春日若宮おん祭のお渡りで知られる辰市神子(たついちのみこ)。
長く連なるお渡り行列の中でも、白い被衣(かづき)の巫女集団はよく目立ちます。
春日社家の故地・辰市村から選出された巫女が辰市神子で、渡り神子の先頭を行きます。かねてから辰市神社の名前は聞いていましたが、参拝するのは今回が初めてです。
辰市神社本殿。
石燈籠と狛犬が両脇を固めていました。
杏町(からももちょう)とは、奈良によくある難読地名ですよね。近くに平城宮跡があることから、唐門(からもん;羅城門)の転訛でしょうか。あるいは魔除けの桃の木が関係しているのかもしれません。
春日大社の神を祀る「神宮社」
辰市神社の御祭神は、春日神で知られる武甕槌命(たけみかつちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)です。
辰市神社の歴史は、春日大社創建時にさかのぼります。
鹿島国から武甕槌命に付き従い大和入りした中臣時風(なかとみのときふう)・中臣秀行(なかとみのひでつら)兄弟が、住居をどこにするか神意をお伺いしたところ、榊を投げて落ちた場所を住居とする旨を示されたようです。
その榊の落ちた場所が辰市村であり、由緒ある春日社家の故地とされます。
辰市神社の鳥居と社号標。
「元神宮社」と刻みます。
辰市神社ですが、かつては神宮社・鴻宮(こうのみや)と呼ばれていたようです。
鮮やかな朱色に映える本殿。
長い歴史の中で、幾多の戦火に遭いながらも再建が繰り返されてきました。
本殿の手前には、拝殿、手水舎、歌碑があります。
建物の間を素通りできる「割拝殿」ですね。
東の市の植木の 木足るまで 逢はず久しみ うべ恋ひにけり
二柱の神様を祀ります。
タケミカヅチとフツヌシ。さすがに春日大社の社殿を思わせる造りです。ひょっとすると、この本殿も「春日移し」なのでしょうか。
土台もしっかりしています。
国道24号線から東へ入った所に鎮座しています。
駐車場ですが、鳥居前になんとか1台停められるぐらいのスペースです。道路を挟んだ前には時風神社がありました。
見るからに神獣の空気をまといます。
お供えの壺のデザインも目を引きますね。
辰市神社の近くには、倭文神社(しずりじんじゃ)というお社があります。
辰市の地に居住した中臣時風・秀行が、常陸国より祖神・武羽槌雄神(織部の神)を勧請したと伝わります。倭文氏はその後裔に当り、辰市郷に住み神衣を織っていたそうです。
ここは春日社家の故地。
今も閑静な佇まいの高畑界隈を歩いていると、春日大社の歴史を感じます。神官たちが住んでいたエリアには、独特の空気が根付いています。
石燈籠の竿に、旧称の「神宮社」を刻みます。
神宮(こうのみや)と読むのでしょう。
毎年12月に催行される春日若宮おん祭のお渡り。
馬にまたがり、楚々と進む辰市神子を今年も見ることができるでしょうか。コロナ禍の中、イベント中止が相次いでいます。長い歴史の中で欠かすことなく続いて来た伝統祭事だけに、その動向が気になります。