檜原神社三ツ鳥居の向かって左側に、明治天皇第七皇女の歌碑が建っています。
山の辺の道沿いにある万葉歌碑にも言えることなんですが、歌の意味を理解する前に、普段は聞き慣れない難解な古語に四苦八苦しますよね。
明治天皇第七皇女であられる北白川房子様の詠まれた歌が、元伊勢の桧原神社境内にありました。
案内板を覗き込んでみると、「いつ」という言葉が書かれています。
檜原神社旧蹟をおろがみまつりし!神の威光を詠う
桧原神社にお参りした後、自宅で高校時代に使っていた古語辞典を紐解いてみました。
稜威(いつ)とは、神聖で威厳のある様子を表す名詞として使われるようです。
漢字で「厳(いつ)」とも表記されます。現代でも「厳かな」という表現がありますが、それに近いニュアンスを感じます。文法的な解説をすれば、格助詞「の」を伴って、連体詞「いつの」を形成します。
例としては、いつの幣(ぬさ)、いつの橿(かし)などの表現が見られます。
三輪山の麓の街を歩いていると、玄関先に大神神社の赤御幣が飾られているのをよく見かけます。魔除けのパワーを持つ赤御幣などは、まさしく「いつの幣」にふさわしいものがあります。
神のみいつの いやちこにして
御稜威(みいつ)とは、稜威(いつ)の尊敬語になります。
灼然(いやちこ)は形容動詞で、神仏の霊験が明らかなさま、はっきりしていることを表します。神のご威光がいやちこなり、というわけですね。灼熱の太陽の「灼」という漢字を当てているところからも、いかに神様の御威光が強いものかが伺えます。
「おろがみまつりしをよめる」、さらには「昔をしのび をろがめば」とありますね。
をろがむ?
ちんぷんかんぷんな言葉ではありますが、古語辞典の助けを借りればすぐに納得ができます。
「拝(をろが)む」は自動詞で、拝む、礼拝するといった意味になります。
昭和33年に明治天皇の第七皇女が、ここ桧原神社を詣でておられるんですね。
”桧原神社旧蹟を おろがみまつりしをよめる
立つ石に 昔をしのび をろがめば 神のみいつの いやちこにして”
桜井市立図書館の館内の郷土資料コーナーで、桧原神社に詣でる川端康成の写真を拝見したことがあります。
三島由紀夫も三輪山に登拝して、その感慨を「清明」という言葉に刻んでいます。歴史上の名だたる文人たちを魅了した三輪の神は、おそらく歴代天皇にも少なからずの影響を及ぼしていたのではないでしょうか。
大神神社の大鳥居は昭和天皇の行幸を記念して建立されています。
初代神武天皇の後の欠史八代から数えて、第10代目の崇神天皇の足跡がそこかしこに見られる大神神社の境内。
古代の大和朝廷の起源に深く関わる三輪山周辺は、明治天皇の皇女が歌われたように、まさしく「神のみいつの いやちこなり」なんだろうと思われます。
桧原神社と不動明王を祀る玄賓庵の間に建つ石標。
読みづらい石標ですが、「大神社」と書かれているのでしょうか。
ハイキングで賑わう山の辺の道に、いにしえの言霊を感じる意義深い一日となりました。皆さんも是非、桧原神社ご参拝の際は、明治天皇皇女の歌碑に注目してみて下さい。