宇陀市菟田野区古市場に鎮座する宇太水分神社。
水の神様として知られ、水分三座が祀られる国宝の本殿があります。
宇陀山地の水分神社は、古市場を含めて3つあります。榛原区下井足、菟田野区上芳野にも鎮座しており、どれが本来の式内大社宇太水分神社であるかは定かでないようです。
二の鳥居をくぐって右側にある手水舎。
古式蒼然とした佇まいですね。
高見山を仰いだ祭祀の起源
宇陀エリアからは標高1,249mの高見山を望むことができます。
高見山は円錐形の分水嶺であり、古代の人たちが神と仰いだのではないかと思われます。宇太水分神社の祭祀起源を高見山とする由縁ですね。
蛙の口から竹を伝って水が配されます。
水への崇拝が感じられる神社なだけに、手水舎もどこか独特な風情を感じさせます。
奥に見える三棟が宇太水分神社の本殿です。
水分(みくまり)神社って、あまり耳にしない珍しい名前ではないでしょうか。
奈良県内には水分神社が5つ確認されており、どれも水の配分に関わる神様と言われています。山野から流れ出る貴重な水を、田畑に配分していく灌漑は古代の人たちにとって重要なインフラであったことが想像できます。
本殿棟木には元応2年(1320)の墨書銘があります。
鎌倉時代に建てられた本殿には速秋津比古命(はやあきつひこのみこと)、天之水分神(あめのみくまりのかみ)、国之水分神(くにのみくまりのかみ)の水分三座が祀られています。
手水舎の蛙股。
珍しいデザインが施されています。
寄ってみましょう。
細部に施された意匠に、思わずため息が漏れます。国宝を有する社だけのことはあるなぁ、そんな風に思える蛙股です。
宇太水分神社の本殿向かって右側には、春日神社本殿(重要文化財)と宗像神社本殿(重要文化財)も見られます。宗像神社の蛙股には蟹の彫刻が施されているようです。
水分大明神は天照大神の分神であるとも伝えられます。
手水舎の背後には注連縄の張られた霊石があり、遠く伊勢の神を遥拝する場所にもなっていました。境内には源頼朝が幼少時に苗を植えたという頼朝杉もあり、お参りのポイントには事欠きません。
宇太水分神社の沢潟紋
宇太水分神社の社紋は沢潟(おもだか)紋です。
沢潟とはオモダカ科の多年草で、沼・沢・池などに自生するクワイに似た水草で、夏に白い三弁花を咲かせます。別名を「勝ち草」とも言ったようです。
沢潟紋。
沢潟(おもだか)は、漢字表記で「面高」と書くこともあります。
この紋は日本十大紋の一つに数えられ、「面高」に通じるところから、面目が立つといったニュアンスが含まれ、家紋としての人気を不動のものにしました。
武士に好まれた紋でもありました。
沢潟紋に関しては、戦国時代の武将・毛利元就の逸話が残されています。
古市場の宇太水分神社本殿。
ある戦の最中に、元就はオモダカに止まったトンボを見つけます。
当時は「勝ち虫」と呼ばれ、縁起を担がれていたトンボです。そのトンボが ”勝ち草” のオモダカに止まっている・・・これは吉祥であると、沢潟を家紋にすることに決めたそうです。
葉の形が矢じりに似ていますね。
縁起のいい矢羽根模様を連想させますが、矢じりから「勝ち草」につながったのかもしれません。
宇太水分神社二の鳥居。
古来から人々の生活に欠かせなかった水への信仰を柱とする神社。
宇太水分神社が水と深い関係を持つ沢潟(面高)を社紋としているのも頷けますよね。
面高(おもだか)の由来には諸説ありますが、葉っぱの形が人の顔に似ているからとか、花より高い所に葉っぱが生えているからとか色々言われています。
大神神社の社紋は、杉にちなんだ「三ツ杉」です。
それぞれの神社に関係の深い草木が、正式な社紋として使われています。神社参拝の際に、社紋に注目してみるのも面白そうです。