平群谷最大の前方後円墳・烏土塚(うどづか)古墳。
横穴式石室の中に納められた組合式石棺には ”斜格子文の線刻” があり、石棺装飾の数少ない類例として注目されます。場所は近鉄竜田川駅から西へ200mほど行った住宅街の中です。古墳の脇にはヘラブナ釣りの池が広がっていました。
烏土塚古墳の横穴式石室。
両袖式の横穴式石室で、奥壁手前に組合式石棺が残っています。
石室は普段施錠されています。石室内の見学を希望される方は、教育委員会に申し出れば鍵を借りることができます。私は今回、扉の外からの見学となりました。烏土塚古墳の石室内は意外と明るく、懐中電灯無しでも玄室内の石棺を確認することができます。
近鉄竜田川駅から烏土塚古墳へアクセス
それでは、烏土塚古墳へのアクセスルートをご案内致します。
私はこの日、国道168号線沿いの道の駅『大和路へぐり くまがしステーション』に駐車して、徒歩で近鉄竜田川駅を目指しました。竜田川沿いを南へ下り、橋を渡って竜田川右岸(西側)へと出ます。
ちょっとルート案内から横道に逸れますが、こちらは烏土塚古墳墳丘上からの眺めです。
北向こうに見えている墳丘内には、同じく平群町を代表する古墳の西宮古墳があります。
烏土塚古墳の石室開口部。
羨道部の天井石はすっかり失われていました。しかしながら、その側壁の巨大さに息を吞みます。
国史跡烏土塚古墳の外形と石室。
・・・・・墳丘には葺石はなく、裾には幅2~3m、深さ1.5mの区画溝が掘られていた。一見すると自然地形をそのまま利用しているようにみえるが、墳丘のほとんどが盛土により築造されている。
墳頂平坦部の周囲(擬木柵付近)には墳形にあわせて円筒埴輪列を配置していたようである。
主体部は南に開口した両袖式の横穴式石室で、平群谷において石室形態が定形化する画期とされる。石材は、西方800mの井文字川付近の片麻状黒雲母花崗岩の巨石により構築されている。
玄室の奥壁と前壁が垂直に積まれ、石室幅に比べて高さのある構造に特色があり、桜井市越塚古墳、斑鳩町藤ノ木古墳石室が類似例である。
近鉄竜田川駅。
烏土塚古墳へアクセスする際、必ず登場する重要ポイントです。
烏土塚古墳の周辺地図。
アクセス途中に経由した『プリズムへぐり』や『西宮親水公園』も案内されていました。烏土塚古墳のある方向は、竜田川駅からさらに西です。
踏切を渡って西側へ出ます。
片側のみのプラットフォームで、割と小ぢんまりした駅でした。
『竜田川駅西側』のバス停。
平群出身の戦国武将・嶋左近(しまさこん)がご当地キャラクターのようです。関ヶ原の戦いで命を落とした嶋左近ですが、平群の地に山城を築いたことで知られます。
駅の西側は上手へ向かって新興住宅地が広がっていました。
古墳を目指し、民家の間の坂道を登って行きます。
坂道を登って振り返ったポイント。
この下手に竜田川駅があり、その向こうに見えているのは矢田丘陵です。
急傾斜の石垣がそそり立っていました。
石垣を右手に見ながら、今度は進行方向を南に取ります。行く手に丁字路が見えていますが、あそこを右折します。
ここを右折して、さらに坂道を登って行きます。
掲示板があったりして、古墳へのアクセス途中であることを忘れさせます。いつものように、道なき道を行く古墳探索とは勝手が違うようです。
道標が立っていました!
ここを右折して、残り100mのようです。
ここです。
右折ポイントには、ヘラブナ釣りの案内看板も出ていました。
しばらく進むと、釣堀が見えて参りました。
どうやらここがヘラブナ釣りの場所のようです。そして、この右手が目的地の烏土塚古墳です。
右手『烏土塚古墳』、左手『石床神社』を案内する道標。
手前の駐車場を案内する看板ですが、釣堀の駐車場だと思われます。看板の右手向こうに石段が見えていますが、あれが烏土塚古墳への入口です。
数人の釣り人が糸を垂らします。
古墳の真横が、憩いスポットになっていたのですね(笑)
道路に埋め込まれたプレート。
うん?これは信貴山の虎でしょうか。
この石段を上ります。
古墳の周囲には石垣が巡らされていました。
史跡烏土塚古墳の解説パネル。
所在地 生駒郡平群町春日丘1丁目(大字西宮)
史跡指定 昭和46年7月30日 文部省告示第180号史跡の部第一(古墳)信貴生駒山系より東にのびる傾斜の丘陵の端部に築造された北面する平群谷最大の前方後円墳。墳丘は全長約60.5m、後円部径約32m、高さ約6m。前方部との比高は約2m。主体部は南に開口する横穴式石室で、後円部の中心に玄室奥壁を配している。
玄室の長さ約6m、幅約1.9m、高さ約4.4mで、両袖式の形態を備えている。羨道部は天井石を欠くが、長さ約8.2m、幅約2.1m、ほぼ中央から墓域外へ約66cmの暗渠式排水溝が設けられ、石舞台古墳に匹敵する巨石古墳に数えられる。
玄室内には、大型の二上山産の白色凝灰岩製の組合式石棺が置かれ、羨道部にも同形式の石棺底石が検出されている。玄室の石棺の内側及び蓋石には赤色顔料の痕跡があり、側面には斜格子状の線刻も認められる。
盗掘を受けていたが、出土遺物は鏡(四獣鏡)金銅装太刀、金銅装馬具、玉類、土器類(須恵器、土師器)等豊富で、立体的な副葬状況が明らかとなった。また、羨門付近で巫女形埴輪や子持器台~
史跡烏土塚古墳。
生駒山地より延びる廿日山丘陵上にある前方後円墳です。
ご多分に漏れず、この烏土塚古墳も開発と保護の間で揺れ動いたものと思われます。これだけの墳丘と石室を持つ古墳です。近隣住民の方々の保護へ向けた運動も後世へ語り継がれることでしょう。
墳丘へ続く道。
綺麗に整備されている印象です。
墳頂へ出る石段。
青空が顔を覗かせます!
綺麗に芝生が敷かれ、古墳見学者たちを出迎えます。
おそらくこの芝生カーペットの道は、前方部に当たるものと思われます。
案内板にも書かれていましたが、ちょうどこの辺りが円筒埴輪列のあった場所なのでしょうか。
アガパンサスの花が咲いていました。
芝生の緑によく映えます。
後円部と思しき場所に出ると、また解説パネルが設置されていました。
それにしても、烏土塚古墳の墳丘は見晴らしがいいですね。
横穴式石室実測図。
玄室と羨道にそれぞれ、組合式石棺が納められているのが分かります。
花崗岩の巨石を用いた両袖式の横穴式石室で、全長14.2mを測ります。玄室奥の石棺東側面には、斜め格子状の線刻が見られます。何度か盗掘に遭っていますが、多数の遺物が出土しているのは注目に値します。銅鏡、金銅製馬具、象嵌を持つ大刀、鉄鏃、刀子、耳環、ガラス小玉とその種類も多岐に渡ります。
後円部から前方部を望みます。
見学者を意識した設えなのか、ここに立てば前方後円墳であることが分かります。上手に作り込まれた墳丘ですね。
埴輪祭祀跡と横穴式石室
それでは、いよいよ烏土塚古墳の心臓部へと足を運びます。
一回墳丘上へ登って、また下りる。
その下って行った先に横穴式石室が開口していました。
下りの階段。
えっ、また下りるの? と思ったのですが、どうやら間違いはなさそうです。
ありました、ありました!
かなり大きな石に囲われた羨道です。その先に柵が設けられており、玄室の中へは入って行けないようです。
特筆すべきは、石室前で確認されたという祭祀跡です。
石室の前庭部で形象埴輪が出土し、埴輪祭祀の終焉段階に当たる資料として注目されています。人物埴輪に家形埴輪、さらには甕(須恵器)や子持ち器台などが出土したそうです。
巨大な側壁。
この上に天井石が乗っかっていたわけですが、残念ながらその天井石を見ることはできません。既に失われた後で、玄門付近まで露天に晒されていました。
反対側の側壁も大きいですね。
平群谷最大の前方後円墳と言われるだけあって、その埋葬施設も巨大です。
柵越しに中の様子を伺います。
玄室の中はやや持ち送りが見られますね。
玄室の中に今も安置される組合式石棺。
羨道の天井石が失われているためか、十分に奥まで光が届いています。恐怖感を抱くことはなく、落ち着いて石棺を見学することができます。
ちょっと下のアングルから撮影。
さすがに玄室の天井石までは写すことができませんでした。
玄室奥側の天井石は特に大きいようで、玄室長の4分の3を一石で縦方向に渡します。是非見てみたかったですね、その天井石。烏土塚古墳石室の鍵は中央公民館(教育委員会)で管理・貸し出しが行われていますので、ご希望の方は申し出てみて下さい。
二上山白色凝灰岩製の石棺です。
鍵を借りれば、この石棺も間近に見ることができます。
玄室の奥壁。
何やら面白い形をしていますね、それぞれの石の表情が感じられます。
柵の外からではありますが、出来得る限り様々なアングルに挑戦(笑)
6世紀後半、古墳時代後期に築造された烏土塚古墳。出土遺物が数多くあり、巨石古墳の中では大変珍しい一例とされます。
しかしまぁ、これだけはっきり奥まで見渡せれば十分満足です。
このあと見学した西宮古墳もそうでしたが、古墳探索にありがちな薄気味悪さは一切感じません。大変健康的な古墳見学が楽しめます。
平群町には数多くの古墳が残されています。
珍しい石棚が見所の三里古墳を筆頭に、西宮古墳、ツボリ山古墳、宮山塚古墳はそれぞれ県史跡に指定されています。なお、烏土塚古墳は国の史跡で、平群町の史跡としては剣上塚古墳、栗塚古墳、命蓮墓(墳墓)が名を連ねます。宮内庁管轄の長屋王墓、吉備内親王墓も平群町内にあり、弔いの場所として歴史を紡いできたことがうかがえます。
この辺りが石室の前庭部なのでしょうか?
墳丘へ続く石段が設けられ、すぐ横には民家が迫っていました。
開発と保護の間で揺れたであろう烏土塚古墳は、見事にその両方の目的を果たしたような気が致します。少なくとも傍目にはそう映りますが、いかがでしょうか?
平群町観光において、烏土塚古墳は無二の名所であることに異論の余地はありません。