春日大社の中門(ちゅうもん)から左右に伸びる御廊(おろう)。
その東側御廊に5代将軍綱吉の灯籠が吊り下げられていました。
綱吉寄進の釣灯籠。
徳川家の家紋である三つ葉葵がデザインされていますね。家紋の周りには縁起の良い亀甲紋が配されていました。
館林藩主時代に奉納!鷹司家の紋も配する銅製釣灯籠
生類憐みの令で知られる5代将軍綱吉。
綱吉は春日大社との縁も深かったようですね。
特筆すべきは三つ葉葵のみならず、牡丹の紋もあしらわれている点です。鷹司家とは藤原氏の一支流に当り、五摂家の一つに数えられる名門です。その鷹司家の家紋が「鷹司牡丹」です。
春日大社中門。
本殿手前にある楼門で、高さは約10mにおよびます。
中門から御廊が左右に羽を広げ、その手前に釣灯籠が下がっているのが見えます。御廊の内部は、祭儀において神職が座る場所とされます。江戸時代までは、僧侶による読経も行われていたようです。
「館林宰相正三位 源綱吉御 室」
将軍になる前は館林藩主だった徳川綱吉。
最後に「室」とありますが、正室の信子のことを指しています。ちょっとこの写真では分かりづらいのですが、「室」の左側に配された紋が鷹司牡丹ではないかと思われます。
鷹司家の出であった正室信子。妻への配慮がうかがえる貴重な奉納品です。
徳川家綱寄進燈籠の案内板。
徳川綱吉は3代将軍家光の子で、母は桂昌院。綱吉は寛文元年(1661)、15歳で上野国(群馬県)館林藩25万石に封ぜられた。延宝8年(1680)、4代将軍家綱の死去により5代将軍となった。綱吉の治世は藩政がよくない諸大名を処分するなど賞罰厳明であることから「天和(てんな)の治」と称えられ、また「生類憐みの令」でも知られる。
本燈籠は寛文7年(1667)館林藩主時代に奉納されたもので、連名の「室」とは、左大臣鷹司教平(たかつかさのりひら)の娘で、正室の信子のこと。右記の銘文の他、徳川家と鷹司家の家紋「三葉葵」・「牡丹」を配している。
春日大社には釣灯籠千基と石燈籠二千基が奉納されています。
全部で三千基の奉納燈籠。
毎年8月になると、その全てに火が灯される中元万燈籠が催されます。お盆のシーズンとあって、未だに行く機会を見つけられないでいます。
境内の藤浪之屋で中元万燈籠を疑似体験しましたが、やはり本物を見てみたいというのが本心です。もちろん、その時は綱吉の釣灯籠にも火が灯されるのでしょう。将軍の燈籠です。時を越えて語り掛けてくるものは少なくないはずです。
綱吉の釣燈籠のみならず、中門御廊では藤堂高虎、直江兼続、宇喜多秀家奉納の燈籠を見ることもできます。