ウワナリとは何を意味する言葉なのでしょうか?
天理市石上町のウワナリ塚古墳を見学して、その不思議な名前が引っ掛かっていたのですが、どうやらこの「ウワナリ」には「後妻(ごさい)」という意味があるようなのです。
ウワナリ塚古墳の案内板。
後妻(うわなり)とは後にめとった妻、つまり後添いのことを意味しています。山の辺の道を挟むようにして隣接する石上大塚古墳を前妻(こなみ)になぞらえ、その後妻をウワナリ塚古墳に当てています。一夫多妻制の時代の言葉ではありますが、そうなるとその夫に当たるのは何なのか?気になるところではあります。古墳なのか、それとも古墳を越えた何モノかなのか?
後妻打(うわなりうち)という習俗
室町時代末から江戸時代にかけて、「後妻打ち(うわなりうち)」という習俗があったようです。
ウワナリ打ちって?
それまでの妻を離縁して後妻をめとった時、先妻が親戚と共に後妻の家を襲ったと云います。恐ろしいお話ですね(笑) 後妻の輿入れに際し、縁者と図ってその家を襲う風習があったようです。早い話が嫉妬ですね。
ウワナリ塚古墳の横穴式石室開口部。
言葉を解釈すれば、うわなりの方が愛情を受けていたということになりますね。
本妻である嫡妻(こなみ)は飽きられるのか、夫からの寵愛を失うことになります。コナミが宣戦布告した上でウワナリに襲い掛かる。そんな風習が当たり前のようにあった時代を思います。
うわなりうちにも一定のルールがあったと言います。
離縁後一か月以内に後妻をめとった場合に限られていたようです。さらに、「今から襲いに行きますよ」と、あらかじめ先方に知らせる取り決めもあったようです。人を攻撃するのではなく、家財や家に襲い掛かります。男性の手出しは許されず、女性たちの間で闘いが繰り広げられます。男尊女卑の世の中で、鬱憤の溜まった女性たちのストレス解消の場になっていたものと思われます。
ウワナリ塚古墳の道案内。
コナミの位置付けの石上大塚古墳はこの西側にあります。
愛情の喪失から、前妻が後妻を妬むことを後妻嫉妬(うわなりねたみ)と言います。神代記にも ”須勢理毘売命(すせりひめのみこと)いたくうはなりねたみし給ひき” と書かれています。いつの世も、人間が抱く感情に大きな違いはないようですね。
奈良県内にある佐紀盾列古墳群のウワナベ古墳・コナベ古墳も、同じように前妻と後妻の関係にあるようです。この場合も、本妻のコナベ古墳が西側、後妻のウワナベ古墳が東側という位置取りです。
前妻(こなみ)と後妻(うわなり)の並びに違わず、築造年代もコナベ古墳の方がウワナベ古墳よりも先です。同じようにウワナリ古墳は石上大塚古墳の後に築かれています。サイズ的にも後で築かれた方が一回り大きくなっています。一見すると名コンビのようにも見える二つの古墳ですが、その関係性には注目が集まります。
ところで、男が女に挟まれた様子を表す「嫐(うわなり)」という漢字があります。鳥取県の大山町には今も「嫐神事(うわなりしんじ)」が伝わっており、その歴史の深さを偲ばせています。