは別空間なのかもしれません。
勅使館に別れを告げます。
次は同じく秘庭が公開されている文華殿、貴賓館へと向かいます。
橿原神宮で結婚式を挙げるカップルも毎年数多くいらっしゃいます。橿原神宮の披露宴会場には崇敬会館養正殿、橿原神宮会館などがありますが、今回公開されている勅使館・文華殿・貴賓館なども披露宴会場として利用されることがあるようです。ちなみに勅使館の会場使用料(初穂料)は2万円となっています。収容人数は45席ですので、中規模の披露宴会場としてはおすすめですね。
天皇の使者が参向される勅使館を見学し、大変有意義な時間を過ごすことが出来たことに感謝申し上げます。
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