耳成山の南東方向に鎮座する山之坊山口神社。
山之坊山口神社は、昭和42年に創建された山之坊町の氏神です。
山之坊山口神社の二の鳥居。
手前から手水舎、社務所、拝殿が見えています。
本来は耳成山に鎮座していた神様だそうです。耳成山の祭祀に関して、耳成山西麓の木原町との間に争いが起こり、木原町の勝訴で決着を見ます。そこで、敗訴した山之坊町の宮司が神霊をこの場所に遷したと伝えられます。
寺川支流の一級河川沿いに鎮座する山之坊山口神社
山之坊山口神社のある場所ですが、近鉄大阪線耳成駅の南西400m辺りです。
国道165号線沿いの出合交差点近くにあるラーメン来来亭で昼食を済ませ、徒歩で山之坊山口神社を目指します。出合交差点を北へ取り、耳成駅の手前で左折します。左手に郵便局を見ながら道なりに進んで行くと、左手に山之坊山口神社の一の鳥居が見えて参ります。位置的にはちょうど、来来亭やパチンコ店の広い駐車場裏側に当たり、寺川支流の米川沿いに鎮まっています。
山之坊山口神社の拝殿から本殿を垣間見ます。
奉納絵馬に「人」の文字が見えますね。
山之坊山口神社の一の鳥居から耳成山方向へ進み、さらに左折して米川沿いを歩きます。向こうに見えている山が、大和三山の耳成山です。西麓には空海ゆかりの井戸もあります。
昔は「耳無山」と表記されていたこともあり、撫で肩気味の美しい山容から命名されたものと思われます。
米川に架かる橋。
奈良県橿原市と桜井市を流れる米川。山之坊山口神社の近くを流れる米川ですが、大和川水系寺川支流の一級河川とされます。
境内から南の方角を望みます。
細い道を挟んで米川が流れ、その向こう側にラーメン店やマンションが見えています。
再び米川沿いに戻ります。
耳成山がはっきりと見えていますが、あの耳成山の八合目辺りに耳成山口神社が鎮座しています。
奈良県内には山口神社が多数見られますが、大和国における山口社六社(飛鳥・石村・畝火・忍坂・長谷・耳成)の内の一社で、天皇家の舎殿用材を切り出す山の神として祀られていた歴史があります。雨乞い神事の記録も残されており、同じく大和三山の香具山とも似た性質を帯びています。
米川沿いを東へ進んで行くと、左手に神社の杜が見えて参りました。
あの社叢こそが、山之坊山口神社の境内です。
道沿いに浜木綿(ハマユウ)や紫陽花が咲いていました。
垣根越しに拝殿を望みます。拝殿の右横に見えているのは山之坊山口神社の境内社です。
こちらが、山之坊山口神社の一の鳥居です。
横大路沿いに位置し、右手に「山口神社」と刻まれた社号標が建っています。
耳成山を守る山之坊町の氏子
以前に藤原京資料室に於いて、広大な面積を誇った藤原京立体模型を拝見したことがあります。
大和三山に囲まれるように築かれた都の姿を見るにつけ、それぞれの山が果たした役割も小さくはなかっただろうと推測できます。藤原宮跡の東北部には山部門という宮城の門が存在していました。山部とは古代山部氏に関係する名前で、元は「山守部」に発します。山守部を二字化して山部になるわけですが、耳成山を守る部民の居住地ではなかったかと思われます。
山之坊山口神社の拝殿。
奈良県内で木の生い茂った場所を見れば、大概そこは古墳か神社とされます。神社には木が生えています。植えられていると言うより、そこに自然に生えていると言った方が適当なような気が致します。木は「気」に通じ、そこには独特な空気が流れています。
木は森になり、神社のモリには「杜」という漢字が当てられます。
杜は神聖な場所であり、気の集まる場所であり、さらには周囲と隔絶された磁場でもあります。古来、神社の杜は営々と人々に守られ、途絶えることなく栄えてきました。守る「守(もり)」に、盛んな「盛(もり)」。近隣住民に見守られながら、鎮守の森はそこに居座り続けるのです。
阿形の狛犬。
口の中が赤く彩色されていますね。魔除けの赤と言うぐらいですから、その効果は絶大です(笑)
吽形の狛犬の足元には子供の狛犬の姿が見られます。
いわゆる「子取り狛犬」ですね。左手奥に見えている建物は社務所です。
山之坊山口神社の社務所。
山之坊山口神社の歴史には、度重なる木原町との争いが言い伝えられます。
江戸時代の享保年間には、木原町と山之坊町の間で耳成山をめぐる境界争いが勃発します。争いの結果、木原町の所属となったため山之坊宮司が神霊を奉じて下山し、現在地に祀ったと伝えられます。
木原町とはどの辺りなのか?
中和幹線の葛本町新屋敷から南に折れて醍醐町方面へ向かって進んで行くと、左手に耳成山がどんどん近づいて来ます。耳成山の西麓に当たるこの地域が木原町と呼ばれるエリアで、昔から、山之坊町との争いの絶えなかった場所とされます。
拝殿右横の庚申碑と境内社。
橿原市木原は、延喜式神名帳の十市郡内の目原坐高御魂神社の鎮座地とも言われています。
山之坊山口神社本殿を囲む塀。
御祭神は大山祇神とされます。
本殿の周りをぐるっと塀伝いに回り込むことができました。
米川沿いに出ると、大きな木の切り株がありました。
幹周りの大きさから、かなりの巨木がこの場所に立っていたことが分かります。
山之坊山口神社境内に見る憩いの場
思い起こせば高校時代に、山之坊山口神社の前の道を自転車で通過していたことを思い出します。
その当時はこの場所に神社があったことなど、全く気にもしていなかったのですが(笑)
若い頃はそんなものですね。神社やお寺に興味を持ち出したのは35歳以降ぐらいからでしょうか。観光関連の仕事に就くようになり、奈良県内の観光資産に目が行くようになりました。山之坊山口神社と同じ通り沿いにある三輪神社のことも全く意に介していなかったのです。壮年期に入ってから知ることも少なくないようです。
横大路沿いに建つ一の鳥居の扁額。
「山之坊山口神社」と記されています。
扁額下には注連縄が張られています。やっぱり注連縄は蛇に由来しているんだなと思わせます。縄をなうことでより強固になる注連縄。脱皮を繰り返しながら成長していく蛇の姿から、命の本質を見たであろう古代人の姿が浮かびます。
一の鳥居をくぐって参道を進みます。
石灯籠が建ち並ぶ参道は一旦左に折れて、境内へと続いていました。
二の鳥居をくぐって境内に入ると、右手前に鉄棒がありました。
近隣に住む児童たちが使う鉄棒なのでしょうか。
祭事の時にだけ出向くのが神社ではありません。普段から身近に存在する神社こそ、その土地の産土神と言えるのかもしれません。
拝殿・本殿と向き合うように鉄棒が並んでいます。
拝殿前の斎庭も広く、住民たちの憩いの場として利用されているのではないでしょうか。
橿原市石原田町の住所表示。
出合交差点から耳成駅方向へ取り、その手前で左折します。この道を真っ直ぐ西へ行けば山之坊山口神社にアクセスします。
道路脇にお地蔵様がいらっしゃいました。
地域の人に守られる、名も知れぬ地蔵石仏に手を合わせます。
米川沿いから山之坊山口神社の拝殿を望みます。
白いハマユウの花が咲いていましたが、そろそろ終わりかけですね。
山之坊山口神社の例祭は10月10日に執り行われるようです。どんな秋祭りなのか見学してみたい気もしますが、残念ながら毎年10月のこの時期は結婚式シーズンに当たり、超多忙な日々を送っていることと思われます。
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