山の辺の道のひもろぎ遺跡

山の辺の道の途上にある神籬(ひもろぎ)遺跡。

あまり目立たない遺跡ですが、景行天皇陵(渋谷向山古墳)の南側の桜井市穴師に位置しています。実はひもろぎ遺跡を見学した当日、散策のお目当ては立子塚古墳でした。立子塚古墳の場所が景行天皇陵の南東方向と聞いていたので、まずは山の辺の道を南へ下って来ました。立子塚古墳を探すために迷い込んだのが神籬遺跡だったというわけです。

ひもろぎ遺跡と景行天皇陵

ひもろぎ遺跡と景行天皇陵。

みかん畑の中にひっそりと佇んでいます。

穴師のみかんはこの辺りでは有名ですよね。柑橘類の爽やかな香りに包まれて、神様降臨の依代が鎮まっていました。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父・景行天皇の御陵を背景に、神々しさも一入といったところです。

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穴師のあもる祭壇は聖なる場所

神籬の「籬」という字ですが、あまり見慣れない漢字ですよね。

垣根や境界を表す籬(かき)という字で、おのずと神様の結界が思い浮かびます。ひもろぎは神様が降り立つ依代であり、俗界とは区別された聖なる空間なのです。

ひもろぎ遺跡の道案内

ひもろぎ遺跡の道案内。

山の辺の道から西へ20m外れた所にあります。ビニールハウスの横を通って、伝説のひもろぎ遺跡へと向かいます。

ひもろぎ遺跡の解説

神話の里「神籬」について

この一画の小字名である「ヒモロギ」は、神祭りの施設で神霊の降臨する依代(よりしろ)であった「神籬(ひもろぎ)」に由来すると考えられる。

「日本書紀」の崇神天皇6年条に、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)をして天照大神を「倭の笠縫邑に祭る。よりて磯堅城の神籬を立つ。」とあり、神籬が神祭りの古い形式であったことが分かる。

この場所に神籬を設け神霊をお迎えして、神祭りが執り行われたのであろう。

一帯は邪馬台国の有力候補地である纒向遺跡に含まれ、倭笠縫邑と伝承される檜原神社にも近く、古代祭祀を考える上で注目される。

此処は大字穴師小字ヒモロギなのですね。

古代の神祭りが執り行われた場所です。

ひもろぎ遺跡

ひもろぎ遺跡。

四隅に木が立っていますね。おそらく常盤木(ときわぎ)と呼ばれる玉垣でしょう。

現在でも神事などで受け継がれる神籬ですが、なかなか想像が付きにくいですよね。こちらの記事をご覧頂ければ、絵付きで神籬が解説されています。詳細を知りたい方はどうぞご参照下さい。

ひもろぎの「ひ」は神霊を表し、「もろ」は天下る”天降る(あもる)”の転訛、そして「ぎ」は依代の木を表しています。

棺(ひつぎ)の語源でもご案内致しましたが、「ひ」という音には霊性が籠ります。天上から降りることを「あもる」と言い表し、枕詞の「天降り付く(あもりつく)」は天の香具山に掛かります。

あもる、何だか言葉の響きがいいですよね。昨年度の流行語にもなったアモーレの五段活用のようです(笑) さしずめ天から舞い降りた恋人は、「あもるアモーレ」と表現されるのでしょうか。

神籬遺跡の道案内

山の辺の道のルート上にある神籬遺跡。

南方から背景の景行天皇陵を写真に収めます。

巨大な前方後円墳の形が浮かび上がります。向かって右側が後円部であることが分かりますね。至近距離からではなかなかその全容が掴めない巨大古墳ですが、この場所からだと墳丘の様子をとらえることができます。

ひもろぎ遺跡は山の辺の道のちょっとした穴場スポットになっています。