山の辺の道を歩いていると、玄賓庵の北のせせらぎに高市皇子の万葉歌碑が建てられていました。
高市皇子の万葉歌碑の傍に山清水が流れます。
山吹の 立ちしげみたる 山清水(やましみず) 酌(く)みに行かめど 道の知らなく
この歌の背景には、人の死を惜しむ気持ちが込められています。
十市皇女の急逝に際し、高市皇子は三首の歌を作ったとされます。その内の一つが玄賓庵の横に案内されていました。高市皇子と言えば、桜井市外山にゆかりの宗像神社が鎮座しています。
古語学習の宝庫!万葉歌碑が建ち並ぶ山の辺の道
山吹の黄色と山清水の泉から、黄泉の国が暗に表現されているのでしょう。
黄泉(よみ)とは、人の魂が死後に行くと信じられていた“地下の暗黒世界”のことを意味します。
あの世、冥土のことを黄泉と言うわけですね。夜見(よみ)、あるいは闇の意味にも取れる黄泉ですが、その由来を辿ると、古代中国の黄泉(こうせん)に行き着きます。
五行思想から黄は土に通じます。
地下に存在するとされた黄泉の国にも相通じるものがあります。個人的なことで誠に申し訳ないのですが、私の生年月日から割り出される星は五黄土星です。ここでも、黄色と土が重なります。
大相撲の勝負においては、負けることを「土が付く」と表現します。
文字通り土俵の土がベッタリと背中やお腹に付いて負けることもありますが、寄り切りや押し出しで敗れた時でさえ、土が付くという表現に変わりはありません。決まり手が何であっても、相撲で負ければ「土が付く」ということになります。なぜでしょうか?土俵の四隅を赤房下、青房下、白房下、黒房下という言葉で言い表しますが、この場合、土俵の中央は黄に象徴されます。個人的見解ではありますが、黄と土の符合に納得がいきます。
高市皇子の万葉歌碑。
十市皇女が葬られている墓地の辺りには、黄色い山吹に取り囲まれた山の清水がある。
山清水を汲むために、十市皇女の御魂は通っておられることだろう。逢いたいと思うけれども、その道を知らないのでどうすることもできない。歌の解釈は大体こんな感じになるでしょうか。
この歌に出てくる道は、黄泉路(よみぢ)のことを意味しているのでしょうか?
あの世への道・・・もちろん、愛しい人への想いが無ければ、わざわざ黄泉路を知りたいとは思わないでしょう。
玄賓庵。
高市皇子の万葉歌碑は、玄賓庵から桧原神社へ向かう山の辺の道の道中にあります。
古語辞典をペラペラめくっていると面白い発見がありました。
黄泉の枕詞に、宍串ろ(ししくしろ)という言葉があります。肉を串に刺して焼いたものを意味する古語なんですが、味が良いことから、「よみ」「よし」「うまし」に掛かる枕詞になっています。
美味しいものを食べれば、天にも昇る気分になったのでしょうか。
山の辺の道の万葉歌碑は古語学習の宝庫です。
少しでも疑問に感じれば、古語辞典を引いてみる。山の辺の道ウォーキングの醍醐味の一つでもあります。