平群町西宮に鎮座する平群神社。
優美な切石石室を持つ西宮古墳から、徒歩数分の場所に鎮まります。
東に矢田丘陵が迫り、北西方向には生駒山が聳える平群の町並み。そこには今も、数多くの観光スポットが存在しています。この日も、近鉄竜田川駅近くの烏土塚古墳から西宮古墳へ向かい、その足で道の駅へ戻る途中にお参りして来ました。
「式内平群神社」の社号標。
木製の神明鳥居の上に、珍しい屋根が被さっています。
境内は思ったほど広くはなく、石段の上に厳かな拝殿と本殿が控えていました。
新羅出征前の戦勝祈願
平群神社の創建は4世紀半ばに遡ります。
その歴史を紐解けば、神功皇后の時代の新羅出征へと行き着きます。
平群氏の祖・武内宿禰が神功皇后と共に新羅出征前に戦勝祈願として、大山祇神をこの地に祀ったのが始まりとされます。武内宿禰(たけのうちのすくね)と言えば、大和朝廷初期に活躍した伝説上の人物ですよね。紀氏、葛城氏、巨勢氏、平群氏、蘇我氏など、そうそうたる中央有力豪族の祖と仰がれる人物です。
拝殿向かって左側に掲げられる大絵馬。
これは新羅出征時の様子が描写されているのでしょうか。
鳥居へ至る参道の石畳。
真っ直ぐ本殿へ向かうのではなく、鳥居手前までは斜めに道が付いていました。
式内社のようです。
武内宿禰と神功皇后が戦勝祈願で祀った大山祇神(おおやまつみのかみ)。
由緒にまつわる伝説の後、平群氏が祖神の武内宿禰と平群木菟宿禰(つくのすくね)を祀ったものと思われます。
拝殿まで上がって行った時、地元の方がご休憩中でした。
ここは大変見晴らしの良い場所で、平群の町並みを見下ろすことができます。平群町には古墳や城跡が多いことなどをお伺いし、改めてその歴史の深さに触れた思いがします。
拝殿反対側には、小さなお神輿と太鼓が置かれていました。
祭事に使われるものでしょうか。
子供の書だと思われますが、「人生如朝露」の文字が神輿に掛かっていました。人生朝露の如しとは、小中学生が発する言葉としては時期尚早では?と思った次第です(笑)
大和川に注ぐ竜田川沿いを歩きます。
ここから北西方向に見えている、あのこんもりした丘陵内に平群神社があります。
歴史に満ちた平群谷には、平群神社の他にも「石床(いわとこ)神社旧社地」、「平等寺春日神社」、「船山神社」など、一度は訪れてみたい神社が散在しています。