生駒郡平群町西宮にある西宮(にしのみや)古墳。
綺麗な切石を使った横穴式石室が開口しており、烏土塚古墳と共に見学しておきたい古墳の一つです。西宮古墳は平群谷を代表する終末期古墳で、三段築成の方墳とされます。
西宮古墳の横穴式石室。
両袖式の横穴式石室が南に開口しています。
精美な切石に囲まれた玄室内には、竜山石を刳り抜いた家形石棺が残ります。古墳見学を妨げる陰湿な空気は感じられません。石室見学の初心者でも、安心して中に入ることが出来るでしょう。
竜山石の家形石棺を間近に見学
西宮古墳は竜田川の西側にあります。
廿日山丘陵の南斜面に位置しており、墳丘全体に貼石が施されていました。
墳丘中心部と玄室の中心部が重なり、石室開口部は一段目のテラス上に造られています。古墳の心臓部が古墳全体の中央にあり、より精緻な印象を受けます。
横穴式石室の開口部。
左上手には祠が祀られていました。
西宮古墳の玄室からは、一字一石経(いちじいっせききょう)などが564点も出土しているようです。近世の仏教信仰の名残なのでしょうか。一字一石経とは小石に経典を一字ずつ書写したもので、江戸時代に流行った追善供養の一種です。昔からこの辺りには、信仰の場として人々が集っていたのでしょう。
開口部から中を覗きます。
奥まで十分に光が届いていて、棺の姿を確認することもできます。
玄室へ至る羨道の側壁は、左右五枚で構成されています。羨道の天井石は三枚のようです。
西宮古墳の解説パネル。
昭和31年8月7日に奈良県の史跡に指定されているようです。
この古墳は、廿日山(はつかやま)丘陵の南端に築かれた三段築成の方形墳である。墳丘は一辺約36mの正方形で墳丘高は正面で7.2m以上あり、本来の高さは約8mと思われる。墳丘斜面は約35度の勾配で、墳丘全体と東側周溝底には貼石が施されている。
墳丘の東西と北側は台形状に大きく掘削され周溝をめぐらせている。横穴式石室は南に開口し、玄室は墳丘中央部に位置する。石室は切石を用いた精美なもので平群町越木塚で産出する石材によって築かれ、石室床面は墳丘二段目のテラス面に合わせている。石室の全長は約14mで玄室の長さ約3.6m、幅・高さが約1.8mである。
石室内部に収められた刳り抜き式の家形石棺は棺蓋が失われ棺身のみであるが、兵庫県産竜山石(たつやまいし)で製作されたものである。石棺の長さは224cm、幅115cm、高さ76cmである。石室前方の墓道より須恵器の杯蓋・高坏片が出土している。7世紀の中頃から後半の築造と考えられ、平群谷を代表する終末期の古墳として重要である。
精美な切石加工が施された石室ですが、その石材は地元の平群町で採取されているようです。
石棺の石材は竜山石ですね。姫路城の石垣にも使われている竜山石ですが、耐火性に優れ、風化しにくいことで知られます。
玄室の床面。
奈良まほろばソムリエ検定の公式テキストブックには、” 花崗岩の四角い切石がタイルのように敷かれている ” と記されています。その該当箇所でしょうか。
墳丘復元図。
三段築成の方墳であることが分かります。
横穴式石室が南に開口しています。
西宮古墳の墳丘。
墳丘の段差を辛うじて確認することができました。
これが墳丘全体に確認されたという貼石でしょうか?
落葉の隙間から露出していました。
横穴式石室の開口部を見上げます。
西宮古墳は庶民の集う公園内にあり、道標に従えば難なく辿り着くことができます。分かりやすい場所ですので道に迷うこともないでしょう。
石室前方の墓道。
この墓道からは副葬品の須恵器が出土しています。西宮古墳は盗掘を受けており、出土遺物は少ないようです。
石室横の祠。
微妙なバランスで石灯籠が立っていますね。
開口部との位置関係。
西宮古墳と祠・・・おそらく切っても切れない関係にあったのでしょう。
明日香村の岩屋山古墳、桜井市の文殊院西古墳と並び称される精緻な切石の西宮古墳。
西宮古墳の被葬者は誰なのでしょうか?
古代豪族平群氏の首長か、はたまた山背大兄皇子か・・・その謎は深まるばかりです。
棺の蓋は失われています。
棺身のみが横たわり、古墳時代の終末期を今に伝えます。
クレーターのような穴が見られますね。これは当初からあったものなのでしょうか。
玄室の側壁との間に隙間があります。
ここを通って奥壁まで達することができます。
横穴式石室の奥壁。
巨大な一枚の石です。
玄室の奥壁、側壁、天井石は全て一枚で構成されていました。
奥壁を背にします。
フラッシュをたかずとも、この明るさです。
これは来た甲斐がありました!
烏土塚古墳からも程近く、徒歩でアクセスが可能です。
平群町は古墳の多いエリアで、三里古墳の石棚などもオススメです。
古代の空間をそのままに残します。
平群中央公園内にある西宮古墳ですが、かつてこの場所には中世の西宮城が築かれていたようです。
天井石との隙間。
お城があったとは、さすがに面喰いますね。
平群中央公園の北の谷を隔てたエリアには、下垣内城があったと伝わります。西宮古墳も曲輪の一つとして利用されていたのだとか・・・。
西宮城は嶋氏の居城でした。
嶋氏は平群町エリアの ”在地領主” で、椿井城や西宮城を本拠としていました。嶋左近はよく知られる歴史上の人物ですよね。
城の遺構は既に埋め戻されていますが、公園の東側が主郭で、西側には副郭が広がっていたようです。
室町時代の嶋氏の居城跡に、西宮古墳はあります。
蓋が失われているため、棺内の様子も手に取るように分かりますね。
どっしりと頑丈そうな棺身です。
いいですね、ロマンがあります。
これだけ光が届いていれば、コウモリも棲み付かないでしょう。誰でも安心して楽しめる横穴式石室です。
竜山石に触れることだって出来ます。
地名の「平群(へぐり)」もなかなか読めたものではありません。奈良県内に散見される難読地名の中の一つです。
横穴式石室の開口部前から眺める景色。
なかなか見晴らしのいい場所です。
ここにお城があったのも頷けますね。
墳丘の各所に土嚢が積まれていました。
石室へ至る階段の役目も果たしています(笑)
手水石でしょうか。
窪みに水が溜まっていました。
墳丘の東側。
古墳の周りは「平群中央公園」として綺麗に整備されています。
三段築成というだけあって、その段差が確認できます。
休日になると、レジャーシートを敷いてお弁当を広げる人もいるかもしれませんね。
これも土嚢でしょうか。
復元のために手を入れた跡がうかがえます。
すぐ脇にあったローラー滑り台。
すっかりここは庶民の憩いの場ですね。
公園の駐車場に車を停めることもできます。古墳見学では路駐を余儀なくされることが多いのですが、西宮古墳は別格です。もちろん、駐車料金も無料です。公衆トイレだって近くにあります。
あらゆる面でハードルの低い西宮古墳。
それでいながら、満足度の高い横穴式石室が開口しています!