11月の三連休を前に、橿原神宮の御本殿特別参拝に行って参りました。
最初で最後かもしれないという貴重な機会です。宮司の決断で決まったという今回の特別公開ですが、せっかくのチャンスを逃してはなりません。休日の昼前に、迷うことなく橿原神宮を目指します。
南神門の前に特別参拝の案内看板が立っていました。
七五三のシーズンとも重なり、門前には綺麗な菊の花が飾られていました。
橿原神宮は神武天皇と皇后の二柱を御祭神として、明治23年に創建されているお社です。御創建125年という歴史を持つ橿原神宮ですが、その本殿が一般公開されるのは今回が初めてのことです。弊館は橿原神宮挙式後の会食で度々ご利用頂いていることもあり、結婚式場の儀式殿や神楽殿を見学させてもらったことはあるのですが、さすがに橿原神宮の中で最も神性の高い場所となるとその緊張度も増すというものです。
本殿屋根檜皮古材のおさがり
橿原神宮の本殿参拝記念として、葺き替え工事の行われている本殿の檜皮葺屋根の古材を頂きました。
来年度の平成28年には、橿原神宮では神武天皇2,600年大祭の特別事業が執り行われます。来年の申年は神武天皇が崩御されてから二千六百年目に当たる年とされます。式年の年を盛大に祝う神武天皇二千六百年大祭が催されるわけですが、それに合わせて御本殿の檜皮屋根葺き替えをはじめ、御神宝の新調や修理等、様々な記念事業が執り行われています。
二の鳥居前には会場マップが案内されていました。
御本殿の特別参拝受付は外拝殿で行われているようです。今回のイベントでは、本殿公開の他にも橿原神宮内の秘庭が同時公開されています。初公開される勅使館をはじめ、旧柳本藩邸の文華殿、貴賓館など見所満載の企画です。
橿原神宮の本殿。
本殿は写真撮影禁止ですので、南神門前にあった解説版からご案内させて頂きます。
本殿は檜皮葺入母屋造の建物です。元々、この本殿は京都御所の中の天照大神を祀る賢所(かしこどころ)でしたが、明治23年の橿原神宮創建に際し、明治天皇より下賜されこの地に移築されてきました。賢所は皇霊殿、神殿と並ぶ宮中三殿の一角です。本殿の前に佇む幣殿には、千木や鰹木が見られいかにも神社建築といった趣がありますが、橿原神宮本殿にはそのような雰囲気が感じられません。元来は京都御所の内侍所であったという歴史を鑑みれば納得がいきますね。
檜皮古材のおさがり。
屋根の葺き替え工事の際に出た檜皮古材です。今まで御祭神をお守りしてきた貴重な古材です。本殿特別参拝の参列者全員に配られる尊いお守りですから、これからも大切にしていこうと思います。今回の葺替工事は38年ぶりとのことです。ご神職のお話では、檜皮の耐久年数は概ね35~40年なんだそうです。そういう意味でも、ちょうどいいタイミングでの葺き替えとなります。
本殿破損の現状写真も掲示されていました。
檜皮葺の破損が痛々しいですね。
壁や建具の漆塗等も剥落が目立ちます。一年の終わりに各家庭でも大掃除が行われますが、神社とて同じことです。常若の精神に立ち返り、境内の建物を一新することはとても大切です。橿原神宮では年に二回だけ、本殿の扉が開け放たれて大掃除も行われるようです。6月30日と12月28日の年に2回と決められているようですが、いわゆる「煤払神事」と呼ばれる行事に当たるのかもしれません。
本殿参拝を終えて廻廊を巡り、外拝殿に帰ってくると檜皮が展示されていました。
これも檜皮古材の一部なのでしょうか。
本殿の屋根には、実に28万枚の檜皮が葺かれているそうです。厚みのある所とそうでない所がありますが、総じて二十八万枚を数える檜皮葺屋根が御神坐を覆います。ご神職によると、檜皮に虫が入り込んでそれをカラスがつつきにやって来るそうです。半ば遊びなのか、とにかく突きまくって檜皮が傷んでしまうのだとか・・・そのため、元は檜皮葺だった幣殿や内拝殿の屋根は今では銅板葺きの屋根に様変わりしています。
廻廊の屋根も銅板葺になっていましたが、所々に緑青(ろくしょう)が見られました。神社という場所柄なのか、錆(さび)の緑青にもわびさびが感じらていいものだなと思いました。
橿原神宮の駐車場入口。
数年前からこの辺りは有料駐車場になっています。入場ゲートの向こうに橿原神宮一の鳥居を望みます。
橿原神宮一の鳥居。
橿原神宮には一の鳥居、二の鳥居、さらには奈良県立橿原体育館近くの北の鳥居、そして神饌田近くの西の鳥居と全部で4つの鳥居があります。その中でも、最も人通りが多く橿原神宮の玄関口ともなっている鳥居が一の鳥居です。大きな石灯籠が建ち、脇には守衛詰所も控えています。
二の鳥居前に架かる神橋。
神橋の南方辺りに、織田家旧柳本藩の表向御殿を移築復元した文華殿があります。文華殿のご案内は、またこの後の記事に譲ろうと思いますが、紅葉の庭や歴史を感じさせる欄間など見所満載の建物でした。かつては小学校として利用されていたこともあったそうで、初めて知る史実に驚きの連続でした。
本殿特別公開の受付は外拝殿です。
廻廊の真ん中辺りに建物が四つ並んでいます。畝傍山を背後に奥から本殿、幣殿、内拝殿、外拝殿の順に並び建ちます。
橿原神宮の手水舎。
二の鳥居を抜けて参道を進むと、右手に勅使館へと続く玉砂利の道が伸びていました。まずは本殿参拝が目的だったため、そこを通り過ぎて手水舎へと歩を進めます。
手水舎で身を清めて南神門前へ向かうと、七五三詣りの案内板が立てられていました。
七五三詣りの期間は10月1日から12月6日までのようです。受付時間は午前9時から午後4時までと案内されています。七五三といえばどうしても11月15日のイメージが強いのですが、昨今では神無月の十月になると七五三の祈祷が始まるようですね。
ヤタガラスをモチーフにした橿原神宮のお守り
神社参拝でまずチェックしておきたいのがお守りです。
南神門を入ると、すぐ左手にお守り授与所があります。
やたがらすの健康矢。
三本足のヤタガラスが矢に吊り下げられています。
神武東征の際、その先導役を担ったとされるヤタガラスです。
言わずと知れた橿原神宮の守り神ですね。
高天原から遣わされたヤタガラスが先導し、イワレビコ(神武天皇)の一行がその後に付き従ったと云います。熊野の土豪たちを従わせながら北上し、大和の宇陀へと入って行くことになる神武天皇。やたがらす伝説が今も息づく境内ですが、神武天皇との関係を考えれば実に有難い恩人のような存在とも言えます。
扇型をした交通安全のお守りです。
グリーンとピンクの色鮮やかなお守りです。
干支延寿箸。
外拝殿の中にも様々なお守りが売られていました。
お箸に干支の動物が描かれているようです。お箸の写真の背景には、橿原神宮の御神紋とされる実付き抱き柏がデザインされています。柏の葉と、そのどんぐりの実が描かれます。本殿参拝の際には回廊を歩くのですが、その時に見た釣灯籠にも実付き抱き柏の御紋がデザインされていました。
初穂料500円の干支守。
子丑寅卯辰巳と左から順に並べられています。
延寿飴ですね。
紅白の長い飴はお祝い事にもぴったりではないでしょうか。
神武東征のおきよ丸と幣殿鬼板
本殿特別公開の日以外でも、出入りが自由な外拝殿。
その外拝殿の中に「おきよ丸」の模型が展示されていました。
おきよ丸といえば、神武天皇が日向から大和へ向かう際に乗船した船の名前です。
帆を張るおきよ丸。
イワレビコ(伊波礼毘古命;神武天皇)は同母兄弟の兄・イツセ(五瀬命)と日向高千穂の宮に於いて、「どの地を都にすれば、無事天下を治められるだろうか」と相談しました。そこでもっと東へ行くべきだということになり、日向の美々津を出発することになります。
出立の港である美々津に到着した神武天皇一行は、まずは船の建造に取り掛かります。その監督ぶりは多忙を極めたと伝えられます。ほころびた衣を立ったまま縫わせたことから、美々津の町内を指す「立縫(たちぬい)」の地名も今に残ります。
いよいよ船が出来上がり、出航の日を決めて風待ちをする神武天皇一行。
ところが、天候が良くなったことから急遽日程を変更することになります。8月1日の夜明けに出発することが決まります。そこで、寝入っている人々を起こして回る「起きよ、起きよ」の声が美々津に響いたと云います。
古代船模型「おきよ丸」
神武天皇が御東遷の折、日向国美々津(宮崎県日向市美々津町)を出立するに際し、村人たちは天皇を見送るべく準備を進めていましたが、急きょ夜の明けきらぬ中の出立となり、驚いた村人たちは手分けして家々を回り、寝ている人々を「起きよ!起きよ!」と起こして、天皇の出立を見送りました。そのことから天皇がお乗りになった船を「おきよ丸」と申し上げます。
神武天皇のお見送りは、さぞ盛大に行われたことでしょう。
日向を発った神武天皇一行は豊国の宇佐でウサツヒコ・ウサツヒメ兄妹のもてなしを受けた後、筑紫の岡田の宮で一年間滞在することになります。その後、瀬戸内海を東進し、安芸の多祁里(たけり)の宮に7年、さらには吉備の高島の宮に8年間滞在します。大和の橿原の地に至る神武東征ですが、その道中に意外と時間が掛かっていることを改めて知らされました。
実付き抱き柏の御神紋とおきよ丸の模型。
東征の途中で神武天皇は兄のイツセを失っています。
兄を失いながらも船で熊野に上陸し、ヤタガラスの道案内で吉野川を遡り、敵対する者たちを平定しながら初代神武天皇として即位することになります。
廻廊から内拝殿と畝傍山を望みます。
この空間も普段の参拝では立ち入ることの出来ない場所です。
内拝殿の後ろに千木が見えていますが、あの建物が幣殿です。通常参拝の際にも、外拝殿から中を見ると真正面に内拝殿が見え、その背後に勇ましい格好の千木が見えています。参拝客のほとんどが本殿と見間違っている建物ですね。橿原神宮の中では本殿にも匹敵するぐらいの神聖な場所ではありますが、本殿の前に佇む幣殿という建物であることを覚えておきましょう。
廻廊前の紅葉。
訪れたのは11月下旬に差し掛かるタイミングでしたので、そろそろ紅葉も見頃を迎えていました。
大絵馬向かって右手の木も色付いていました。
ちょうどこの辺りには、日本の国歌にも歌われるさざれ石があります。
「御創建125年 はじめての御本殿参拝」と案内されています。
外拝殿受付で1,000円の拝観料を納め、ご神職の説明付きで本殿参拝に臨みます。
まずは幣殿の横で橿原神宮の歴史をご案内頂いた後、本殿向かって右側へと移動します。金具の取り外された状態の門扉を見ながら、非常に貴重なタイミングであることを教えて頂きます。門扉に取り付けられた金具は、その輝きを取り戻すために一旦磨かれるそうです。ある意味、素のままの本殿の姿を見ていることになります。これはまたとない機会でもあります。
外拝殿には幣殿鬼板も展示されていました。
こうやって間近に見てみると、実に大きなものです。
幣殿 鬼板(へいでん おにいた)
この鬼板は正面に見える千木の根元にあったもので、平成21年に取り替えられたものです。
寸法 縦100cm 横190cm 幅30cm
表面には直径35cmの菊の御紋が施されています。
鬼板は鬼面がなく、箱棟などの端に取り付ける棟飾りで、鬼瓦の代わりに取り付ける板です。
千木の根元に取り付けられていたのですね。
幣殿の千木をよく見てみると、内削ぎではなく外削ぎであることが分かります。一概には言えないようですが、外削ぎの千木は男性神を表しているようです。幣殿の屋根の上に乗っかっている鰹木の数も5本で奇数です。鰹木の数は奇数が男性神で、偶数の場合は女性神であることが多いようです。
橿原神宮には神武天皇とその皇后が祀られているわけですが、やはりその主体は神武天皇ということになるのかもしれませんね。
内侍所と内陣外陣の高低差
金具の取り外されたすっぴんの本殿を堪能しながら、さらにご神職の説明に耳を傾けます。
本殿には脇障子が南側に一か所、西側に二か所あり、内陣に近付くほど結界が幾重にも重なっているそうです。内陣を固める脇障子の上には、漆塗りの欄間があります。欄間には二重の「×」がデザインされています。文華殿の中にも同じような意匠を見ることができますが、バツは罰に通じるとも言われ一般に使われることはありません。お寺や神社では結界や禁止を表し、通常の領域とは違う聖域を表しているそうです。
旧柳本藩邸だった文華殿には、一重の×をデザインした欄間もありました。
文華殿建物の入口から奥へ行くほどお偉い方々の居場所になっていて、手前の欄間に一重の×、奥へ進むと二重の×がデザインされていました。より結界のグレードが上がっていく造りになっているものと思われます。
檜皮屋根修繕中の本殿。
屋根に覆いが被せられているのが見えますね。
本殿の背後。
本殿右手の門扉前で説明を受けた後、さらに本殿の裏側へと回り込みます。
向かって左側が内侍所(ないしどころ)と言って、神様に仕える者の場所とされます。そして向かって右側が神様の居場所です。よく見てみると、右側が一段高くなっていることに気付かされます。
内侍所と内陣外陣の高低差は18.2cmあるそうです。
現在、橿原神宮の御神体は幣殿に遷座されていますが、平成28年の3月には修理を終えた本殿にお戻りになられる予定です。伊勢神宮は「遷宮」と言って ”お宮そのもの” が場所を移動して遷されますが、橿原神宮の場合は神様がお遷りになられます。お宮が遷ることはないので、遷宮ではなく「遷座」と表現します。
橿原神宮本殿。
このアングルはいいですね。背後に畝傍山が控えています。
千木や鰹木といった神社建築によく見られるものこそありませんが、屋根の妻には懸魚(げぎょ)が取り付けられています。火難除けのおまじないとも言われる懸魚ですが、橿原神宮の本殿にも見ることができます。
美しい廻廊の屋根に釣灯籠が掛かっています。
右手には神武天皇一代記を描いた絵巻物が展示されていました。
テントの下にパイプ椅子が並べられていますね。
ここは本殿参拝の順番待ちをする人たちの待合所でしょうか。パイプ椅子の向こうに、本殿参拝の受付所が見えます。
かつて薬師寺拝観の際に、お釈迦様の一生を描いた絵巻物を見学したことがあります。
それとよく似た感じで、神武天皇の一生涯が絵付きで案内されていました。
一刻も早く本殿にお参りしたかったので、じっくりと解説を読むこともなく受付所へ向かいました。今となっては、もう少し余裕を持って見ておけばよかったなと思います。
八紘一宇の文字が案内されています。
世界を一つの家にする。天上の神様に抱かれて平安な世界が実現するといった意味合いでしょうか。
「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為さむ」と記されています。万世一系の皇室の歴史は、橿原神宮に祀られる神武天皇に始まります。
八紘一宇の絵巻に描かれていた人物。
果たしてこれが神武天皇その人でしょうか。
いつもの参拝とは違う角度から畝傍山を望みます。
手前に見えているのは内拝殿、幣殿、そして修繕中の本殿です。
やたがらすのぺーパーウェイトですね。
外拝殿の中で見つけました。ヤタガラスの胴体に書鎮の取っ手が付いていて、その周りには十六菊花紋がデザインされています。天皇家の御紋が、まるでヤタガラスの後光のように煌めきます。
やたがらすは三本足の異形の神様です。
一説によれば、ヤタガラスは神魂命(かむむすびのみこと)の孫・賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身とも伝えられます。熊野から大和入りを果たす際の先導役を担った有難い神様。神武東征の立役者であることに異論をはさむ余地はありません。
橿原神宮御本殿特別参拝のチケット。
イベントの開催期間は平成27年10月5日~11月30日までです。
参拝料金は1,000円で、記念品として本殿の檜皮古材が付いてきます。
外拝殿の横に咲く赤い花は椿でしょうか。
七五三詣りの参拝客が入れ代わり立ち代わり、干支の描かれたジャンボ絵馬の前で記念撮影をしておられます。カメラマンの方の掛け声が境内に響きます。この時期ならではの光景ですね。
橿原神宮の神楽殿。
結婚式の執り行われる場所です。
毎年お正月の初詣シーズンに橿原神宮を訪れる人は多いものと思われます。
私はいつも、お正月三箇日の混雑日を避けてお参りすることにしています。あるいは久米寺の紫陽花を見に行ったついでに立ち寄ることも多いでしょうか。広大な橿原神宮の杜の近くには野球場や体育館もあります。スポーツ観戦との抱き合わせで参拝することも可能ですね。
人生初の橿原神宮本殿参拝を終え、益々神様のご加護を身に沁みて感じています。