天理市豊井町にある豊日神社にお参りして来ました。
パワースポット石上神宮から北へ800mほどの場所に鎮座しています。有名な神社の近くにも関わらず、まだ一度も足を運んだことのなかったお社です。山の辺の道のコース上にありますが、どちらかと言えば人気のない北ルートということも一因のようです。
豊日神社の本殿。
拝殿奥の石段を登った所に祀られています。割と新しいですね、両脇にも可愛らしい祠が見られます。
御祭神は菅原道真公と大山祇命のようです。鎮座地の天神口という地名からも、菅原道真が祀られるお社であることがうかがえます。
石上神宮の道祖神?謎に包まれた豊日神社境内
豊日神社の「豊日(とよひ)」からまず思い浮かぶのが、日本神話にも登場する豊日別(とよひわけ)です。
古事記にも語られるイザナギとイザナミの子作り・・・その段に話は遡ります。
高天原の神々に「もう一度おのころ島に帰り、褒め言葉を男の方から唱えなさい」と申し渡された二人。再び地上に戻ったイザナギとイザナミはたくさんの子供(島)を設けました。まずは淡路島、そして次々と島々を生み出し、最後には本州を生み出します。全部で8つの島々が出来たことから、日本列島のことを「大八島の国(おおやしまのくに)」と呼ぶようになります。
豊日神社の社号標。
島々を生み終えた後に、神々を生み始めるという順番だったようです。まずは国土からということですね。
二人の間に産み落とされた四番目の島が筑紫島(つくしのしま)、今の九州地方でした。ここで何やら比喩的なお話が展開していきます。筑紫島の体は一つで、顔が四つあったそうです。その内の2番目の顔の名前が豊日別(とよひわけ)であると記されます。豊日別は九州東部のことと伝わり、今も福岡県行橋市(ゆくはしし)に豊日別宮(とよひわけぐう)が鎮座しています。
豊日別宮は別名を草場神社と言い、かつては左留多比古社とも称されていました。そう、あの猿田彦(サルタヒコ)ですね。道案内の神であるサルタヒコノオオカミが祀られていたのです。
本殿へと続く石段下に佇む牛の石像。
天満宮ゆかりの牛だと思われます。
豊日神社から山の辺の道を南へ下って行くと、布留の高橋を経由して石上神宮境内へと通じています。奈良市内から石上神宮を目指す際、その道先案内人的な役割を担っていたのかもしれません。あくまでも想像に過ぎませんが、豊日別との関連もあながち無視はできないように思います。
豊日神社の由緒が案内されていました。
鎮座地は天理市豊井町天神口で、御祭神は菅原道真公と大山祇命(おおやまずみのみこと)です。例祭は毎年10月14日に執り行われているようです。
「豊日神社」と記された社号標の後方左右の石燈籠に、「天満宮」と刻まれている。境内に並んでいる石灯籠にも「天満宮」が多く、「豊日神社」と刻まれているのは一基だけである。祭神が菅原道真公であること、道真公と所縁の深い牛の像が拝所の上の石段左右に据えられていること、鎮座地が天神口であることなどから、当社はかつて天満宮であったことが分かる。
『三代実録』の貞観5年(863)10月6日乙丑条に、「大和国正六位上豊日神授従五位下(とよひのかみにじゅごいのげをさずく)」とある記事から、『大和志』(享保19年<1734>成立)が「豊井村今称天神(いまてんじんとしょうす)」を、「豊日神祠(とよひしんし)」に宛て、これを根拠に明治になり豊日神社と改号された。
「天満宮」と刻まれた石燈籠が並び建つ境内・・・。
豊日神社に限ったことではなく、県内各所の神社にも数多く見られますよね。かつては天満宮と称しながら、歴史の流れの中で改称される事例によく出会います。不思議と「天満宮」の石燈籠をよく見かけるわけですが、なぜなんでしょうね。
豊日神社へと続く山の辺の道。
石上神宮から布留の高橋を渡って、一旦舗装された車道に出ます。そしてまた、すぐに昔ながらの古道を歩いて行きます。
行く手に見えてくるのが豊日神社の鳥居です。
社号標の左手にも道が付いていますが、この道は山の辺の道ではありません。この手前を左折するのが正しいルートになります。私は今回、気付くこともなくそのまま左手の池を巡るルートを進みました。深い森の中へ入って行くに従い不安を感じ、慌てて引き返す羽目に(笑) 皆さんは間違わないように致しましょう。
さて、山の辺の道から緩やかな石段を上って鳥居をくぐります。
右手に見えてきた不思議な石。
一瞬砲弾か?と思ったのですが、近づいてみるとやはり石でした。先っぽが綺麗に丸くなっていますね。左手に見える建物は社務所でしょうか。
瑞垣の内側に建つ石碑。
その向こうに見えているのが拝舎のようです。
瑞垣のすぐ隣りは池でした。
確か「天神池」という名前だったように思います。山の辺の道の北ルートを辿る際、この池の脇道を間違えて進んでしまいました。昼間でも割と明るかったですが、鬱蒼と生い茂る杜の中へと入って行きます。くれぐれもお間違いのないように。
豊日神社の拝舎。
拝殿と言うには覚束ない感じでしたので、敢えて拝舎と呼ばせて頂きます。この奥に自然石を積み上げた石段が付いていて、その上方に本殿が祀られています。
拝舎を横から見ます。
手前には苔生した磐座のようなものが佇んでいます。
豊日神社の本殿。
その背後には深い杜が広がっていました。実に雰囲気有りますね~!
豊日神社手前にあった道標。
山の辺の道の北ルートはここを左方向に進みます。道案内に従えば、奈良 弘仁寺方面ですね。
こちらが勘違いしたルートです。
池沿いに張られるロープが、危険地帯であることをうかがわせます。滑落に注意しながら、なるべく右側を歩いて行きます。行く手に竹林が見えていたので、ひょっとするとこの道が石上大塚古墳やウワナリ塚古墳に通じているのかなと早とちりしてしまった次第です。
あぶない!!
はい、注意致します(笑)
神社の近くに沼を思わせるような深い色合いの池。いかにも此処は神様の居場所であると、誰もが納得する神秘的空気に包まれています。
人と行き交うこともないような静かなエリアです。山の辺の道のもう一つの顔を見たような気が致しました。