水の神様として知られる宇太水分神社に参拝。
宇陀郡から宇陀市に変わって久しいわけですが、宇陀という地名の表記には様々なものが見られます。改めてその不思議な迷路に迷い込んでみます(笑)
宇太水分神社の鳥居近くにある宇陀市宇太地区公民館。
宇陀も宇太も、読み方はどちらも「うだ」です。その違いは一体何なんでしょうか、改めて疑問に思いました。
宇陀・宇太・菟田・宇田・雨多!「うだ」の表記
行政区分の「郡」の始まりは宇陀であると言われます。
歴史ある「宇陀」に迫ってみることに致しましょう。
味のある建物が、国宝の鎮まる宇太水分神社の近くに佇みます。
昭和の雰囲気を感じさせる昔懐かしい建物です。この辺り一帯を歩いていても、タイムマシンに乗って降り立ったような感覚に陥ります。
極楽気分、とでも言うのでしょうか(^O^)
道路標識には、宇陀市菟田野区古市場と書かれています。
県道135号線の、宇太三茶屋線ですね。
区の名前は濁らずに、菟田野(うたの)と発音するようです。
う~ん、益々複雑になって参りました(笑)
宇太水分神社境内に立つ下乗のお札。
ここから先は乗り物から降りて下さいという意味ですね。昔は馬から、今なら車から降りて下さいという意味になります。おそらく自転車からの降車も要求されているのだと思われます。
大和の古い諺に、
国の始まり大和、群の始まり宇陀郡(うだごおり)
というのがあります。そう、郡の起源は宇陀の地にあったのです。表記法は様々で、宇陀・宇太・菟田・宇田・雨多等々が見られます。
水の神様が祀られる神社だけに、雨多(うだ)という漢字表記にも納得がいきます。
かく言う私の苗字も「宇田」です。
自分の名前には興味が涌くもので、「広い田圃で宇田」と、小さい頃から記憶していました。「宇」という漢字には広大なイメージがあります。宇宙もそうですよね。あるいは、宇田のウは単なる接頭語なのではないかとも言われています。
宇太水分神社の近くには芳野川が流れています。
「ウダ」は阿陀(あだ)と同じで、河川流域の耕作地帯を示す地名ではないかと、池田末則氏の「奈良の地名由来辞典」に記されています。田圃に水を引かなければいけないことを考えると、宇田という苗字にも通じるものがあります。
奈良県五條市栄山寺の東の方に、阿陀(あだ)という地名が残されています。
吉野川の南・北岸にある地名で、「神武紀」には天皇に帰順した贄持(にえもつ)の子孫が鵜飼の漁法を用いて生活していたと記されているそうです。吉野川の鮎を天皇に献上していたのでしょうか?生贄にする魚や鳥を捕える人を贄人(にえびと)と言うわけですが、鮎には神聖なイメージが付きまとうだけに、何やら意味深なものを感じます。
宇陀の「ウ」と鵜飼の「ウ」にも、何か関係があるのでしょうか。
宇太水分神社の鳥居。
色々と探ってみましたが、水と関係していることだけは間違いがなさそうです。
奈良を訪れたことのある人でも、宇陀市の観光を体験された方はそう多くはないのではないでしょうか。私の住む桜井市内よりも、さらに奥深い大和の地が宇陀市内です。桜のシーズンには又兵衛桜が人気を集めていますが、サッカーの神様として知られる八咫烏神社なども見所の一つです。
宇陀の地名由来をかみしめながら、再度宇陀の地を訪れてみたいと思います。