永遠を意味する「とこしへ」は、建物の床の間に通じています。
床の間は一家の主を象徴する場所として重要視されます。建物のリフォームの際には、床の間だけはいじらないでそのままにしておくという話もよく聞きますよね。
床の間の飾り物。
16世紀頃の書院造に取り入れられた主君の座である床の間。
聖なる空間であり、ハレの場であった床の間は、一族が絶えることなく永久に続いていくことの象徴でした。「とこしえ」の「とこ」と、「床の間」の「とこ」には、同じ意味合いがあります。
永久よりも永遠に近いとこしえ
長嶋茂雄氏が引退セレモニーで発した言葉は、「我が巨人軍は永久に不滅です」でした。
ところが、多くの人が「我が巨人軍は永遠に不滅です」と勘違いしているのではないでしょうか。永久を永遠にすり替えて記憶してしまっています。その方がロマンがあるから、永続性が感じられるからというのが大方の理由ではないでしょうか。
客室吉野。
永久という言葉には、永久歯、永久脱毛、永久追放などに見られるように、”この世的” な印象を受けます。
ところが、永遠という言葉にはもっと長く果てしない広がりが感じられるのです。宇宙的な時間軸とでも言ったらいいでしょうか、不老不死の仙境を表す「常世の国(とこよのくに)」にも通じる無限大の長さを感じさせます。
とこしえはやはり、永久よりも永遠に近いんだと思います。
床屋の「とこ」にも、人の命を預かる場所という意味が込められています。
髪や髭、爪などは死んだ後でも伸び続けるのです。つまり、それらを切ることは命を絶つことを意味していました。
神話の世界においても、スサノオノミコトが天上界から追放される時、爪と髭を切られています。
単純に解釈すれば、何だそれだけのことかと思ってしまうのですが、爪と髭を切られるということは、スサノオノミコトの生命力そのものを奪ってしまうことを意味していたのです。
古語辞典を紐解けば、「とこしへ」「とこしなへ」などの言葉に出会います。
「床旧る(とこふる)」とは、夫婦が長い年月を一緒に連れ添うことを意味しています。
年ふれど いかなる人か とこふりて 相思ふ人に 別れざるらむ
たくさんの人に祝福される結婚式で永遠の愛を誓い合い、お互いに「とこふる」生涯を全うする。
永遠の理想であり、とこしえに変わらないテーマの一つですね。