お会式開扉の聖徳太子像@法隆寺聖霊院

法隆寺には45歳の聖徳太子坐像が祀られています。

少年時代の聖徳太子像は県内各所で見て参りましたが、壮年期の太子像はまだお目にかかったことがありません。法隆寺で催されるお会式(聖霊会)の時にだけ拝観が許されるようです。

法隆寺聖霊院

法隆寺聖霊院(国宝)。

信仰の対象として、人間が祀られた最初の仏堂とされます。

平安末期の尊像(聖徳太子像)を安置するために、東室の南端部を改造して建立されました。当時は予算不足だったのでしょうか、言葉が的を得ているかどうか分かりませんが、僧坊の南側が見事にリフォームされています。

峯の薬師の錐!耳のご利益に授かる法隆寺西円堂
豊聡耳皇子(とよとみみのみこ)。 聖徳太子の幼名ですね。一度に十人の声を聞き分けたという聖徳太子は、その聡明さで知られます。幼名に「耳」が入っているのも、法隆寺西円堂の錐(きり)と何か関係があるのかもしれません。 法隆寺西円堂と錐(きり)。...

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山背大兄王、殖栗王も祀られる聖霊院

聖徳太子像がメインの聖霊院ですが、その他にも太子ゆかりの人物が祀られています。

聖霊院内には三つの厨子が並び、中央に聖徳太子坐像が収められています。

向かって左側の厨子には、太子の長子に当たる山背大兄王と太子の弟・殖栗王(えぐりおう)が安置されます。右側の厨子には、太子の師である高句麗の僧・慧慈(えじ)法師などが収められています。

法隆寺聖霊院(鎌倉時代)

鎌倉時代の国宝・聖霊院。

聖徳太子を御本尊とする建物です。

平入りに対する妻入りの建物で、仏堂としては珍しいのではないでしょうか。聖霊院の特別開扉期間は太子の命日である3月22日から3日間のみとなっています。毎年この時期は仕事が多忙を極めます。残念ながら法隆寺のお会式とは、しばらく御縁がなさそうですね。

法隆寺聖霊院

妻入りの聖霊院。

太子信仰の高揚に伴って建てられたのが聖霊院です。

西院伽藍と東院伽藍の間にあり、法隆寺の中でも異彩を放っていました。

法隆寺東室・妻室

奈良時代の国宝・東室と、平安時代の重要文化財・妻室。

僧侶が生活をしていた住居ですが、左側の東室の南端が聖霊院になっています。昔の長屋風といった趣ですが、建物の中はどうなっているんでしょうね。

法隆寺の妻室。

向かって左側の東室に付属する僧坊のようです。

東室に師匠が暮らし、小子房に当たる妻室にその弟子が暮らすという構図です。なるほど、妻室の「つま」からも想像が付きますね。お刺身に付け合わせるツマといった感じでしょうか。

鏡池前の手水舎

聖霊院の前には鏡池が広がり、その傍らに手水舎がありました。

右奥にわずかに五重塔が見えています。

ドラゴンでしょうか、うん?いや、違うような気もしますね。

法隆寺の手水処

羽が生えているような線刻が見られます。

鳥?いや、亀!? なんだかよく分かりません(笑)

法隆寺西円堂

こちらは法隆寺西円堂。

耳の病気にご利益がある薬師如来坐像が安置されています。「峯の薬師」と慕われ、数々の参拝客を救ってきた有難い仏様です。西円堂も聖霊院と同じく、中心エリアである西院伽藍から外れた場所にあります。そのため、普段は訪れる人もまばらです。法隆寺の穴場スポットですので、是非訪れてみられることをお薦めします。

今は三経院前や中倉の手前にある休憩所ですが、明治の頃は鏡池の畔に茶店がありました。

そこで一服した正岡子規が詠んだ句が、かの有名な ”柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺” だったそうです。聖徳太子が祀られる聖霊院の近くで詠まれた俳句だったのですね。思わぬ歴史の扉が開いたような気が致しました。

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