大和棟の民家として知られる藤田家住宅。
ツボリ山古墳を見学した後、重要文化財の古民家を目指しました。ツボリ山古墳からは300mほど登った所にあります。所在地は平群町福貴で、近鉄平群駅から徒歩20分ほどの距離です。
藤田家住宅。
築地塀と石垣に囲われます。年2回だけ特別公開されているようですので、機を見て訪れるといいでしょう。今回は藤田家住宅の周囲を巡るだけでも、その重厚な雰囲気を味わうことが出来ました。
竹天井に突き止め溝!古建築の粋を伝える藤田家住宅
奈良県には現役の古民家が数多く残っています。
橿原市の今井町なども、生活の匂いが漂う古民家群ですよね。
ツボリ山古墳から藤田家住宅、白山神社、道詮律師墓と辿り、杵築神社を経て十三峠(じゅうさんとうげ)へと至る道はハイキングコースにもなっているようです。
藤田家住宅の築地塀と石垣。
塀伝いに歩くと、かなり広い敷地面積であることが判ります。
門の脇から中を覗きます。
あれが大和棟の建物でしょうか。
藤田家住宅(平群町福貴)の案内板。
整った大和棟民家として昭和53年1月に重要文化財に指定されている。解体修理の結果、元禄年間(1688~1703)に建てられ、大規模な改修が3回行われている。第一次改造は18世紀後半、第二次改造は文化4年(1807)、第三次改造が明治末年である。
当初の外観は、古絵図にもある元和年間の前身建物と同じ茅葺の入母屋造りで、文化4年の改造時に大和棟に変わっている。
段違いの棟で母屋の本屋根は切妻造茅葺き、両妻が高塀造り本瓦葺き。正面には外玄関・内玄関があり、右側に上段の間があった。
座敷の天井はひしゃぎ竹、他は割竹で、敷居の突き止め溝、竹の欄間など古色を伝える。
ツボリ山古墳の横穴式石室。
刳り抜き式の家形石棺が二基納まります。藤田家住宅のある場所は、ツボリ山古墳からさらに上手です。
古墳の上手の分岐点。
右折すれば楢本神社に通じているようです。藤田家住宅はこのまま直進します。
さらに分岐(Y字路)に出ますが、普門院の方向へ進みます。
右手向こうに見えている建物は平群中学校でしょう。
Y字路の分岐ポイント。
普門院の手前に藤田家はあるようです。
藤田家住宅へのアプローチ。
雰囲気ありますね。まるでお城の中へ入って行くようです。
藤田家住宅の門。
表札が掛かり、門扉は固く閉ざされていました。
塀の上から覗くのは庭でしょうか。
かなり広そうです。
門前からアプローチを見下ろします。
平群の街並みの東に見える山は、おそらく矢田丘陵でしょう。
ぐるりと塀が取り囲んでいます。
細い生活道路に沿うように、藤田家住宅の敷地が続きます。
勾配のある場所です。
「平群谷」とよく言いますが、一軒の住宅の中にも反映されていました。
ここが終点かもしれません。
こんもりとした盛土が見られます。まるで古墳のような外観ですね。
盛土の頂に瓦屋根が見えます。
何かの祠でしょうか。
消防車がデザインされたマンホール蓋。
貴重な文化財ですから、地域の防火意識に守られている印象でした。
藤田家住宅前の「北福貴掲示板」。
融通念仏宗地蔵寺で、9月14日に如来御回在が行われるようです。
高所に建つ藤田家住宅は、地域のシンボル的存在なのでしょう。春秋の年2回だけ特別公開されますので、スケジュールを調整して見学に訪れてみましょう。