高畑町の天神社に参拝して、天理教天御津分教会の角を左に曲がり下って行くと、風光明媚な観光スポットとして人気の浮見堂へとアクセスします。
浮見堂蓬莱橋の袂。
鷺池に浮かぶ浮見堂。浮見堂に架かる橋の名前を「蓬莱橋」と言います。
蓬莱といえば、蓬莱山式庭園の独坐庭を思い出します。不老不死の地であり、霊山と仰がれる蓬莱山へと続く橋がイメージされているのでしょうか。
蓬莱橋の袂から「つめ」を連想
蓬莱橋の袂に立ち、ふと「爪(つめ)」という言葉が頭に浮かびました。
橋の袂のことを橋詰と申します。日本語の「つめ」には「おしまい」という意味が込められています。橋のおしまいが橋詰というわけです。
猿のこしかけと浮見堂(笑)
おしまいを意味する「つめ」は何も橋詰に限らず、あらゆる所に見られます。人間の指の先に付いている爪も、人体の先っちょにありますよね。おしまいの部分にあるから「つめ」なのです。さらにこの「つめ」は「つま」という言葉に変化していきます。母音の変化によって、様々な言葉が生み出されてきた歴史が垣間見えます。
草を食べる奈良公園の鹿。
爪先(つまさき)、爪音(つまおと)、爪づく(つまづく)等々の言葉が生まれ、さらに夫や妻のことを夫(つま)、妻(つま)と表現していたことを思い出します。
夫または妻が、その配偶者を恋しく思うことを「つまごひ」と言い、夫婦または雌雄が一緒に籠り住むことを「つまごもる」と言い表しました。万葉集の一節にも、
つまごひに鹿(か)鳴かむ山ぞ
と出ています。
浮見堂の鍵曲がり(かいまがり)。
城下町によく見られる防御目的の鍵曲がりですが、なぜか浮見堂にもその意匠が施されています。江戸時代の町並みが残る今井町(橿原市)へ行くと、見通しの悪い曲がり角に歴史の面影が感じられます。
浮見堂へのわずかな道のりに施された鍵曲がり。仙人が棲むと伝えられる蓬莱山への道程は、そう容易くはないということなのでしょうか。
浮見堂の天井。
六角形の浮見堂そのままに、天井にも六角形のデザインが見られます。
求愛の場所から結婚式ロケーション撮影の聖地へ
その昔、橋の袂は男女の求愛の場所でもありました。
男女が寄り集まって歌の掛け合いや舞いをして楽しみました。里の男女が野外に集まって、歌舞して楽しむことを「小集楽(をづめ)の遊び」と言いますが、この「をづめ」の「つめ」は橋詰のことを意味しています。
おしまいを意味する「つめ」が、いつしか恋しい人を表す「つま」になり、現在では「刺身のつま」などの言葉にも用いられるようになりました。
付け合わせ的なものでありながら、無くてはならないとても重要な「つめ」と「つま」。
浮見堂では、結婚式のロケーション撮影が行われていました。
盛夏のロケーション撮影は大変でしょうね。紋付袴姿の新郎さん、色打掛姿の新婦さんがそれぞれ、カメラマンやスタッフの方々と談笑しながら撮影が進められていました。
浮見堂や蓬莱橋は観光客の人気撮影スポットでもありますが、プロの結婚式カメラマンの方々にとっても、最高のロケーションフォトを約束してくれるフィールドなのではないでしょうか。
浮見堂の中には椅子も備え付けられています。
ちょっと腰を下ろして、古都奈良の風情に浸ることもできます。